男の手によって無理やり射精に導かれ、シーザーは漏れそうになる叫び声を己の手を噛むことでこらえた。絶頂に体が震え、肌を濡らす汗が気持ち悪い。四つん這いの姿勢を支えきれずベッドに倒れこむと背中にぶちまけられたジョセフの精液がどろりと流れた。
うすく涙が浮かんだまま荒い呼吸を繰り返すシーザーに彼は何も言わず、脱ぎ散らした服を片手で拾い始めた。これからシャワーを浴びるのだろう。いつもそうだった。何もまとわぬままシーツに体液をしみこませるシーザーの目の前にばらばらと紙幣を落とし、「またな」と言ってジョセフは姿を消す。いつもそうだった。
だるさが支配する体は休息を求めて睡魔と愛しあう。おれもシャワーを浴びなければ、と考えるシーザーのまぶたはゆるやかに落ちていった。まだ慣れない行為は緊張と疲労ばかりを彼の体に強いる。薄暗い視界を埋める紙の群れにぬるい後悔を抱きながら、ゆっくりと意識が沈んでいくのを自覚する。
数日前まで、二人は隣に並ぶ仲間であった。それが反転したのは、思い出すまでもなくあの夜だった。
毀れた夜
「シーザー、お金ほしい?」
「ふざけてんのか」
年下の男から向けられた言葉にシーザーの眉が露骨に寄る。
彼が聞いたところによると、このジョセフという男は粗野な振る舞いには似合わず良家の子息で、先祖からの財産に加えSPW財閥の後援を受けて金銭的には不自由のない、どころかかなり恵まれた生活を送っていたらしい。シーザーとともに修行をこなすようになってから一週間も経たないが、合間に掃除や洗濯といった雑事を押しつけられるたび「こんなのメイドにやらせとけよォ〜」とこぼすのを聞いたことがある。もちろん、シーザーはメイドなど本物を見たこともなかった。
およそ生活の苦労など考えたこともないだろうジョセフに先程の言葉を向けられ、なにかの皮肉かとシーザーの機嫌が悪くなるのも無理はない。決して裕福な生活を送っていなかったひがみなのかもしれないが、持つ者と持たざる者の差は抜きがたく存在した。
「ふざけてるわけじゃあねえんだけど。お金って、そんなにほしいもんなわけ」
「おまえにはわからないかもしれないが、たいていの人はほしがるものだぜ。金ほしさの殺人だって珍しい話じゃあない」
「じゃあ、シーザーも?」
「……ほしくないと言えば嘘になるな」
「ふうん」
今は修行の身であり、師に生活を預かってもらっているためシーザーも切迫した事情があるわけではない。だが、困窮した時期を過ごした過去から、金銭の重要性は身にしみて知っていた。
言ったきり沈黙したジョセフに会話が終わったことを察し、シーザーはソファに掛けたまま読みかけの本に視線を戻した。ページをめくるよりも前に背後から手が伸びてきて、本が取り上げられてしまう。「おい」と不機嫌な声で振り向けば、ソファの後ろに立ったまま背もたれに肘をついたジョセフと目があった。
「じゃあさ、金やるよ」
「……てめえ、人を馬鹿にして」
「話は最後まで聞けって。その代わりシーザーには、金を貰ったっていやなことをやってもらう。いいだろ?」
言っておくが、シーザーは決して目の前の金ほしさにその申し出に応じたわけではない。それよりももっと、醜い理由といえるかもしれなかった。
もともと、人を惹きつける男だと思っていた。気づけばジョセフの姿を目で追いかけるようになり、それが恋慕のたぐいであることを理解するのにそれほど時間はかからなかった。この思いは叶うべきではないと自らを戒めていたシーザーにとって、札束と引き換えに一晩を自由にさせろ、というジョセフの最低な申し出は飛びつきたくなるようなものだった。
ぼんやり聞いたところによれば、ジョセフは今まで彼女というものを持ったことがないらしかった。ばあちゃんが厳しかったんだよ、と唇をとがらせる姿はまるっきり子どもでシーザーの目元をゆるませる。もし彼が一度でも女性を知っていれば、まさか男を抱くという発想には至らなかっただろう。甘くやわらかい肌を知れば、無骨な体などなんの魅力もない。だが、この閉ざされた環境ではほかに発散しようもないのも事実だった。それはある意味、シーザーにとっては幸いといえるだろう。
そんな、契約とも呼べないような契約を交わしジョセフは夜ごとシーザーの部屋を訪れるようになった。死のカウントダウンが日一日と迫るなか人恋しくもなるだろう。ジョセフにとって自分は愛をささやく相手ではなく、性欲の発散相手でしかないことをシーザーは理解していた。紙幣の束はうとましいものでしかなかったが、かといって彼が提示した対価を突っぱねてしまえばこの行為を続ける理由がなくなってしまう。これからも二人がともに対等であるためには、札束と引き換えの関係でなくてはならなかった。
朝になるたび、シーザーの後悔は尽きない。疲労を引きずる体に鞭打ってなんとか身を起こし、汚れたシーツを替え、床に散らばった紙幣を拾い集める。負荷をやわらげるために波紋の呼吸を繰り返しながら情けなさに唇が歪んだ。
紙きれを集めて鍵のかかった抽斗に収める。シワだらけの紙幣の束はかなりの高さになりつつあったが、枚数を数えたことは一度もない。そもそも手をつけるつもりもない金だった。
「……今さら売春の真似をすることになるとはな」
抽斗を閉めたシーザーは自嘲気味にひとりごちる。荒れていたころはさまざまな犯罪に手を染めたし、誰かを傷つけることに比べれば花を売ることくらいかわいいものかもしれない。だがシーザーは、売春の斡旋をしたり、あるいはそのふりをして金だけ取って逃げることはあったものの、自分の身を差し出したことはなかった。貧民街で名の知れてしまった彼にとって無防備な格好を晒すことは避けたいところであったし、なにより嫌悪感が先に立つ。それが今では見返りのためでなく体を開いているのだから、意志の力とは大きなものだと思う。ジョセフが望むならこの身がどう扱われても構わなかった。正しい思いでないことは誰に言われるまでもなく、シーザーが一番よく理解している。抽斗は小さな音を立てて閉められた。
木製のベッドが軋む音と、粘着質な水音。馬鹿みたいに口を開けて荒く息をつく己の姿は脳裏に浮かべるだけでも滑稽で、今の顔がジョセフに見られなくて本当によかったと思う。四つん這いでシーツに顔を埋めた格好は屈辱的だがそれだけが救いだった。
奥まで挿し込まれたものが動き、抜け落ちる感覚に吐き出した息が揺れる。同じだけゆっくり犯されて額の下できつく手を握った。彼とベッドを共にする回数はそろそろ二桁に達するだろうか。
札束を置いていくのだから自身の快感だけ求めればいいものを、ジョセフは意外なほどシーザーを気遣った。嫌がるそぶりがあれば無理強いはしないし、シーザーも感じられるよう尽くしてくれる。苦痛だけの行為なら耐えられなくなったかもしれないが、いびつな関係が断ち切れないままずるずると続いていた。このごろでは、シーザーはジョセフの顔をまともに見られなくなっている。彼を前にどんな態度を取ればいいのかもうわからなかった。
「……シーザー、きもちい……?」
背後から聞こえる問いかけにこくこくと頭を動かして答える。俯いた体勢では不明瞭な動きにしかならなかったが、湿った髪がシーツをすべって軽い音を立てた。彼を大切に扱いながら進められる行為は間違いなく快感をもたらす。前に回されたジョセフの指先が性器の先端をなぞり、隠しようもなく体が揺れた。体を開くために用いた油はシーザーの下肢をべったりと濡らし、わずかな動きにも露骨な音が生まれる。視界を遮っているシーザーは濡れた感触すべてが己の精液ではないかと錯覚しかけた。
そのまま弱いところを確かめるようにジョセフの指が動き、片手だけで翻弄される。シーツに顔を伏せれば漏れそうになる声は殺せたが、代わりに垂れた唾液が布を湿らせた。性器を責める間も後ろを穿つ律動はゆっくりと続いて、生まれる快感がどちらによるものかわからなくなる。そうやって、すこしずつ慣らされた。
すべりを増した手で何度もしごかれ、性感が満ちていくのがわかる。深く交わっている状態ではごまかすこともできずに膝が細かく揺れた。本当に、今はひどい顔をしていることだろう。シーザーは声を殺して達した。噴き出した液体が彼の手を伝い、シーツに落ちる音まで聞こえる。ジョセフに触れられている、と思うとそれだけでどうしようもなく体が疼いた。
快感に体の内側が波打ち、逆らうようにジョセフの熱が抜け落ちるとどうしようもないもどかしさを覚える。すぐに背中に熱い感覚が広がって彼が達したのだとわかった。とたんにシーザーの全身が弛緩して情けなく突っ伏す。二人分の呼吸が響くのが滑稽だと思った。
決して中に出さないのは彼の体を気遣うためだともう知っている。金を積んででも性欲の処理に付き合わせるくせ、シーザーの負担になることを嫌うジョセフの心中は理解できない。なにもかも、徹底していないのだ。紙幣を降らせる彼の目は冷たいのに、ぐったりとシーツに沈む金髪を撫でる手は優しい。
その感触に引き上げられた気がしてシーザーは目を開けた。いつのまにか、わずかな間だけ寝てしまっていたらしい。変わらず梳く動きを繰り返す彼の手首を掴むと、眠っていると思っていたのだろう、驚くような声が返った。
「あれ、起きてたのシーザーちゃん」
「……おまえ、なんでこんなことしてるんだ?」
ひさしぶりに出した声は乾ききってかすれている。それでも伝わっただろう、シーザーの視界の中でジョセフはわずかに目を開いて動きを止めた。すでにシーザーの体は清められ、ジョセフも裸ではなく黒いボトムを穿いている。ほんの一瞬眠っただけだと思っていたのだが、そうでもないらしい。
シーザーの言葉に驚いたような表情はまばたきする間に消え、代わりにジョセフの得意な人を食った笑みが貼りつく。単純そうに見えて底が知れない男だと思い知ったのはこれが初めてではなかった。
「なんでって……男ならわかるでしょ? スージーQとリサリサには手を出すなって言ったのはおまえだぜ」
「そうじゃあない、こんな……もう、やめたほうがいい」
苦々しく言ってシーザーの視線が落ちる。ベッドの脇に立つジョセフは彼の視界から消え、そうでなくとも何を考えているのか予想できたことはなかった。毎晩男の下で喘ぎ、代わりに大金を受け取ることのいびつさにはもう耐えがたい。なにより、彼の体温に溺れそうになる自分がおそろしかった。俯いてしまったシーザーの言葉をどう受け取ったのか、ジョセフが口を開いた。
「なァんだ、まだ足りない?」
「……なにがだ」
「もっと欲しいならやるよ。おれはこんなに安くないって言いたいんだろ?」
言われてシーザーは絶望的な気持ちで見上げる。ジョセフは手にした紙幣を振ってみせ、皮肉げな笑みを浮かべた。彼からさらに金を引き出したいがために蒸し返すようなことを口にしていると思われているのだろうか、視界がぐらぐらと揺れる。彼がひどく遠いところにいるような気がした。
「……ふざけんじゃねえ!」
渾身の力でジョセフを突き放す。大きな体が造りつけのチェストにぶつかって派手な音が立った。背中をしたたかに打ちつけたらしいジョセフは呻き声を上げてから立ち上がろうとする、その拍子にチェストの抽斗が落ちた。
転がったのは一番上の抽斗で、床にぶつかると同時に中身がばらまかれる。そこに収められていたのは今までシーザーがジョセフから受け取った紙幣のすべてであり、おびただしい数の紙切れが硬い床に広がった。ぎょっとしたように動きを止めるジョセフに、シーザーも一瞬言葉を失う。毎晩開く抽斗の鍵はとっくに失っていた。