※各ネタの間につながりは一切ありません
きょうはおやすみ(現代パラレル)
ドアの向こうからのしのしと重量級の足音が近づいてくるのをベッドの中で聞く。こういうとき、いとしい恋人に合鍵を渡したことをちょっぴりだけ後悔したとしても誰もおれを責めはしないだろう。週に一度の貴重な休日、しかも今日のように日差しがあたたかな日は誰だってのんべんだらりと過ごしたいはずだ。羽休めを体現するおれはこれから迫りくる脅威にそなえ、愛するベッドから引き剥がされないよう両手でシーツをしっかり握り込む。おれの内心をよそに、よく知った足音はまっすぐ寝室へ近づいてきた。
「起きろJOJO!」
「……うるせーよ、休日にひとんち来て騒ぐなっての」
ドアが開け放たれるのと同時に響いた大声に文句をつけつつ、全身を縮こまらせて布団の中にもぐりこむ。もちろん彼がそんなことでへこたれるはずがなく、ずかずかとベッドサイドまで近づいておれの安寧の砦を崩そうと手を伸ばしてきた。布団を挟んで繰り広げられた攻防は布地の耐久性に不安を抱いたおれの負けで、ずるりと剥かれて全身が寝室の空気にさらされる。不満をあらわに見上げれば、2ヶ月前に合鍵を渡したおれの恋人――シーザー・A・ツェペリが得意げな顔で仁王立ちしていた。相変わらずきれいにめかしこんだ彼はいつ見ても「健全な精神は健全な肉体に宿る」を体現しているようだ。布団を剥がれた意趣返しにベッドから下りずにいれば、はるか頭上から「おい」と声が降ってくる。
「いつまでそうしているんだ。早く起きろ」
「……起きろ起きろってなんなんだよ……せっかくの休日だぜ?」
「休日だからだ。こんなに天気のいい日は外に出かけるに限るだろう」
ワオ、薄々わかっちゃいたがおれの恋人は思考回路が真逆にできているらしい。おれからすればこんないい天気の日こそ布団の中でぬくぬく過ごすのがこたえようもなく幸せなのだが、やたらアクティブな恋人は自堕落に過ごすのを許してくれないようだ。
おれだって平日はきちんと起きて、むしろシーザーにモーニングコールするくらいの余裕を持って出勤しているわけなのだから、たまの休日くらいは思いっきり休んだって許されるだろう。それを無言で主張するべく布団を再び引き戻してやさしい檻の中にくるまれば、シーザーはおれの体を揺さぶって安眠を妨害してくる。こいつのこういうところはちょっと鬱陶しい。
それでもまあ、わざわざおれの部屋まで来たということは一緒に出かけたいということだろう。眠るつもりで下ろしたまぶたをもう一度持ち上げ、「行きたいところでもあんのかよ」と聞いてみる。素直なシーザーは「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりにぱっと顔を輝かせた。
「ああ! 実はな、最近新しくできたスポーツジムが……」
「却下。Good night」
みなまで言い終わるのを待たず、布団を抱き込んでまぶたを閉じる。なんで運動するために出かけなきゃならねえんだ。再び布団の奥に消えたおれにシーザーはなおも言い募った。
「規模も大きいし、最新鋭のマシンがあれだけ揃ってるのは珍しいんだぞ! お前、新しいもの好きだろ?」
「好きだけど、ジムは好きじゃねーし」
「たまには体を動かすのも楽しいぞ! ここからなら歩いて1時間だ」
「それ帰りも1時間かかるんじゃねーか、ぜってーお断りだかんな」
言ったおれはロールパンのように布団を抱え込み、徹底抗戦の構えを見せる。「車で行ったら運動にならんだろうが」と騒ぐシーザーは、本当にトレーニングとか修業が好きなのだ。昔、頼れる大人を失って一人きりで行きていくと決めたときに、何よりも己を鍛えなくてはならないと思ったらしい。自身が頼れる大人側に立つほど成長した今でもその趣味は変わらず、勉学に励む合間に筋トレしているのをよく見る。このストイックな健康志向の恋人はあの手この手でおれを連れ出そうとするのだが、祖父譲りのダイナマイトバディをもつこのジョセフ・ジョースターは案外インドア派なのだ。
「……お前、また今週もだらだらして過ごすつもりじゃあないだろうな。そんなことではせっかくのその体が衰えるぞ」
「おれ、シーザーほどトレーニングとかマッスルに命かけてねえのよね〜。カウチポテト最高じゃん」
呆れたようなシーザーの声にもへらへらと返す。努力とか修業とかまったく性に合わないのだ、こればっかりは勘弁してもらいたい。かといってシーザーは途中でへこたれるような男ではない。このままでは互いの主張を繰り返すだけの水掛け論だ。布団の中で少し考えたおれはにゅっと頭を出して渋い顔のシーザーを見つめる。いつの間にかカーテンが開けられていたせいで彼の輪郭は天使のように光っていた。
「……じゃあ、一緒にベッドの中で運動しちゃう?」
「そんなもん運動のうちに入らん」
「……………………そりゃそうだけどォ……」
夜の色を乗せたお誘いはノータイムで拒否された。そりゃ、汗を垂らしながらのウエイトトレーニングが好きなこいつにとってはエッチの運動量なんて代わりにならないだろう。まあ汗だけならエッチでもずいぶんかいてるけどな。
それでもかわいい彼氏であるおれとしては頬を染めたシーザーに上目遣いで「こっこのスカタン! そ、それじゃ運動にならないだろうが……」くらいのことを言ってほしかったわけだが、男らしく切り返されて無意味に唇をとがらせる。ちなみにシーザーがその手のかわいい反応をしたことは一度もない。
「でもよォ、もう昼近いだろ? 今から1時間かけて歩いて行ったらちょうど昼飯どきだよな。腹減ってたら力も出ねえけど、これから運動するってときに飯食うのも変な話だ。ちっとタイミングがよろしくないんじゃねえ?」
「……お前な、そうやってうやむやにして出かけないつもりだろ」
「それでいーじゃん。……今なら特別サービスしてやるよ」
わざとらしく唇を舐めながらくるまっている布団の端を持ち上げ、乱れた寝間着の裾から裸の腰をのぞかせる。正直おれも馬鹿馬鹿しいと思っているんだが、おれにもおれの体にも惚れきっているシーザーは露骨な誘惑に唾を飲んだ。……やっぱこいつ心配だな、おれが「1万ドル貸して」とか言ったら身売りしてでもかき集めてきそうだ。献身的すぎる彼氏がたとえ勘違いでもそんな考えに至らないようもっと甘やかしてやらないと。
とことんおれに骨抜きな恋人の姿に改めて驚きつつ、シーザーは絶対にやらないであろう表情で小首をかしげてみせる。すでにおれはこの時点で勝利を確信していた。シーザーの大好きなトレーニングは一回休みだ、ちょっとくらい怠けたってあの彫刻のような体は衰えたりしないだろう。それに、たとえシーザーがどれほどみすぼらしい姿になっても愛しぬく自信がある。
「…………言っておくが、今回だけだぞ」
「OKOK、もちろんよォン」
苦渋の決断といった雰囲気のシーザーに軽く返す。「今回だけ」と言われたのがこれで何回目か、10回を超えたあたりで数えるのが面倒になった。なにかにつけおれを甘やかすのが好きなシーザーの負け惜しみはこれからも繰り返されることだろう。シーツに膝をついた彼を引き寄せ、唇を合わせれば素直に瞼が下りた。
ヤマアラシを抱くということ
はあ、はあ、とみっともないほどに乱れた呼吸が暗い部屋に満ちる。男二人でベッドの上で向かい合って座って抜き合って、はたから見れば滑稽だろうなとジョセフはどこか冷静に考えた。
射精後の倦怠感に支配された体を動かし、汚れていない方の手でシーザーに触れる。同じように達した彼は虚脱したように心ここにあらずといった風情で、ジョセフの指が顎先に触れてやっと意識を向けたようだった。手の動きで誘導して顔を上げさせ、言葉もなく唇を重ねる。体温が高くなっているせいか、触れる舌が熱く感じた。荒い呼吸に邪魔されて顔を離すとぱちりとシーザーの瞼が開かれ、一瞬目が合っただけですぐに視線が逸らされる。二人の手は互いの精液で汚れており、濡れる感触に背徳感が募った。
「……人の手って自分でするよりずっと気持ちいいのな、知らなかったぜ」
ジョセフの声は喉に引っかかったようにつんのめっていた。普段の自分はどんな風に喋っていたのか、考えてみてももう思い出せない。照明を絞った暗い部屋だが至近距離にある相手の表情くらいは見え、シーザーが皮肉に唇を持ち上げるのがわかった。
「……は、でかいなりして童貞か」
「るせえな、違うっての。シーザーも気持ちよかっただろ?」
「……ああ」
シーザーが視線を落とすと、彼の金色のまつ毛が揺れるのがはっきりわかる。薄闇の中でそんな発見をしたのが、おととい。
ジョセフは今、大いに焦っていた。
「ちょっ……シーザー、待っ……! ン、む……っ」
カーテンを閉めた部屋に荒い呼吸の音と濡れた水音が響く。言いかけて開いた唇からシーザーの薄い舌が入ってきてジョセフの口内を遠慮なく這いまわった。それが荒っぽいだけでなく、確かに快感を感じるポイントを押さえているので内心の焦りはますます大きくなる。骨抜きにされてはたまらないと、抵抗する気がまだ残っているうちに慌てて覆いかぶさる肩を押しのけて体を離した。
粘膜をこすり合わせるキスに没頭していたシーザーの唇は濡れて照明に光り、男の腹にまたがるという体勢もあってジョセフの理性は一瞬ぐらつく。いやいやだめだ、と言い聞かせるために無理やり視線を逸らした。露骨にそっぽを向く彼に気分を害したのか、兄弟子から刺さるような視線を感じる。だがジョセフとて言い分はあった。
だいたい、一日の修業を終え自室のソファに転がっていたところいきなりドアを開けてやってきたシーザーが何も言わずに呼吸法矯正マスクを外し、そのまま唇を合わせてきたのだから文句を言うべきはこちらである。恋人と呼べる関係になってから一週間近く経つが、二歳年上の彼の思考回路はジョセフにとって最大の謎だった。瞼が下がるのを自覚しながら半眼で目の前の男に言う。
「……なんなの、シーザーちゃん」
「嫌か」
「嫌じゃあねえけど。おめーがリサリサの言いつけ破ってマスクを外してくれるなん……」
「なら、いい」
聞けって!
ジョセフは叫び出したかったが、再び重なった唇に吸い込まれて文句を言うこともできない。なかば諦めの境地で、キスのマナーにのっとり瞼を下ろした。
シーザーとのキスが嫌なわけはない、彼は巧いし、なにより好きな相手と交わすくちづけは言い知れぬ幸福感を与えてくれる。それでもジョセフが彼のキスを甘受できないのは嫌悪ではなく、理由は別のところにある。どうしたもんかな、とシーザーの舌に翻弄されながら浮かべた思考は肌に感じた刺激によって一瞬で吹き飛んだ。
「……っ、おめーな!」
「黙ってろ」
「できるか……っての、やめろって!」
シーザーの体を力任せに押し、なんとか引きはがすとジョセフの胸元を撫でていた手が止まる。やけに聞き分けのいい彼に少しばかりの疑問を覚えてその顔をまじまじと見つめれば、なぜかその唇は固く結ばれていた。不意に落ちた静寂に気まずい思いが募っていく。ジョセフは目を伏せたシーザーの胸のうちを読めない。
「……お前は、もっと欲しいと思わんのか」
「あー、そうね……こう、おれとしてはもっと時間かけてからでもいいと思うわけよ」
シーザーが言わんとするところを汲み取ってジョセフはあいまいに言葉を濁す。ジョセフとシーザーは健康な青年であって、先日気持ちを通じ合わせたのだった。おまけに生命の危機をダイレクトに感じる修行の日々で、ありていに言って溜まらないわけがない。なのに二人の関係は妙に清いままで、周囲の目を盗むようにキスを交わすだけだった。互いに抜き合ったのもおとといが最初で最後である。
進まない関係に焦れて乗っかってきたことを知れば彼の突然の行動もかわいらしく思えるくらいの余裕が生まれる。当のシーザーは納得がいかないのか眉根を寄せたままで、彼をこれ以上思いつめさせないためにもジョセフはあえて軽く口を開いた。
「ほら、ここじゃ誰に知られるかわかんねえし?」
「入るときに鍵はかけたぞ」
「おめーが部屋にいなかったら怪しまれるだろうが」
「かまわん。どうせいつかは知られることだ」
「……なんでそう、変なとこで潔いのかねェ……」
あきれたようにため息をつくジョセフにに無遠慮な視線が向けられる。彼の腹筋の上でとどまっていたシーザーの手が不意に下腹部に触れ、ジョセフは大きく体を揺らした。
「ちょっ……! シーザー、なにやって……!」
「よくしてやるから、黙ってろ」
会話が噛み合っていない。狼狽する間にもシーザーの手は軽やかに動き、そのままボトムをゆるめようとするからジョセフは彼の両手を掴んで押しとどめた。慌てたあまりに力を入れすぎてしまった気もするが、目の前の恋人はかよわい女性ではないのだからこれぐらいでは怪我もしないはずだ。手首を握られたシーザーはうっとうしそうに眉を傾けた。
「なんだ。……ああ、抱かれるのが怖いのか? だったらおれが下になってやってもいいぜ」
「そうじゃなくて!」
今、非常においしいことを言われた気がしたがそれに飛びついていてはジョセフの意志は伝わらない。ぐっとこらえた彼は「……そういうの、しなくてもいいんじゃねえかなァ」とあえてのんびりとした口調で、しかし押し殺した声に乗せて言った。
その言葉にシーザーは淡い色の瞳を大きく瞠って、たっぷりの沈黙ののちに「そうか」とだけ口にして立ち上がる。ジョセフは邪険に振り払われた手に胸がチクリと痛むのを感じるが、とりあえずは中途半端にはだけられたボトムを正した。
「……無理を言ってすまなかったな」
ソファに背を向けたシーザーが告げる、その声があまりにも涙の色を帯びていたからジョセフは思わず彼の手を掴んだ。一度ほどかれた彼の手首は少しだけ赤くなっていて、ああやっぱりと罪悪感が生まれる。けれど握る力は緩めず、逃がしはしないと言外に伝えた。ゆっくりと振り向くシーザーの瞳には予想していたような水分は浮かんでいない。
「おめー、なんでそんなに『傷ついた』って顔してるわけ」
「……気のせいだ」
「そんなんでごまかされるわけねえだろ」
ソファに座った体勢では話がしにくいとジョセフは立ち上がる。いつもの目の高さで遠慮なく彼の顔を覗きこむと、シーザーの視線が揺れているのがわかった。
「……やっぱり、男じゃ気持ち悪いだろう」
細く呟くような声が聞こえ、シーザーの重そうなまつげを見つめていたジョセフはその言葉が脳に達するまでに数秒の間を要した。落ちた沈黙を肯定と捉えたのか、舌打ちの音とともにシーザーは掴まれた手を大きく振る。我に返ったジョセフは振りほどかれてはたまらないと彼の手を強く握り、一瞬の力比べののち「何言ってんの」とその真意をただした。
「……事実だろ。男とキスはできてもセックスには抵抗がある、当然だと思うぜ」
「だから何言ってんのって。おれ、一言もそんなこと言ってないよな?」
「ああ、お前は優しいからな。無理に迫って悪かった、忘れてくれ」
言ってシーザーはこの話は終わりだというように背を向けて歩き出そうとした。当然そんなことを許すジョセフではなく、握った手首を強く引いてこちらを向かせ引き戻す。バランスを崩したのをいいことに、空いた手をシーザーの腰に回せばもう逃げられる気遣いはない。「めんどくせえな、お前」とジョセフがため息混じりに呟くと向かい合った彼の肩が揺れた。
「悪かったな。どうせ女でもないし、キスしても楽しくないだろう」
「なんでそうなるかねぇ。ま、そういうめんどくさいとこも好きだけど」
ずっと距離が近くなった耳朶に吹きこむように言うと、見下ろした視界で彼の瞳が落ち着かなく動くのがわかった。かーわいい、とは口に出さず凝り固まったシーザーをほだすべく口を開く。先ほどから彼の言い分ばかりで、話を聞いてもらえない鬱憤が溜まっていたところでもあった。
「あのさあ、おれたちがどうしてこうなったか覚えてる?」
「……お前がおれの部屋に転がり込んで、好きだキスさせろって喚いたんだろ」
「あー……間違ってはねえな。で、おれから告白したのになんで男は無理とかそういう話になるわけ」
突飛な行動に見えたのかもしれないが、ジョセフとしてはありったけの勇気をふりしぼってシーザーをかき口説いたのである。それがつい先日の出来事であるというのに、なぜ彼はジョセフの真情を疑うようなことを口にするのか。納得のいかない気持ちで視線を注ぐと、目をそらしたシーザーがゆるゆると口を開いた。
「……気の迷い、ということもある」
「はあ?」
「お前はそういう経験が少ないから、戦場の高揚と恋心を取り違えることもあるだろう」
「ちょっ……」
「キスしたいとは言ってたが、実際にすれば男相手じゃ幻滅しても仕方ない」
「あのさシーザー、おれの話聞い」
「お前の態度でおれが察するべきだったんだ、無理させるつもりはなかったんだが」
「……ああもうめんどくせえな! そこまで疑われちゃおれだって黙っちゃいられねえっての!」
やけくそのように叫んだジョセフは握っていたシーザーの手を放り出し、両手で目の前の肩を強く掴んだ。驚いたように見上げるペリドットの瞳を見つめ、胸の内をぶちまけることに決める。視界の端でシーザーの腕が揺れていた。
「キスより先に進まないのはおめーが心配だからだよ! おれが好きって言ったからシーザーは応えてくれてるけど、ほんとは無理して付き合ってくれてるんじゃねえかって思ってたからだ!」
「……!」
至近距離でつきつけられる言葉にシーザーの顔に動揺が浮かぶ。シーザーの胸を占めるジョセフへの好意は彼自身だけがその大きさを知っていて、あふれるほどの愛おしさが視線に込められていても明確な言葉で表現されたことは数えるほどしかなかった。歳下の恋人に不安を与えていたことを知りシーザーは申し訳なさに視線が落ちる。しおらしいさまに、痛いほどに肩を掴んでいたジョセフの手の力がゆるんだ。
「……それにシーザーは女の子好きだから、男相手なんて嫌だろうって思ってたわけ」
続く言葉は語尾に行くほど弱くなり、うつむいたジョセフの頭がシーザーの肩に埋まった。シーザーがちらりと視線を動かしても見えるのはジョセフの赤くなった耳だけで、彼の顔もじわじわと染まっていく。結局自分たちは似たもの同士で、悩みの種類だって似たり寄ったりらしい。「そんなこと考えてたのか、お前」と言うシーザーの手がジョセフの背中に回り、触れ合うところから互いの体温を伝えた。
ベッドの上で向かい合い、互いの熱を高めあった夜のことをジョセフは鮮明に覚えていた。初めて触れる感触に跳ねる心臓を押さえつけ、興奮の中で二人とも達した。けれどそのあと我に返った様子のシーザーは慣れないように視線をさまよわせ、ジョセフの言葉への応答もなんだかぎこちなく感じられた。
なにを言われるでもなく、そのさまに彼が同性との関係は初めてであることを知った気がして、幼い独占欲が満たされると同時に女性相手ならさぞかしスマートに振る舞うのだろうと考えたジョセフは彼の部屋を出たあと朝までまんじりともせずに考え過ごした。同性同士という不慣れで不自然な関係をシーザーはどう感じているのだろうか。気が済んだだろう、お前のわがままに付き合うのはもう終わりだと告げられる瞬間を想像して呼吸が嫌な音を立てる。あの夜の印象をジョセフは捨てられずにいた。
「……だからさあ、シーザーに無理させたくないからキスで満足してたわけ。エッチだけが愛情表現じゃあないだろ」
「童貞のくせに、なに言ってんだ」
鼻で笑うシーザーだったが急に強く抱き寄せられ、同時に腰に当たる不穏な感触に一瞬息を詰めた。慌てて見上げればジョセフが情けなく笑っていて、「……って思ってたけど、正直限界なんだよネン」と悪びれずに口にする。呆れたシーザーだったが、自分と同じくらい彼が求めていることに安堵を感じたのも認めないわけにはいかなかった。
「ま、お互いの誤解も解けたとこだし? 自分が言ったことなんだから責任取ってくれるよネェ〜」
「……ムードもなにもねえやつだな、わかってはいたが」
「えー、わがままなんだからン」
言ってジョセフはシーザーの耳元に顔を寄せ、「ベッド、行こっか」と低くささやいた。ついでのように唇が耳朶をかすめ、狙ったのかわからないままにシーザーはその感触にぞわりとしたものを感じる。「……20点」と採点してやるとジョセフから不満そうな声が上がったが、シーザーの足がベッドに向かって動き始めたのを見てすぐに鼻歌に変わる。ジョセフの弾んだ言葉が続いてシーザーは思わず声を上げた。
「にしても、わざわざ抱かれにきてくれるなんてシーザーちゃんったら大胆なんだからァ〜」
「ちょっと待て、おれが下なのか!?」
「だって、さっき言ってただろ。それとも、あれはその場しのぎのでまかせだったわけェ?」
「……っなめんな! おれがどれだけお前を好きか、証明してやる!」
その台詞にジョセフは頬がゆるむのをおさえられない。投げ出すようにシーツに沈められ、自身の言葉をシーザーが後悔するのは翌朝のことだった。
人こそ知らね(現代パラレル)
男は浮気がわかる(※ソースはツイッター)
そのことをおれは知っている。おれがそのことを知っていることを、シーザーは知らない。
ベッドに掛けたシーザーがたばこを咥えるのももう見慣れた。毒の煙を吐き出す彼の肌は白く、情事の気だるさをまとっている。その背中の真ん中にキスマークが残っていることは本人にも言わない、おれだけの秘密だ。
シーザーを抱いた回数はもう数え切れないほどでも、この関係は友人だ。日頃どんなに笑い合って、肩を組み、その体を奥まで暴いてもおれたちは互いの一番ではなかった。
彼はいつも「跡をつけるな」と言う。鬱血の跡はもちろん、歯型も、手首を握りしめた跡も決して許さない。それはどれほど奥まった場所であっても変わらず、「ひとに見られる」と必ずおれを振りほどいた。
親しい友人と寝るようになったきっかけはシーザーが誘ったからだ。男が好きなんだと告白して、試してみないかと言ったシーザーは罠をはっていた。つっぱねることもできたおれは、罠だと承知しながらその手を取った。そして晴れてあいつの『セフレ』に仲間入りしたのが、もうずいぶん前のことだ。
男に抱かれるのが好きだというシーザーは、おれと同じように寝る相手が何人もいると言う。ただの遊びだと言い切った彼は今日と同じ銘柄のたばこを手にしていた。おれの跡を残させないシーザーの体は何度見ても他の男の痕跡は何一つなく、背中のキスマークがだんだん薄れていく。
「前セックスしたのはどんなヤツ?」
ベッドに転がりながら言えばシーザーは眉根を寄せて見下ろしてきた。おれにはキスマークをつけていいと言っているのに、シーザーは跡を残すのも嫌がる。背中に縋るために伸ばされた手がふいにシーツに落ちるのは今までに何度も見てきた。
「……下世話なことを聞くな」
「知りたいじゃん、おれの穴兄弟なんだし」
そこで言葉を切れば居心地の悪い沈黙に耐えられなくなったのか、シーザーはためらいながら口を開く。あまりに少ない情報に焦れてこちらから質問を投げれば焦らすようなテンポで答えが返ってきた。
栗毛で、目はとび色、鷲鼻で誠実、声は低い。そうね、そいつならおれも知ってるぜ。今朝のローカルニュースで表彰されていたお手柄消防員とそっくりだ。残念ながら彼は先月西海岸に異動したから、シーザーと過ごす時間はどうやっても捻出できないだろう。テレビで見た情報をすべて吐き出したシーザーは不自然な沈黙ののちにたばこを灰皿に押しつける。シーツにしみこんだ煙はシーザーと不可分に違いなかった。
いもしないセフレを語るシーザーはいつも他の男の匂いをただよわせる。あいつはそんなに乱暴じゃなかったとか、お前はキスが下手くそだとか、聞いてもいないのに口を開くシーザーは沈黙を恐れていた。おれと向き合うことから逃げ、くだらないおしゃべりで煙に巻く。おれがそれを知っていると、シーザーは知らないのだ。
女の体は繰り返すうちに男になじむように形が変わる。男の体はもっと正直で、他の男に抱かれたのならこれほどおれにぴたりと合うわけがなかった。おれがいない間に何回も寝たというシーザーの内側は、たった一人しか知らないと示している。シーザーはきっと、見透かされていることを知らない。
自分が尻軽だと偽ってまで逃げるシーザーは、おれの祖父を知っている。生涯で一人だけを愛する人生を知っている。おれの最初で最後の相手がシーザーであることを恐れている。愛される資格がない男だと見せかけて、それでもおれに触れたくて手を伸ばしたのだ。
必死に取り繕われるすべてが虚飾だとおれは知っている。とっくに知られていることをシーザーはまだ知らない。シーザーを逃がさないよう、おれが少しずつ準備を進めているのも知らない。すべての退路が断たれるまで、シーザーは知らないままだろう。遊びでしかないと嘘をついて逃げ続けられるのもそれまでだ。最初で最後の相手を手に入れる瞬間を思い、白い背中に浮かんだキスマークに目を細める。そっと絡めた指先はしばしの逡巡のあと振り払われた。