※各ネタの間につながりは一切ありません

オレンジサファイア(現代パラレル)

=====9月末のつもりでお読みください=====
 その日、ジョセフはいつになく浮かれた気分で自宅のドアを開けた。彼が実家を出て一人暮らしを始める際、友人だったシーザーとなし崩し的にルームシェアを決めた部屋だ。ジョセフが18歳の2月に出会った二人は何度もケンカを繰り返しながら距離を縮めていき、晴れて恋人になるまでに至った。今日は同居が同棲になって以来、初めて迎えるジョセフの誕生日である。

 まだ学生であるシーザーとは違い、すでに働き始めたジョセフは毎日行ってきますのキスで家を出る。そういった甘やかな習慣を好むのが子どもっぽいと思われそうではじめは遠慮していたジョセフだったが、シーザーの態度を見るうちにその思い込みを改めた。なんのことはない、シーザーもキスが好きなのだ。気づいてからは遠慮なく口づけをせがみ、それに年上ぶって応える恋人の姿に幸福を噛みしめている。付き合い始めてからまもない二人には、言ってみれば新婚のような甘さがあった。

 奨学金で大学に通い、アルバイトで妹たちに仕送りを続けるシーザーは苦学生と言っていいだろう。そんな彼に家事の一切を任せているのはジョセフにも心苦しいものがあるが、それを口にすると「家賃を払っているのはお前だろう」と言い返されるので、彼が納得しているならと甘えている。
 しっかり稼いでいるジョセフにとって生活費くらい負担でもないし、幼いころから不自由な思いをしたことがない彼からすれば金銭よりもシーザーが払う労力のほうが貴重なのだが、価値観の相違は埋められていない。最近はそれでもいいかと考えるようになった。別々の人間である以上考え方が同じにならないのは当然だし、なにより、仕事を終えて疲れた身で帰宅したとき、家中を万端に整えたシーザーに迎えられるのはジョセフを喜ばせた。

 車を駐車場に停め、マンションのエレベーターで上がってくる間もジョセフの気分はうきうきと華やいでいた。誕生日である今日を恋人と、それも同居している相手と迎えられるのは文句なしに幸福なことだ。今日は土曜日であるし、シーザーは一日をかけて今晩の用意をしてくれていることだろう。できる限りジョセフの要望に沿いたいという彼らしい考え方は当人を驚かせたいという誘惑にまさるらしく、昨日までに食事のメニューやプレゼントの内容について何度も尋ねられていた。

 料理の好みならいくらでもあるが、「欲しいものはないか」と聞かれたジョセフは少々戸惑った。幼少から裕福な暮らしを送り、なにか口にする前に与えられる生活であったために、自分の手の中にないものを欲しいと思ったことがないのだ。
 物欲が枯れているわけではないが、今乗っている車だって「あ、いいな」と思った瞬間に買い上げていた。高級車だって潜水艦だってその場で手に入れられるだけの財力がある以上、『欲しいものがあるけれど今は我慢している』ということがない。しいて言えばシーザー・ツェペリその人であったが、それだってもう手の中に収めた。まるっきり満たされているジョセフにとってはシーザーが己のことを考えてくれている時間がプレゼントのようなものなので、少しは迷ってくれと思いながら「なんでもいい」と答えた。最後にやりとりをしたのは、3日ほど前だろうか。

 誕生日の日に仕事が入ったのはなんとも残念だが、シーザーの唇に送り出されたから途中で投げ出すこともなくしっかり働いてきた。同僚たちも今日がなんの日か知っているので、どこか浮ついたジョセフのようすも苦笑で見逃してくれたのだ。舞い上がるばかりの気持ちを表情にも出しつつ、ドアを押し開ける。先ほど帰宅時間をメールしておいたおかげで、鍵を開ける手間が省けた。

「……あれ?」

 誰も聞いていないというのに思わず声が出る。オレンジ色の光りに照らされているとばかり思っていた玄関は真っ暗だった。とっくに日が落ちた時間で、いつもならシーザーが鍵を開けたついでに照明をつけておいてくれるというのに。さらに納得いかないのが、玄関の先の廊下やリビングからも光が漏れていないことである。暗くしんとした空間に人の気配はない。出迎えてくれるはずのシーザーは外出でもしているのだろうか、それにしては鍵が開いているし、わざわざ「もうすぐ帰る」とメールしたのに席を外していることもないだろう。なにか用事があったとしても、シーザーならジョセフの帰りを待ってから出かけるタイプだ。

 妙だなと思いながらも自宅に帰り着いたジョセフは扉を閉めた。内側から施錠し、照明をつけながら廊下を進む。窮屈なネクタイをゆるめ、ドアが開けっ放しのリビングを覗きこむ。電気の消えた部屋は日没からだいぶ経つというのにカーテンも閉められていなかった。
 入り口に近い壁を探り、照明のスイッチを入れる。そのとたんに金髪のシルエットが浮かび上がり、無人だとばかり思い込んでいたジョセフは心底驚いた。

「うわっ、シーザーいたのかよ!」

 驚きのあまり、心なしか咎めるような調子になる。それをきまずく思いながら手にしていた鞄を置いてカーテンを閉めた。ソファーに座ったシーザーは考える人の彫刻よりもうつむき、悲壮な雰囲気を漂わせている。ジョセフによって光を取り戻した部屋には、彼が予期していたようなあたたかい料理の匂いはどこにもなかった。

「どうしたんだよ、こんな暗いとこで」
「………………」

 当然の問いかけにもシーザーは答えなかった。金色のつむじを見ながら、もしかしてどこか具合が悪いのだろうかとジョセフは考える。朝見たときはいつもと変わりないように思ったが、それから12時間は経っているのだ。しばらく考えてから数歩の距離を踏みだそうとしたとき、シーザーのかすかな声が聞こえた。

「……れ……う」
「え?」

 わざとらしく聞き返したわけではなく、あまりに張りのない声を下向きに伝えられたものだから聞き取れなかった。歯切れの悪いシーザーに近づけば、弱々しく顔を上げた彼がもう一度繰り返した。

「…………別れよう、JOJO」

 その瞬間、ジョセフの頭は真っ白になった。全身の血がつま先に向かって落ちていく音を聞いた気がするが、実際にそうであったのならば彼は立っていられないのだから錯覚だったのだろう。貧血に似た寒さを感じながら、青天の霹靂にとっさに口を利くこともできない。明るい室内を映すはずのシーザーの瞳は暗くかげっていた。

「別れてくれ、JOJO……」
「…………何言ってんだよ、テメー! いきなりンなこと言われて、ハイそーですかと別れるわけねえだろ!」

 ジョセフがなんとか立ち直れたのはシーザーの表情が悲痛に沈んだものだったからだ。これが晴れやかに破局を告げられたのならば何も言えなかったかもしれないが、眉間に深いシワを刻んだシーザーはジョセフとの別れに苦痛を感じている。ならば、彼が引き下がるわけにはいかなかった。ジョセフが諾と答えれば、あるいはシーザーがそう見なすような態度を取れば、二人の関係は修復不可能なものになるだろう。悲しみをいっぱいに浮かべて視線を落とすシーザーに、跪いたジョセフは先ほどの怒声とはうってかわってとりなすような声をかけた。

「――なんでそんなこと言い出したんだよ。おれ、おまえに嫌われるようなことした?」

 無言のうちに首を振るシーザーにジョセフは安堵の息をついた。シーザーの返事は金髪をわずかに揺らすだけのものだったが、すぐ近くから見つめる彼には伝わる。相手を嫌になったすえの別れ話でないのならば、ジョセフにはそれを撤回させるだけの自信があった。

「ちゃんと話してくれよ。おまえの考えてること、ぜんぶ教えて」

 巨体を窮屈に丸め、ソファーに沈んだままのシーザーを下から覗き込む。彼が話してくれるまでずっとこうしていようと考えていた。それを感じたのか、伏せられていたまつげがゆっくりと持ち上がる。それなりに深刻な話になるだろうと思っていたジョセフにとって、次に聞こえた言葉は予想外なものだった。

「……今日、誕生日だろう。お前の」
「…………エート、うん」

 それは間違いのない事実だ。しかし脈絡のない発言は別れ話とつながらず、出鼻をくじかれたジョセフはそれ以上答えられない。誕生日に別れると言うのなら、18歳の間しか付き合えないのだろうか? それはあまりにも不合理な話だ。戸惑う視線を受けながら、沈黙を多く挟むシーザーがゆっくりと続けた。

「……JOJOが生まれてきてくれた日だ。おれができる限りのことをしようと、思ったんだ」
「あー、嬉しいぜシーザー」
「おれはいつも、お前からもらってばかりだから……」

 どんどん小さくなる声を受けてジョセフは首を傾げた。いつのまにかまた頭を垂れているシーザーには見えなかっただろうが、彼の表情は怪訝なものだ。
 もらってばかりというが、ジョセフには彼になにかを贈った覚えはない。祝うべきことがあれば別だが、脈絡のないプレゼントはシーザーには好まれなかった。「女扱いするな」と目に見えて拗ねる恋人の機嫌を損ねたくはないと考えるのは当然だろう。
 かといって物ではなく、行動で示したこともない。たまにはジョセフも家のことをやろうと進み出るのだが、洗浄機しか見たことのない彼に食器を洗わせるのは難しいものがあった。万事がその調子なので、「お前は座っているのが一番の手伝いだ」とうんざりしたように言われたこともある。とにかくジョセフがシーザーに尽くした覚えはとんとないのだが、彼にとってはそうでないらしい。気になりはしても、それを尋ねるタイミングでないことはわかっていた。

「JOJOに喜んでもらうにはどうしたらいいか、ずっと考えていた。…………だが」

 そう言ってみるみるしぼんでいくシーザーのシルエットが心配になり、床に膝をつけたジョセフが覗きこんだ。その気配を感じたらしいシーザーが顔を上げる。どこかぼんやりした発音で続けられるのを息もひそめて聞いていた。

「……なにも、思いつかなかったんだ。なにも……」
「…………えーと」
「誕生日に何も贈れないなんて、恋人失格だ。おれはお前の隣にいる資格がない……別れてくれ、JOJO」
「はァ?」

 言ってからジョセフはしまったと思った。あまりに予想外なことを言われたとはいえ、別れ話の最中にふさわしいような台詞ではない。一人でしょげかえっているシーザーに聞こえたようすがないのが救いだった。
 しかし、それだけ間抜けな声を出してもしかたがないというものだ。プレゼントが思いつかなかったから別れようなんて、ジョークにしても低級だろう。問題なのはそれを口にするシーザーがまったくの本気だということだ。

 ここに至ってジョセフは数日前の言動を思い返していた。満たされているがゆえに欲しい物を聞かれても「なんでもいい」と答えたのだが、シーザーはそれを挑戦と聞いたのではないだろうか。加えて、彼の義理堅い性格だ。ジョセフにはわからないところで恩義を感じているようであるし、それに報いようと意気込んだのだろう。それなのに恋人に贈るべきものもわからず、一気に自信喪失したというところか。まったく、ジョセフにとっては迷惑な話だった。

 たしかに、シーザーがジョセフになにかを贈るのは難しいだろう。金銭で取引できるものならシーザーが用意するよりジョセフが探したほうがずっと早い。二人のセンスは少なからず食い違っているし、本人に隠れて選んだものではまるで喜ばれないおそれがあった。かといって品物以外を贈ろうとしてもすぐに行き詰まる。家事も甘い言葉もシーザーの日常であったし、性行為だってもったいぶる必要がないほど交わしているからなにをしたところでいつもと変わらず、それらをプレゼントと呼ぶには華やかさが足りなかった。要するに、身も心もジョセフに捧げきっているシーザーがこのうえ特別の行為を贈れるはずがないのだ。

 選択肢を奪われた彼が思いつめるのはシーザーらしいといえばらしい。恋人の誕生日を祝うはずが別れ話に飛躍するなんて本末転倒もいいところだが、本人はその滅裂さにも気づいていないだろう。前提から一足飛びに結論まで辿り着くのはジョセフの話術の一つだが、シーザーのそれは直情的な性格によるものらしかった。

 ともあれ、別れるなんて言い出した恋人を思いとどまらせなくてはならない。立ち上がったジョセフは律儀に一人分空いたソファーに並んで掛け、軽く息をついた。その気配すら息を殺して追いかけているシーザーのようすに、これが演技ならこんなにこじれないんだがと呆れのような思いを抱く。なんて面倒な男だろう。ジョセフの愛するただ一人の相手であった。

「あのなあ、プレゼントが選べないから別れるって、短絡的すぎ」
「…………」

 先ほどから何度も浮かべた感想をぶつければ恨みがましい視線が隣から刺さる。やっと出した結論なのにとか、そういう不満だろう。うなだれたようすでジョセフを見上げるシーザーは彼が女性ならとっくに泣いていたに違いない。男が人前で泣いたって構わないわけだが、彼は決してそんなことをしない。自らを生きにくく縛るシーザーの潔さを、ジョセフは好ましいと思っていた。

「まァ、おれがはっきりリクエストしておけばよかったんだよな。困らせたかったわけじゃねえんだが、悪かったよ」

 贈る側にとって、なんでもいいというのが一番大変なのだ。悩ませてしまったことを詫びてから、頭を掻いたジョセフはシーザーの肩を引き寄せる。少々強引な力を加えたおかげで恋人の大きな体がジョセフの方に倒れこんできた。シーザーは今しがたまで脱力していた腕でなにごとか抵抗してきたが、体格でまさるジョセフにがっちりホールドされていてはなかなか抜け出せない。すぐに諦めてされるがままになった彼の耳元に口を寄せた。

「誕生日だし、おれ、プレゼントがほしいんだよねェ〜。それも、とびっきりのやつ」
「…………おれにできるものならな」
「ああ、おまえにしかできないことだぜ」

 直前にバカにされたからか、念を押すシーザーの声は固い。さすがにこの流れならからかっていると思われても仕方がないだろう。彼が甘えるジョセフに弱いことはもうよく知っていて、肩口に顔を埋めるように体をすり寄せる。とたんに落ち着かなく身動ぎする彼に気づかれないよう笑った。

「今日から一年、おれの恋人でいてよ。それが、誕生日のプレゼント」

 言ったジョセフは視界をシーザーの肩で塞いだまま全身で相手のようすをうかがう。実際のところ、こんなふうに口説くのは苦手なのだ。似合わないことを言って笑われはしないだろうか。なにせ、対応を間違えれば別れ話の危機だ。ジョセフの方はなにが起ころうと別れる気はないが、シーザーが身を引いてしまえばその修復は困難になるだろう。互いの出方を伺う短い沈黙のあと、耳の上から声が降ってきた。

「……一年でいいのか?」

 望む通りの反応を得たジョセフは両腕に力を込めてシーザーを抱きしめた。少しばかり加減を間違えたのか、低い呻きが聞こえるのもご愛嬌だ。ぱっと顔を上げ、シーザーにも体ごとこちらを向かせる。憂いの色を残す瞳を見つめながら「いいんだ」と返した。
 その返事をどう受け取ったものか、シーザーの視線がうつむく。彼をもてあそんでいる自覚はあるが、仕事から帰ってくるなり別れ話を聞かされたジョセフからすればこの程度の意趣返しは可愛いものだ。言われた瞬間は本当に肝が冷えた。

「一年でいい。また来年も、おれのものになってくれるだろ?」

 意地の悪い笑い方でシーザーに尋ねればゆっくりと視線が戻ってくる。その顔が少し赤くなっている気がして、ジョセフは愛おしさに目を細めた。もうこうなればジョセフの勝ちだ、彼が別れ話を切り出すことはしばらく、今後一年はないだろう。
 冷たくなっていた気がする指を動かしてシーザーの頬に触れ、わずかに顔を傾ければエメラルドの瞳が隠れる。このあとは機嫌がよくなるに違いないシーザーを連れて外食にでも行こう、なぜなら彼はジョセフとのキスが好きだからだ。

 ひどい誕生日だった。部屋は真っ暗で、ケーキはおろか好物のひとつもなく、祝いの言葉だってもらえていない。おまけに恋人の考えることはまったく理解不能だ。それでもジョセフは今日という日に満足しているし、限りなく幸せを感じている。誕生日である今日を恋人と、それも同居している相手と迎えられるのは文句なしに幸福なことだ。願わくば来年も同じように迎えられますように、そしてそのときは別れ話のトッピングがないことを、と考えるジョセフはそっと目の前の唇を塞いだ。



カウンタートリック!(現代パラレル)

=====10月末のつもりでお読みください=====


「Trick or Treat!」

 家に帰りつくなり降らされる明るい声にまばたきする。スーツを脱いでいるはずのJOJOの姿がやけに黒っぽく見えるが、一日で趣味が変わったのだろうか。そんなことを思いながら言いかけていた「ただいま」を完遂し、肩にかけていた鞄を下ろす。今日は大学からバイト先に直行したからそれなりに重たい。

「いきなりなんなんだ、おまえ」
「今日はハロウィンだろォ? 知らないわけじゃねえよな」

 咎めるように言われるのは半分当たっていた。ハロウィンというイベントはおれの故郷ではさほど浸透していなかったから、そういうものがあるとは知っているがいつかだなんて意識したこともない。確か10月の終わりだったと思い返し、コートを脱ぎながら返した。

「今日がハロウィンだったのか。知らなかったぜ」
「んにゃ、違うけど」

 あっさりそんなふうに言われ、肩の力が抜ける。なんだそれと言おうとして振り向き、改めてJOJOの格好が目に入り思わず吹き出した。

「お、まえ……なんだ、そ、それ……!」

 はじめは気づかなかったが、よく見ればJOJOの黒髪からなにかがはみでている。髪と同じ色のそれは上に向いた三角形をしており、人工なのだろう毛皮に覆われていた。もちろん昨日まで、いや今朝まではそんなもの見ていない。頭の上から生える耳を指したJOJOはごきげんそうに笑った。

「かわいいだろ〜? 見つけて即お買い上げだったぜ」
「ふは、か、かわいいな……。猫耳か?」
「ちげーっての! 狼男だぜ、オオカミ!」

 そう主張するJOJOにやはり笑いがこみ上げる。おれの目には猫耳と変わらなく見えるのだが、本人には狼であることが重要らしかった。それにしてもかわいい。おれよりでかい男がこんなにかわいくていいのだろうか。たとえ恋人の欲目だとしても、ここはおれとJOJOしかいないのだからなんの問題もなかった。

「それで、なんでそんな格好してるんだ」
「だァから、ハロウィンだろ? 狼男は定番じゃねえの」
「……そうなのか」

 言われて彼の全身を眺めてみれば、黒っぽい格好をしているのも耳に合わせた仮装のつもりらしい。グレーのタートルネックは初めて見たから、このために買ってきたのだろうか。おれにとっては馴染みが薄いイベントだが、お祭りごとが好きなこいつが全力で楽しもうとするのもほほえましい。これでしっぽがついていれば完璧なんだがなと思い、背中に回り込もうとするのを大きな手で止められた。

「……なんだ?」
「オメー、ほんとにハロウィン知らねえんだな。Trick or Treat、おわかりィ?」

 バカにしたように眇めた目に苛立つのをぐっと押さえる。カトリックでは一般的でないイベントなのだから、疎くても仕方がないだろう。確か、子どもたちが菓子をねだる行事だったはずだ。大きい子どもに「スナックなら棚にあるだろう」と言えば盛大なため息で返された。

「ぜんっぜん、わかってねえなあ。あのなあ、ハロウィンってのは言われた方が菓子を用意できなけりゃいたずらされても文句は言えないって日なんだぜ」
「そ、そうか……いや、菓子なら棚に」
「あれはおれのぶんだろ? シーザーのもんじゃねえし」

 そう言われてしまうと返す言葉がない。棚に常備されている菓子の数々は、おれも食べることがあるが、基本的にJOJOが買ってくるものだ。菓子をねだられたおれが、本人の所有物をJOJOに渡すのはさすがにおかしい。となるとこの部屋にはおれが渡せる菓子などひとつもなかった。

「悪いが、何もない。すまないな」
「ま、わかってたけどねン。お菓子をくれないなら、いたずらさせてもらうぜ?」

 笑みを浮かべたJOJOはこちらに向けた両手を開いたり閉じたりしている。その表情はなんというか、コミックのヒーローにはなれないような悪どい感じのものだ。
 いたずらと言うと、万年筆のキャップを開けっぱなしにしたりとか、トイレットペーパーを隠したりとかだろうか? 案外労力がかかりそうだなと想像していればいきなり抱きつかれた。その手がおれの尻のあたりをまさぐる。慌てて押し返そうとしても、体格でまさるJOJO相手には難しかった。

「おまえ、どこさわってんだ!」
「だァから、いたずらだろ? 大人はこういうことするんだって、相場が決まってるんだよ」
「そ、相場……?」

 おれがかすかに知っているハロウィンの知識では、子どもが菓子を集めるほのぼのとしたイベントのはずなのだが。第一、手持ちに菓子がないくらいでセクハラされては割に合わないだろう。首筋にすり寄せられる感触に毛皮の耳が混じり、改めてJOJOの格好を思い出して笑えてくる。猫……狼の耳まで用意して、かわいいやつだと思った。

「おまえなあ……普通に誘えばいいだろう」
「こういうイベントに乗っかるのが楽しいんじゃねえの。ほら、腹ぺこ狼さんに食べられちゃうぞー」

 そう言ったJOJOに肩のあたりを噛まれて笑う。子どものいたずらなら勘弁願いたいが、こういうのなら大歓迎だ。ちらりと確認した時計は午後10時。今からふけるのになんの障害もなかった。

「おれが菓子の代わりになるなら、いくらでも食ってくれ」

 そう応えて手を伸ばせば耳のふさふさとした感触が返る。この耳をつけたJOJOはとてもかわいかった。髪の間から黒い耳をのぞかせるこいつが見られるなら、毎日がハロウィンだっていいくらいだ。ベッドの中でも外さないよう頼んでみることにして、かわいそうなおれは狼男に食われるためのキスを贈った。

 


「Trick or Treat!」

 家に帰るなり聞こえた明るい声にまばたきする。習慣になっている「ただいま」を言い切ってから鞄を置いた。仕事の書類が詰め込まれているそれはかなり重たい。首に巻いたマフラーを外しながら、当然だろう疑問をシーザーに投げた。

「急にどうしちゃったの」
「今日はハロウィンだろう。この間、おまえに言われてから調べたんだぞ」

 そう言うシーザーは心なしか誇らしげに見えた。この間というのはおれが狼耳をつけた日のことだろう。あのときは、ハロウィンが近いからとこじつけた理屈でたっぷりいたずらさせてもらった。なんだかんだとシーザーも乗り気だったのは、おれの格好に骨抜きにされたかららしい。
 こいつがおれに心底惚れているのは知っているが、安い仮装くらいであんなにメロメロになるとは思わなかった。ベッドの中でもなかなか聞けないような声で「中、出して、もっと、奥」なんてねだられてついおれも張り切ってしまったほどだ。

 それから3日経った今日が本当のハロウィンで、シーザーがねだるならもう一度あの耳をつけてもいいと思っている。パンプキンパイが食べたいとメールしたのは確か、昼前だ。
 それがなぜか、目の前のシーザーはおれのコートを羽織ってやる気に満ちた目をしている。ディナーの用意がされていることは匂いからわかるが、まだ食卓には並んでいなかった。金髪の間から黒い飾りが見えるのはコウモリの翼を模しているのだろう。

「なに、その格好」
「吸血鬼だ。ハロウィンはこういう仮装をするんだろう?」

 言い切るシーザーをよくよく見れば、肩にひっかけているだけのコートは真っ黒で吸血鬼のマントをイメージしているのがわかる。自分の服ではなくおれのコートを着ているのがほほえましい。キバをかたどったマウスピースでもしていれば本格的なのだが、それではうまくしゃべれないだろう。コウモリモチーフの髪飾りはピンで留めているらしかった。

「おれもやられっぱなしじゃつまらんからな。Trick or Treat!」

 そう高らかに言ったシーザーが手のひらを突き出す。やられっぱなしが嫌だって、毎晩おれにやられちゃってるくせに。しかしその手が菓子をよこせと要求しているのは明らかだ。仕事帰りのおれが甘味のたぐいを持っているはずがないし、常備しているスナック菓子はゆうべシーザーと一緒に食べきってしまった。そこまで含めた作戦なのだとしたら大したものだ。大変困ったという顔で眉を寄せて聞いてみた。

「もしおれが菓子を渡せなかったら、どんないたずらされちゃうわけ?」
「……どんな? そ、そうだな…………性的な……いや、それでは意味が……」
「せっかくだからヴァンパイアっぽいのがいいかなァ」
「ぽい……となると……かみつく、とかか?」

 自分から言い出したくせに不安そうに見上げるシーザーにムラッとくるものがある。イタリア人というのは案外ハロウィンの文化に不慣れらしいから、いたずらと言われても思い浮かばないのだろうがかみつくというのはいいチョイスだ。即席のヴァンパイアに向けて左手を差し出せばきょとんと開かれた瞳に見つめ返される。

「ほら。いたずらしていいぜ?」
「………………ほ、本気か!?」

 目に見えて動揺するシーザーににやにや笑いがこみ上げてしまう。数日前のおれのように菓子をねだって困らせたかったのだろうが、そのわりにはいろいろ抜けている。持ち上げた手の甲をじっと見つめるシーザーはやっと決心がついたようにおれの手を取る。外気で冷えた手のひらにシーザーの温度が触れるのが心地よかった。

「……本当に、かみついちまうぜ」
「そういういたずらなんだろ? 痛くても文句言わねえから」
「…………ぅ……」

 おれの手に顔を寄せるシーザーは腰を折る格好になり、跪いてはいないものの忠誠を誓う騎士のようにも見える。手元とおれの顔を何度も往復する視線が戸惑いを如実に伝えていた。
 細く開く唇と、その奥からのぞく舌の色に釘付けになる。中指と薬指を口内に招いたシーザーはもう一度だけおれをうかがってからごく軽く歯を立てた。触れる粘膜があたたかい。甘噛みともいえないほどの弱さで噛んだシーザーはすぐにおれの指を吐き出したが、嫌悪によるものでないことはその顔を見れば知れた。

「あれ〜シーザーちゃん、お耳が赤いけどォ?」
「うるせえ! いたずらするのはおれなんだから、からかうんじゃねえよ!」

 なんとも理不尽な言い草だが、照れたシーザーというのはレアなので至近距離からたっぷり眺め回すことにする。きざなせりふならば平気なシーザーでも、こういうのはやはり恥ずかしいらしい。おれの方がからかっているというのはそのとおりだった。

「もっと強くしてくれてもよかったんだぜ? 跡が残るくらい、ガブっとさぁ」

 シーザーが噛んだ、というか咥えたところはもちろん跡なんて残っていない。女じゃないんだから、思い切りかみつかれたって平気だっていうのに。おれからすればその方が嬉しいくらいだ。そうからかってやればヴァンパイアが「スカタン」と返した。

「おまえに傷をつけるなんて、どんな理由でもごめんだ」
「……オメー、ほんっとおれのこと大好きね」

 なんだかこちらまで照れてしまってそんな切り返ししかできない。シーザーがおれの内面と外面のどちらにも惚れぬいているのは知っているが、こいつほど色事に慣れていないおれとしては気恥ずかしい思いだ。かわいい女の子だけじゃなく、こんな大男だって本気で口説けるのはある種の才能だと思っている。
 キバのないヴァンパイアがきれいな笑みを貼りつけて一歩近づく。それだけでもとから近かった距離はほとんどゼロになった。たばこの匂いが鼻先をかすめるのはおれを待つ間吸っていたからだろうか。見せつけるような指の動きでおれの首筋をなでるシーザーはそりゃもう、魔性のようにエロかった。

「跡をつけるなら、こっちがいい」

 そう目を細めるシーザーに興奮が背を駆ける。ハロウィンってエロいイベントだ、こんな美形が吸血鬼だなんて似合いすぎててなんだって許せる。ちゃんとした仮装用のマントを明日探すことにしよう、今日はだめだ。夕食もまだだが今すぐベッドに入りたくて仕方がない。
 シーザーにつけられるのなら、キスマークだって噛み跡だってどっちでもいい。鞄の中に入れてある菓子は忘れたことにして、ヴァンパイアのいたずらを堪能するために目を閉じた。
※後半のネタは一部でアイドルマスターシンデレラガールズ劇場を参考にしています。




マジックスパイス(現代パラレル)

 シーザーのメシが食いたい、と駄々をこねるジョセフを甘やかすかたちで彼は今、キッチンに立っていた。キッチンと言っても1Kの間取りでは廊下と同じようなもので、シーザーのうしろにはわがままを言う張本人がはりついている。矢継ぎ早に繰り返される催促を適当にいなしながらシーザーは手を動かした。肉多めで、胡椒はたっぷり、野菜も必要十分なだけ。手際のいい動きを少しだけ邪魔するのがジョセフの体重だ。

 なにもシーザーは料理が得意なわけではない。歳の離れた妹たちが困らないよう、簡単なものを作る習慣はあったがそれだけだ。高級な食材の扱い方も繊細な料理の作り方も知らず、家庭料理の延長にすぎない彼の腕をジョセフは気に入ったらしかった。包丁を動かす手を止めぬまま、シーザーは「なあ」と声をかける。

「おまえ、毎回おれのメシを食いたがるが、そんなにうまいか?」
「うまいよ。おれ、シーザーの作った料理好きだもん」

 まるで子どものような言い草に自然と顔がゆるむ。背後の大きな子どもはシーザーの身長を越しているのだからかわいげもなにもあったものではないが、べったりくっつくのも不快ではないほどの親しさだった。「火使うから離れろ」と言うとやっとジョセフの体温が遠ざかる。

「アンジーが泣いてたぜ、『おぼっちゃんはわたくしたちのなにが不満なのでしょう』って」

 からかうように言って横目でジョセフをうかがう。アンジーとは彼の屋敷に勤めるキッチンメイドの一人である。それにジョセフが唇を突き出すのが見えた。拗ねたときの彼は少し背が丸まって、シーザーの視線と近づく。今ならキスできそうだな、と思ってしまってからコンロの火によるものだけではない頬のほてりを感じ、シーザーはとっさにうつむいた。

「そりゃア、うちで出るメシだってまずくはねえんだけど。なんつーのかなあ、シーザーが作るほうがうまいし……」

 ジョセフとてメイドたちが作る食事のほうが高級であることは理解している。彼女たちはそれを仕事としているだけあって、見た目も味も申し分のないものを三食用意しているはずだ。なのにその主は友人の作る大味な料理を好むのだから泣くしかできないだろう。フライパンを振り動かしながら、自信を失ったようなメイドの表情を思い出した。

「……オメー、うちのメイドに手ェ出したりすんなよ」
「ハッ、しねえよ」

 おれが狙ってるのはメイドじゃなくて、そのご主人様だからな。などと真情を口にするシーザーではない。彼は胸の内だけでアンジーへの薄っぺらい懺悔を浮かべた。

 ジョセフが彼の料理を好むのはある意味必然だとシーザーは考えている。自分の腕に自信があるから、ではもちろんない。ジョセフ以外が相手なら、例えば自分であっても、キッチンメイドたちの作る食事のほうが選ばれるのは言うまでもないだろう。その一方で、ジョセフに好かれる自信はあった。

 理由はあまりにも簡単なことだ。シーザーはジョセフの好みを知っているから、それだけである。
 元来彼は好き嫌いをしないし、祖母の教育を受けたおかげで食べ物を残すなどということもない。屋敷で働くメイドたちが食事で主人と同席することはありえないから、彼女たちの手元に届くのはいつだって空っぽの皿だけで、ジョセフが何を好んでいるかのヒントもないはずだった。

 その点、シーザーは違う。使用人と主人ではなく、友人である彼らは当然同じテーブルを囲むし、感想だって直に聞ける。抜け目なく見えて存外子どもっぽいジョセフは、最後にはすべて食べきるものの、好きなものばかり箸をつけることが多かった。シーザーが飲み物を取りにキッチンに戻っている間の短い時間でメインディッシュを食べきられたこともある。さすがに悪いと思ったのか、ばつが悪そうに視線をさまよわせるジョセフの頬が少し赤かったからシーザーは怒るどころか内心ガッツポーズを決めたものだ。

 彼の好みを知るためのシーザーの努力はそれだけではない。食事の間はつねに神経をはりめぐらせ、ジョセフがフォークを口に入れた瞬間の表情をよく観察している。不自然ではないように気をつけてはいるものの、ジョセフには「そんなに気になるゥ?」と茶化されるほどだ。毎回「人に食べさせるんだから、気にもなるだろう」とごまかすものの、実家の妹たちだってこんなにじっくり見つめた覚えはない。甘いものが好きだろうか、すっぱいものは? レモンはどうだろう、ビネガーは嫌いかもしれない。自分が作るときだけではなく、外食に出かけるときだってチェックを怠らない。おかげで、ジョセフの好みはほぼ完璧に把握できていると自負していた。

 今日のパスタはアンチョビが少なめの、彼に好まれる味のはずだ。トマトとカリフラワーのマリネも甘い味つけにして、前回よりもだいぶ食べやすいだろう。いざテーブルにつき、思惑通りに皿の中身が減っていくのを見るとほっとした思いでいっぱいになる。それを目ざとく見つけたジョセフがテーブルの反対側からフォークを向けてきた。

「なーにニヤニヤしてんの? あ、今日のメシもうめえぜ!」
「グラッツェ。おまえの食べ方は見てて気持ちいいからな、ほほえましい」

 適当にはぐらかしてシーザーもフォークを手に取る。愛情が隠し味とはよく言ったものだ。毎日、毎食、相手がグラスを持ち上げる回数までカウントして、これが愛でなくてなんだろうか。彼がシーザーの料理に飽きればこうやって部屋で食卓を囲むこともなくなるのだと思うと暗い気持ちになる。職業メイドと張り合うなんて馬鹿馬鹿しいとも思うのだが、その日を一日でも先に伸ばすためにできることはすべてやりたいという思いだった。
 しばらくはジョースター邸メイドたちの嘆きは続くだろう。ジョセフに注ぐ愛情が誰よりも大きいことを自負しているシーザーの料理が、彼に愛されないはずがないのだ。