※シーザー女体化
月に照らされるエア・サプレーナ島の広い屋敷で、大きな足音が忙しない間隔で廊下を揺らす。食堂にいても伝わるそれに並んで座る師範代たちは無言で視線を交わした。
ロギンズが「何日目だ」と言えばメッシーナは「四日目だな」と返し、それだけで会話は打ち切られる。夕食を運んでいたスージーQは、同じテーブルにつくリサリサが珍しく柔和な笑みを浮かべていることに気づいた。彼女がジョセフとシーザーの皿も並べていいのか迷う間に食堂の扉が開き、廊下の足音が余計によく聞こえるようになる。扉を開けたシーザーの後ろからジョセフの声も届き、静かな食堂の空気を揺らした。
「結婚してくれ、シーザー!」
アイビーユーメイ
ジョセフの大声をまるで聞こえなかったように無視したシーザーは、食事の席に遅れたことを短く詫びて椅子に座る。慌てて並べられる皿に礼を言うシーザーは美しい女性だった。
いつもはふわふわと揺れる金色のショートカットが今ばかりはぺたりとしぼんでいるのは、ここに来る前にシャワーを浴びてきたせいだ。波紋の修業には油がつきもので、それをこびりつかせたまま食事を始めるなどシーザーもその師も許すところではない。その手間のために、修業中の弟子二人は師範代たちよりも遅れてやってきたのだった。
風のような速さで食堂に飛び込んできたシーザーのあとを追い、すぐにジョセフも顔を見せて島の住人全員が集まる。すでに食事を始めていた師たちをよそに、乱暴に椅子を引いたジョセフはシーザーの隣に腰掛けた。
「なあ、返事は?」
彼の言葉はむろん、先ほどの求婚に続くものだ。食事のためにジョセフの呼吸法矯正マスクを外してやったシーザーはつんと横顔を向け、食前の祈りをささげる。その間も横から「なあ」と催促された彼女は冷たい眼差しで弟弟子を刺した。
「返事はNoだ」
「そうじゃねえだろ!」
シーザーとしては、促されたから心中を答えただけの話だ。都合のいい返事だけを要求するジョセフには構わず、黙ってフォークを手に取る。その間中もジョセフは姉弟子にさんざん話しかけていたが、四日間同じ光景に慣れている一同は誰も反応しなかった。
シーザーが黙々と食事を続ける間も一方的な求愛を続けていたジョセフは、彼女の皿がほとんど空になる頃合いでやっと自分のフォークを手にする。年若い彼が修行後の空腹をおしてまでかき口説き続けたのは、食事の場でもない限りシーザーが話を聞かないからだ。
無反応を貫いて食べ終えた彼女は自分の食器を片付け、一度も立ち止まることなく食堂を出て行く。すでに師範代たちも退席し、スージーQもリサリサの自室に移動したため広い空間にはジョセフ一人が残された。先に席を立ったところで大した意味はないとわかっていながらも、シーザーは大股で自分の部屋に向かう。
修業を始めて以来、ジョセフとシーザーの部屋はそれぞれに割り当てられた。「互いの呼吸のリズムをつかみなさい」と言ったリサリサが物理的なものを指していたのかはわからないが、今後共闘するはずの二人は可能な限りともに行動するよう求められている。シーザーははじめ「修業のためなら同室でもいい」と言っていたのを、そういうわけにもいかないとジョセフには隣の部屋が与えられた。
初対面で殴り合いの喧嘩をした相手であるから、四六時中顔を突き合わせるのは気詰まりだと思っていたこともある。しかし、互いを知るうちにその印象は上方修正されていった。地獄昇柱から生還して十日近く経つころにはすっかり意気投合し、ジョセフは自室に帰るのを渋るほどになった。それが今では部屋の主から冷たく突き放されるようになり、その状況が四日続いている。
自室がノックされるのを聞いたシーザーは、返事をする前にドアが開くのを見る。鍵がかかっていないのは彼女もジョセフの来訪を知っていたからだ。ジョセフ自身が矯正マスクをつけることは許可されておらず、必ず誰かに頼ることになる。それを互いにわかっているからこそ、彼は遠慮のない振る舞いをしていた。
「ノックしたなら返事をするまで待て。着替えでもしていたらどうする」
「そりゃ、ラッキーだな。でもそのうち見るわけだし?」
「そんな日は来ねえぞ、スカタン」
部屋を訪れる前に洗面所に寄り道し、歯磨きも済ませたジョセフは甘んじてマスクを嵌められることになる。ここでごねていては彼女の機嫌を損ねてこのあとの話がうまく行かなくなるからで、先に歯を磨いて手間を省いたのもそのための打算であるのは見え見えだ。シーザーもそれをわかっているはずだが、何も言わずに波紋を流してマスクを固定する。彼女にはわざわざ藪を突くつもりはなかった。
「……ほら、マスクは着けたぞ。早く自分の部屋に帰れ」
「ちょっとォ、冷たすぎるのと違う? かわいい弟弟子とおしゃべりしようぜ」
勝手に椅子に座り込んだジョセフにシーザーは呆れたような視線を投げ、自分は本を開いてベッドに掛ける。体格差があるとはいえ、シーザーほどの女なら力づくでジョセフを追い出すこともできるはずだが、実行に移せば椅子かドアか廊下が壊れかねない。諦めたようすのシーザーに、ジョセフもめげずにしゃべりかけた。
「シーザー、結婚してくれ」
確かに口にされたはずの言葉は壁に吸い込まれたように消え、シーザーは何の反応も返さなかった。聞こえていないわけでないことは彼女の視線が紙の上で動かないことから知れる。はじめの数回こそ顕著な反応を見せたシーザーだが、繰り返すうちにどんどん淡白な返事に変わり、今となっては完全に無視するようになっている。それでも聞こえないふりを徹底できないシーザーは、自分の性格が甘いことを知っていた。
「なんだよ、何が不満? おれってそんなに魅力ないのかよ」
「……そうじゃあない、お前のいいところはおれが一番よく知ってる」
すねたように呟けば、下手な芝居を諦めたシーザーが返事をよこす。矛盾した言動にますます唇をとがらせるジョセフに鋭い視線で応えた。
「お前のほうこそ、しつこくまとわりつきやがってどういうつもりだ。今のおれたちにふざけている暇はないだろう」
「ふざけてなんかねーよ。言ってるだろ、ジョースターの男が妻以外の女にキスするなんてありえねーんだって。だから、シーザーが結婚してくんなきゃ困るんだぜ」
言って胸を張るジョセフに、苦々しい顔のシーザーは何も言わなかった。
事の発端は修業中のできごとだった。ジョセフとシーザーが互いに手を伸ばし、指先が触れない距離で向かい合って立つ。片方がくっつく波紋、相手がはじく波紋を練り、十回呼吸するごとに波紋の種類を入れ替えて続けるというのがその日の課題だった。
連日執拗なまでのしごきを受けていた二人は平和にも聞こえる課題に目を丸くし、ジョセフは「んなに楽でいいの?」と呟く。それを聞きとがめた師範代たちに意味もなくランニングを課され、巻き込まれたシーザーはジョセフのすねを蹴った。
身体的負荷はほぼない課題だが、走りこみのあとにその修業を開始した二人は案外難度の高い内容に納得することになる。くっつく波紋とはじく波紋のバランスが保たれていれば二人の体は動かないはずだが、互いの呼吸のリズムが合わずにくっついてしまったり、反対にはじかれてしまう。リズムがそろったところで流れる波紋の量が同等でなければ均衡は崩れ、たたらを踏んだ二人は何度も地面に転がった。
お前が悪いだとか、下手くそだとか、子どものような罵り合いを交えながらも次第に相手の呼吸や波紋の流れがつかめるようになる。これなら二人で戦うときにも役に立つかもしれないと、やっと課題の意図が見えた気がした。
この修業は師範代たちが介入しなくても成立する。一度屋敷に引っ込んでいた師範代が顔を見せ、「そろそろ終わりだ」と告げた。その瞬間にシーザーは顔を上げ、練り上げていた波紋の流れを止める。目を閉じて集中していたジョセフはわずかに反応が遅れ、シーザーのはじく波紋で相殺されるはずのくっつく波紋の力で互いの体が引き寄せられた。
予想していなかった引力によろけた二人は折り重なって倒れこみ、唇を合わせた状態で目を見開く。それ以来、今日を含めて四日もの間シーザーはジョセフから言い寄られ続けていた。
「なあ、どうしたらおれと結婚してくれんの?」
「しない。諦めろ」
「それじゃ困るんだって!」
わめくジョセフにシーザーは本を閉じ、自室で寝るよう促す。四度目のやりとりともなればジョセフも引き際をわきまえているようで、素直に従った。ドアを閉める一瞬前、真剣な目をしたジョセフが彼女に振り向く。
「おれ、諦めねーから」
それだけを言ってジョセフは自室に戻ってしまう。あとには頬の痣を心なしか染めたシーザーが取り残され、彼女はその場に立ち尽くした。
愛の国で生まれ育ったシーザーにとって、ジョセフの稚拙とも言える口説き文句は鼻で笑う程度のものであるはずだ。だというのに、なぜだか抑えきれない動揺が生まれる。
一方で、彼女は自分がジョセフの申し出を受ける可能性はゼロだとわかっていた。二人が置かれている状況もあるし、何よりあんなに愛情を感じない口説き文句にほだされるのは自身のプライドが許さなかった。言うに事欠いて「それがジンクスだから結婚してくれ」とは何事だ。肩にのしかかるような徒労感に目を閉じたシーザーはベッドに大の字で転がる。隣の部屋で弟弟子も同じことをしているのだろうか、と考えれば薄い唇がわずかに持ち上がった。
翌日もジョセフは変わらずシーザーの隣で口説き続けた。野放図に見えて育ちがいいらしい彼は、毎朝シーザーの目覚まし時計より数分早く訪れてはそのベッドにもぐりこむ。不測の事態に備え、弟子たちには就寝中に鍵をかける権利が与えられていなかった。
数日前までは寝ているシーザーにイタズラを仕掛けるだけだったのが、今は子どものようにぴたりと貼りついてくる。寝ぼけまなこのシーザーが侵入者の顔面に裏拳を食らわせないのは、ひとえに硬いマスクを殴りつけたくないからだった。
ジョセフを追い出したシーザーは着替えのために扉を閉める。以前鍵穴から覗かれていたことを思い出し、ドアノブの上からタオルをかけた。特殊石鹸水を仕込んだ服に身を包むシーザーが部屋の外に出れば、すかさずジョセフが近寄ってくる。洗面所で顔を洗い、早朝の鍛錬に向かう間も話しかける声は離れない。だんだんと歩調が速まり、ついに走りだしたシーザーに後ろから罵声が響いた。
修業が始まれば無駄口を叩く余裕はない。ジョセフもそれをわかっているからか、修業の時間以外すべてを使ってシーザーに迫った。口にする言葉は相変わらずワンパターンなものだが、四六時中聞かされていれば断るのすら面倒になる。それでもすげなくあしらい続ける彼女に、ジョセフは不満を溜め込んでいるようだった。
その晩、またしても勝手に入ってくるジョセフにシーザーは邪険な態度を崩さなかった。限られた時間をくだらない話で浪費する彼の神経が理解できないと、以前にも口にした言葉を繰り返す。せっかく今日の修業は手応えがあったのに、進展のないやりとりで不快な気分になりたくはなかった。
「いい加減にしろ。遊んでいる場合じゃないと何度も言っているだろう」
ひとの部屋で我が物顔でくつろぐジョセフを叱りつけても大した反応はなかった。それどころか、シーザーの意図をまるっきり無視した返事が返ってくる。
「シーザーもけっこう頑固だよなぁ。どうしたら結婚してくれんの?」
「頑固なのはどっちだ。いいか、お前のようないい加減なやつとは絶対に結婚しない。わかったら諦めろ」
スージーQから届けられた洗濯物をクローゼットにしまっていたシーザーは、ジョセフの顔も見ないで言う。島には数枚の着替えしか持ってきていないが、だからといって適当に投げ出しておくのは彼女の性分ではない。がたんと音がして、ジョセフの長い足がテーブルにぶつかったのだと気づいたのは少しあとだった。
ジョセフが後ろに立てば、女性の中では長身な部類のシーザーもすっぽりと影につつまれる。しかし、シーザーは一度も彼を怖いと感じたことはなかった。あなどっているわけではなく、ジョセフが脈絡もなく暴力を振るうような男だとは思っていないからだ。
怖じることなく振り向いたシーザーは正面からジョセフの視線と向き合う。目の前の表情が常よりずっと固いことに小さな驚きと戸惑いが生まれた。
「それ、本気で言ってんの」
斜めから差し込む照明はジョセフの顔を暗く見せる。彼よりずいぶん低い位置にあるシーザーの目を見つめているせいだとわかっていても、彼の深刻そうな表情はシーザーの中にも細波を立てた。
「……今さら何を言い出すんだ。ずっと言ってるだろう、結婚しないって」
彼がペテン師の天分を持っていることを思い出したシーザーは、先ほどまでと変わらずそっけない調子で返した。妙に張り詰めた空気を振り切るように再びクローゼットに向きあい、忙しく手を動かす。背中に感じるジョセフの気配はしばらく動かなかった。
「…………そうかよ」
ぽつりとこぼした彼の声はあまりに小さく、シーザーは自分の聞き間違いかと耳をそばだてる。それきりジョセフは何も言わず、無言のうちにシーザーの部屋を出て行った。普段のような足音は生まれず、ドアが一度開閉される音だけが彼女の耳に届く。閉じた扉をしばらく見つめていたシーザーは、結局唇をかたく結んでやりかけていた作業に戻った。
翌朝、ジョセフはシーザーの部屋を訪れなかった。彼の体温で目覚めることに慣れていたシーザーは寝過ごし、息を切らせて修行場に向かう。そこにはすでにジョセフが待っており、彼女の姿をみとめた瞬間にわずかに視線が動く。しかし彼が口を開くことはなく、早朝の鍛錬の間もずっと重い沈黙が満ちていた。
いやな緊張はその日一日中途切れることがなく、修業をつけている師範代たちにもからかわれた。適当にかわすジョセフは彼ら相手にはジョークを交えるし、軽薄そうにも振る舞ってみせる。その一方で、シーザーに対しては雄弁な視線だけを投げかけ続けていた。
前夜のできごとからして、「結婚しない」と言い切ったシーザーに不満があることは伝わる。それでも彼女は考えを曲げるつもりはなかった。
一度だけ、それも偶然の事故でキスしただけで相手を妻にするなど馬鹿げていると言うほかない。それに、同じ迫るにしてももう少しやり方があるだろうとシーザーは胸中で毒づく。仕方ないから結婚してくれと言われて喜ぶ女性がどこにいると言うのか。愛しているから一生そばに居てほしいとか、きみの一番になりたいとか、イタリア人でなくともプロポーズの言葉くらい考えられるはずだ。そういうアプローチならばシーザーだって悪い気はしない。そこまで考えて、シーザーは己の頬に手の甲を当てる。冬の寒さに手が冷えてしまったのか、頬に熱を感じた。
不満を隠さずにだんまりを決め込むジョセフだが、彼が諦めていないことはひしひしと伝わる。修業の最中も、その合間も、シーザーの体には常に彼の視線がまとわりついていた。諾と返事するまでこのままなのだと脅迫されているような気分だ。感じる居心地の悪さもまるでこたえていないような顔をして、シーザーは一日の修業を終えた。
朝に顔を見せなかったのだから晩もそうするだろうと思っていた彼女の予想は外れることになる。夕食のあと、スージーQと立ち話をしてから自室に戻ったシーザーはベッドの上に大きなシルエットを見つけて驚きに目を開いた。照明の下のジョセフは呼吸法矯正マスクをつけておらず、黒い金属はサイドテーブルの上にある。わざわざシーザーの部屋を訪ねた彼はまだ大人げない沈黙を続けていた。
「……マスクなら、おれでなくとも先生や師範代たちに頼めばいいだろう。お前がおれと話すことはないと思ったんだがな」
驚いてみせるのは相手の思い通りのようで、シーザーは平静を装って自室に入る。投げた皮肉も扉を閉めないのも暗に出て行けと示していて、聡いジョセフならその意図に気づかないはずがない。まるで彼がいないように振る舞うシーザーの背に鋭い視線がつきささる。
正直に言うなら、シーザーも苛立っていた。小さな事故に目くじらを立てて一生の約束を迫る神経も理解できないし、それが受け入れられないからと言って嫌味な態度を取り続ける彼には子どもだと言うほかない。ジョセフに言ったとおり、シーザーはこれ以上この話をするつもりはなかった。
ジョセフの気配がベッドを離れ、シーザーの方に近づいてくる。視線を向けずに察したシーザーは素直に部屋を出るのかと考え、それからマスクの存在を思い出してそちらを振り向く。視界いっぱいに黒い壁が広がり、一瞬状況が理解できなかった。
その隙に体が押され、すぐ近くの壁に背が触れる。見上げればひどく真剣な顔をしたジョセフがすぐそばに立ち、両手は彼女を囲うように壁に置かれていた。毎日顔を合わせていても修業以外でこんなふうに接近したことはない。なぜだか動揺してしまい、シーザーの視線はあてもなく泳ぐ。彼女を見下ろすジョセフの雰囲気は剣呑だった。
「シーザー、おれ、冗談で言ってるんじゃあないぜ。もう一度考えてくれ」
「……なら、ますますお断りだ。お前だってあれだけのことで人生を決めるのはばかばかしいだろう、頭を冷やせ」
動くつもりのないらしいジョセフをどかすのは少々面倒だとシーザーは考える。特殊石鹸水の予備ならポケットに入れているが、これだけ密着した相手なら悟られずに取り出すことは難しい。体術で押しのけるにしても廊下まで騒ぎが響くだろうし、ジョセフに怪我を負わせて修業に支障が出ては本末転倒だ。穏便に言い聞かせるしかないと諦め、彼の目をまっすぐに見上げる。高圧的な行動に出たくせに、ジョセフの顔には弱気がにじんでいた。
「頭なら冷えてるよ、どれだけ考えたと思ってんだ。でも、どうしてもだめだ。……おれのものになってほしい」
虫のいい言葉にシーザーの中の溜まっていたものがはじける。がらあきの胸ぐらをつかみ、思い切り下に引き寄せればジョセフの口から潰れた声が漏れた。不毛なやりとりが始まってから今日で六日になる。それだけの時間を自分勝手に翻弄してきたジョセフに対する不満がまっすぐ声に出た。
「おれのもん? ふざけんな! ジョースター家のジンクスだかなんだか知らないが、義務感で言い寄られてたまるか! 軽々しく言いやがって、結婚なんて愛し合ってなきゃ無意味なんだよ。お前だって、好きでもない女と結婚なんてごめんだろ!」
言ったシーザーは満足げに息をつく。はじめからこう言ってやればよかったのかもしれないと思いつつ、そもそもジョセフがこれほど執念深いとは思わなかったのだから仕方ないと言い聞かせる。これで目を覚ましただろうとどこか晴れ晴れとした気分でジョセフを見上げれば、彼はなぜだかぽかんとした顔をしていた。
奇妙な沈黙が落ちる。それほど妙なことを言っただろうかと考えるシーザーは自室のドアが開いたままであることを思い出したが、今となっては手遅れだ。誰かが聞きつけていませんように、と願ったおかげか、今のところ廊下は静かだった。
「……えーっと……あれ? なんていうか……確認したいんだけど」
ジョセフは戸惑ったようすだが、多少すっきりしたものの完全に気が晴れたわけではないシーザーは胸ぐらをつかむ手をゆるめなかった。不自然に腰を折る彼は苦しいかもしれないが、今のシーザーには知ったことではない。黙って先を促せばジョセフは情けなく眉を下げて続けた。
「おれはシーザーが好きだから、こういうこと言ってるって……わかってるんだよな?」
「…………は?」
今度の沈黙は長かった。ジョセフの言葉を理解しようと努力するシーザーの思考は途中で何度も寸断され、袋小路に入り込む。彼が一度だってそんな態度を見せたことがあったか? ジョースター家の伝統を持ちだしてはそれを破るわけにはいかない、と自分勝手な理屈を押し付けてきただけだ。シーザーに対してどう思っているかを口にしたことはない。
今までの言動とあまりに食い違う言葉に、騙されているのだと結論付けるのが妥当だと思える。彼女の考えに割りこむようにジョセフは慌てて言葉を継いだ。
「Oh My God! マジかよ。ちっと考えたらすぐわかるだろ、そもそも倒れたぐらいで偶然チューするか? 狙ってなきゃできねーっての」
「な……お前、それじゃあれは……!」
「たりめーだろ、口と口とがくっつくんだぜ? ぶっ倒れそうつっても、いくらでもかわしようがあるっての」
ジョセフが言い寄るきっかけのできごとが故意によるものだと知り、シーザーの頭の中は混迷を極めた。はじめから口実にするつもりでキスをしたと言うのならば、それがジョセフの真意ということになる。しかし、本人から言われたところでいまだにシーザーの思考は混乱の中だった。
「……なんで、そんなことしたんだ」
「あー……既成事実っていうの? 普通に告白したらダメそうだけど、これならシーザーも仕方ないなって言ってくれるんじゃねーのって……」
「じゃあ、さんざん言ってた『ジョースター家の男は妻以外の女性にキスしない』というのは嘘か?」
「それは本当だって。シーザーって先祖からの言い伝えとか、伝統とかに弱そうだし、好きって言うよりこっちで……もしかしてェ、逆効果だった?」
愛想笑いを浮かべてこちらを見るジョセフに、シーザーは全身の力が抜けるのを感じた。
女心をわかっていない。まったく、わかっていない。そのうえ、回りくどいやり方でかえって損をしている。策士策に溺れるとはこういうことなのだろうか、彼の子どものような思いつきに翻弄されていたことに憤りよりも呆れを浮かべる。
ジョセフはシーザーに逃げられないよう仕掛けを施したつもりでも、その目標は「シーザーと結婚する」ことだけで、彼女に愛されることを少しも考えていない。それほど乾燥した結びつきで満足できるのかとシーザーには疑問だが、結婚してしまえばこちらのものという打算があるのかもしれないし、案外何も考えていないのかもしれなかった。
力の抜けたシーザーの手から解放されたジョセフが不安げに彼女をうかがっている。必要とあらば自信に満ちたハッタリをかましてみせる男が彼女の一挙手一投足に神経をとがらせているのは新鮮で、考えるのがばからしくなってきたシーザーは気の抜けた笑みを作る。ジョセフが、自分を好き。その事実を噛み締めるシーザーは胸の中心にあたたかい温度を感じた。
「好きだ」と一言言えばすむ話をややこしくこじらせたジョセフは、ほかでもないシーザーへの恋情に迷ったからこそこれほど愚鈍な手を選んだわけだ。恋は盲目とはよく言ったもので、ジョセフはいまだにどこがまずかったのかわからないらしい。シーザーの出方を待つ彼に教えるような気分で口を開いた。
「お前は……恋愛のやり方を何も知らないようだな。いいか、あれじゃあ一生かかっても彼女はできない。おれを好きだというのならやり直せ」
「えー、今さら恥ずかピーんだけどォ……。じゃ、その…………おれと結婚してくだ」
「スカタン、違う」
まだるっこしい言葉に焦れたシーザーは再びジョセフの胸ぐらを引き寄せ、告白しかけて開いたままの唇にくちづける。修業中の意図的な事故はほんの短い間触れるだけで、愛情を乗せたキスは初めてだった。凍りついたように動かないジョセフの唇はあたたかく、シーザーはまつげを伏せてその感触を味わう。そっと体を離してもジョセフは指一本動かさなかった。
その頬が真っ赤に染まっているのを見て、大胆不敵な策士のギャップにシーザーは微笑む。それは馬鹿にしたわけではなく、愛おしさのためだった。結婚してくれと繰り返すだけではなく、自身の思いをぶつけなければ愛の告白にはならない。わかっていないジョセフに手本を示してみせたシーザーは、この数日間の意趣返しも込めて完璧な笑みを向けた。
「JOJO、おれはジョースター家の伝統のためじゃなく、おれのためにお前と結婚したい。返事を聞かせてくれるよな、ハニー?」
答えは熱い抱擁で返され、彼女は声を漏らして笑った。彼の思いを知った今、その手を拒むことに意味はない。熱っぽい声でささやかれ、シーザーの胸は欠けていたものが埋められたような幸福感に包まれた。