それからさらに幾晩か経つころ、シーザーは路上のしおれた花を眺めながら手持ち無沙汰にしていた。いつもならべったりとくっついているはずのジョセフの影はない。昨日から彼は姿を見せず、今まで毎日聞いていただけにあのおどけた声がないのはさびしいような気にさせた。
 彼に伝えたいことがあって待ち続けているというのに、タイミングを逃すやつだ。シーザーがうつむかせた頭を持ち上げれば真っ赤な太陽が冷たい空気に落ちていくところだった。
 毎日繰り返されるその光景を見ながら、ジョセフはもうやってこないのではないかという考えが唐突に生まれる。

 彼に初めて会った日から、顔を合わせない日は一日もなかったくらいだから、いつのまにかそれが当然だと考えるようになっていた。だが、ジョセフがこんなところまでやってきても何の利もないばかりか危険しかない。彼の目的も知らないというのに、朝が来ればまた会えるとシーザーは根拠もなく思い込んでいたのだ。
 そのことに気づいた途端、小さな胸の内を不安が占める。ジョセフは来てくれるだろうか。今日は会えたとしても、明日はわからない。シーザーの方から探し当てたくても、手がかりもないのだから無理だろう。二人のあいだに何ひとつ確かなものはなかった。

「――シーザー?」

 思いに沈むシーザーは砂利を踏むわずかな音と慣れた声を聞く。それにぱっと顔を上げたシーザーは表情が勝手にゆるむのを感じていた。どうやってかはわからないが、ジョセフは必ず彼の居場所を探しだす。一度、「悪霊が教えてくれるのよン」とウインクされたことがあったがその意図はつかめないままだった。

「……今日はずいぶん遅かったじゃないか。そろそろ日が暮れるぜ」
「なぁに、ジョセフくんに会えなくてさびしかったって? かわいーこと言ってくれるじゃねえの」
「そんなこと言ってないだろう!」

 からかう言葉についむきになる。口にしていないはずの本心を見透かされたようで居心地が悪かった。「会いたかった」と言ってしまえば子どもっぽい気がして、必要以上に冷たい態度をとってしまうシーザーの頑なさを気にした様子もなくジョセフはなにやらポケットの中を探っていた。

「これ。きれいだろ?」
「……なんだ?」

 大きい手のひらを差し出され、その中心に座る見慣れないものに目を凝らす。ガラス玉らしいそれはよく見れば細かな加工が施され、夕日を反射してきらめいていた。半球系の中に虹色のラインがあしらわれ、幼いころに浮かべたシャボン玉を思い出す。
 脈絡もなく現れたそれに無言で固まっているシーザーにじれたのか、咳払いしたジョセフが勝手にしゃべりだした。

「ヴェネチアングラスだぜ。見たことある? 職人って器用だよなァ〜」
「……これが、なんだって言うんだ」

 目の前で転がされる淡い色にシーザーは眉を寄せて見上げた。顔を合わせるなりみせびらかすなんて、自慢しにやって来たのかと思ってしまう。子どもっぽく感情を顔に出すシーザーにジョセフはすこしだけ目を細めた。

「手みやげだよ。そういうわけだから、受け取ってくれるよな」
「あっ、てめ、突っ込むな!」

 ジョセフの手がシーザーの上着をめくりあげ、小さなガラスをズボンのポケットにねじ込む。わざわざ手みやげだと断ったのは、施しなら受けないと以前突っぱねたのを律儀に覚えていたのだろうか。有無をいわさず押しつけられたシーザーはなによりもジョセフの体温を近くに感じてしまい、思うように抵抗できない。満足したように離れていくジョセフに薄くため息が漏れた。

 彼はなにもわかっていない。ガラス玉の輝きは確かにきれいだと思うが、そこに工芸品としての価値を見いだすよりも、しみついた習性が換金すればいくらになるのかと値踏みを始めてしまう。シーザーは自身に贈り物を受け取るだけの資格がないと感じていた。

「それにチェーン通せば身につけてられるだろ? 毎日おれのこと思い出してね、なーんて」

 軽い声とともに飛ばされたウインクに胸が苦しくなる。プレゼントをプレゼントとして受け取れるのは心身に余裕がある者だけだ。見返りを期待していない純粋な好意の発露であるだけに、罪悪感が大きく育っていく。嬉しいと思う前に金銭価値を考えてしまうような相手になにも与えるべきではないのだ。

「……あ」

 小さなアイディアがひらめきシーザーは思わず声を出した。繊細なアクセサリーは彼の手の中にあるより、もっとふさわしい活用法がある。受け取った礼はあえてあとまわしにして、怪訝そうに見つめるジョセフに口を開いた。

「――お前、金髪の子が好きって言ってたよな? ここから西に小さな町があるんだが、少し外れたところにかわいいシニョリーナの家があるんだ。家族で住んでいて、父親が厳格な人らしい。お前はちゃらんぽらんに見えるが根は立派だし、うまくやれるだろう」
「……おい、シーザー? 何の話だよ」
「なにって、お前の彼女候補の話だろう。おれがごろつきのふりをしてそのシニョリーナをさらうから、お前が助け出してやればいい。娘も父親も感激してうまく話が進むんじゃないか?」

 シーザーが件の女性を見つけたのは昨日だ。こんな汚れた格好では声をかけることなどできないから物陰に隠れて様子をうかがうだけだったが、流れる金髪も聞こえる鼻歌も明るく愛らしい印象を受けた。先祖は爵位を受けたこともあるそうだから、ジョセフの恋人としても申し分ないだろう。そんな相手を見つけられたことをシーザーは誇らしく思っていた。

「……勝手なことを言ってすまない。だが、おれにできる恩返しはこれくらいなんだ」
「…………」

 ジョセフは何も言わなかった。自分よりずっと背の高い相手に黙って見下ろされるのは相当の威圧感がある。
 いきなり押しつけがましいことを言って、気分を害しただろうか。しかしシーザーはジョセフに恋人がいないことをつねづね不思議に思っていたし、多少強引にでも引き合わせてやれば考えも変わるだろうと楽観していた。ジョセフを支える存在は必要なのだから、本人にその気がないのならばシーザーが代わりに探してやろうと思っている。

「彼女に会えばきっとお前も気に入るさ。だから、これはおれじゃなくてシニョリーナに渡してくれ」

 そう続けて、シーザーは先ほど無理やり押し込まれたガラス玉を返そうとポケットの中を探る。彼から視線を外した瞬間に強い力で肩を押され、背中を廃墟の壁にしたたか打ちつけた。

「――ってェ! てめえ、なにしやが……」
「シーザー」

 耳元に低い声が聞こえ体が緊張する。壁とジョセフの体に挟まれ、シーザーはほとんど身動きできない状態だった。今までもこれくらい密着したことはあったが、彼のまとう雰囲気が違う。いつだって安心させてくれたはずのジョセフの体温を感じながらシーザーの内心は恐怖に濡れた。

「それ、礼のつもりでやってんの? おれが喜ぶだろうって?」
「……すまない、勝手なことを言って、迷惑だよな」
「ああ。おまえ、ぜんぜんわかってねえよ」

 冷たい声にシーザーの心がますます波打つ。ジョセフを怒らせてしまった。一生をかけても尽くすと決めた相手なのに、これでは恩を仇で返しているようなものだと情けなさが目尻に浮かぶ。それでも、ほしいものを口にしてくれないジョセフになにができるだろうと懸命に考えた結果だったのだ。

「…………おれは、お前に礼がしたいんだ。でも、どうしたらいいのかわからない」

 絞り出した声はシーザー自身でもわかるほど頼りなく揺れていた。もっと大人であればスマートに振る舞えるのかも知れないが、今の彼には無理な相談だろう。途方に暮れながら返る言葉をただ待った。

「おれに礼がしたい、か。……なんでもするって言ってたよな」
「もちろんだ、おれにできることならなんでも……」

 確かめるような声に急いで返事する。ジョセフのために自分ができることなど果たしてあるのかわからないが、彼が望むのならどんな犯罪にでも手を染めようと思えた。
 短い沈黙のあと、壁に置かれていたジョセフの手が動いてシーザーの背に回る。一度しばたいたシーザーは続く言葉に目を大きく見開いた。

「――じゃあ、体で払ってくれよ。おれとセックスして」
「…………ッ、な……!?」

 唐突な言葉に一瞬声を出すことができなかった。セックス? シーザーにもその言葉が指すものはわかる。しかし、今の状況とはまるで結びつかない単語に疑問符が高速で飛び交った。

「それは、男女でするものだろう!」
「ヘエ、知ってんだ。でもちょびっと間違ってるな。男同士でも、こっち使えばできるんだぜ」

 言いながらジョセフの手が尻に伸びる。ボトムの上から谷間をゆっくりとなぞられてシーザーは言いしれない悪寒にあえいだ。同性間のセックスなどシーザーの知識にはないが、同時にその手を跳ねのけるだけの勇気もない。なにより、それがジョセフの望みならば応えるしかなかった。
 懸命に考えた結果だったのに、彼は勝手に女性をあてがおうとするシーザーに怒ってみせた。ならば、シーザーがジョセフのために尽くせる方法はこれだけなのではないだろうか。そう気づいてしまったシーザーは抵抗するすべを持たない。揺れる呼吸には気づいているだろうに、ジョセフの指がゆっくりと胸元を撫でた。



 ひきつれた声が漏れないように手のひらで必死に塞ぐ。内側にこもる自分の呼吸を聞きながら、まるで獣のうなり声のようだとどこか冷静な自分がシーザー自身を観察していた。

「……っ、ふ…………ぅ……!」

 必死に肩で息をするシーザーの後ろには油で濡れた指が入り込んでいた。ジョセフに抜き差しされるたび、意思とは無関係に粘った音が生まれる。
 ジョセフがどこからか小瓶を取り出したときには驚いたものだが、彼は「波紋修業で……あー、いや、ただの油だよ」と簡単に答えてみせた。その潤滑油のおかげで太い指を飲み込んでいるシーザーにも痛みはない。それでも異物感は拭えず、泣き声を出さないだけで精いっぱいだった。

 後ろから好きなようにいじられ、体を震わせるたびに金髪が壁に散る。頬に当たる冷たい感触はこころよいものではなかったが、すがるものがなければ今のシーザーは立っていられなかっただろう。ズボンを膝まで下ろされた間抜けな格好に、長い上着の裾が背中まで持ち上げられているのを感じる。穴を広げられる感覚になめらかな背が丸まった。

「ん、く……っ」
「痛くねえ?」
「……ッ、ん……!」

 のんびりとかけられる声に首を振って答える。挿れる本数を増やしたらしい指がシーザーの内壁をゆっくり撫でていった。傷をつけないよう気を遣ってくれているのは感じるが、かといってジョセフにシーザーの胸中を慮るつもりはなさそうだった。乱れる息をととのえる間もなく与えられる刺激に頭が追いつかない。日が落ちるにつれ風が冷たくなっているというのに、体の奥からにじんだ汗が肌を濡らした。

「……でも、気持ちよくはないんだよな。勃ってねーし」
「ンンッ! さわ、なあっ!」

 ジョセフの左手が性器に触れ、慌てたシーザーは口元を覆う手を外して抗議する。とはいえ急所をさらした状態では暴れることもできず、言葉だけの抵抗はあっさりと無視された。足の間に垂れたそれが大きな手に包まれ、やさしく上下にこすられる。そうすれば反応してしまうのは当然で、だれかの手にしごかれる快感で背筋が痺れた。

「かわいーな。これ、女に突っ込んだことあんの?」
「…………」

 あからさまにからかう言葉を無視して再び手のひらに唇を押しつける。息苦しさは増すが、まともに答えるよりずっとましだと思えた。それでも素直に反応する体が恨めしく、器用な手に責められるとどうしても熱が上がる。膨らんだ自身を視界に入れなくて済むのが救いだった。

「エーット、付け根の裏側……だっけ?」

 背後から聞こえるジョセフの声はのんきなもので、おもちゃの仕組みをのぞこうとする子どもと変わりがない。言いながら差し込まれた指が確かめるように動き、とたんに駆け抜けた刺激にシーザーの唇から高い声がこぼれた。

「――ひぁあっ!?」
「お、ここか」
「なん、ァ、ん――! これ、っへん、ああ……っ!」

 聞いたことのないような声が次々とこぼれるのを止められない。ジョセフがほんのわずかに指を動かす、それだけの刺激でめまいのするような性感が生まれる。加えて自身をしごく手も止めてはもらえず、すっかり上を向いた幹を先走りが伝った。
 反射的に逃げようとする体がジョセフから遠ざかる方に動く。壁に押しつけた胸元から冷えた感触を布越しに感じ、それがなぜだか甘い痺れとなって腰に溜まっていった。体をよじってももたらされる刺激から解放してもらえず、嫌がるつもりが尻を振るだけに終わる。背中と腰の間にやわらかく触れたのはジョセフの唇かも知れなかった。

「あっ、んぁ、ぁあっ! ひぁ、ん……! や、だぁ――ッ!」
「あー……かわいい、ちくしょー……」

 ひとりごとのようなジョセフの呟きが聞こえ、シーザーの後ろを埋めていた指が引き抜かれる。それだけで倒れ込みそうになったシーザーは肩で壁にもたれながら必死に浅い呼吸を繰り返した。触れられたところが熱を持っているような気がして、同時に彼の体温が去ったことに妙な心細さを覚えてしまう。背中の方から金具のぶつかる音が聞こえ、振り向こうと体を反転させかけたところで腰を掴まれた。
 ジョセフをうかがえなくなったシーザーが地面に視線を落とした瞬間、肌に濡れた熱を感じて体がすくむ。もう一度無理に体をねじって顔を向けようとするが、視界に入れるまでもなくそれがなんなのかをわかっていた。

「力抜いてろよ」
「ジョ……! そん、ぁ、あ――!」

 シーザーの声をまるで無視して体を開かれる。ついさっきまで男を知らなかったそこに突き立てられるものはジョセフの性器に違いなかった。信じられないほど熱く太い杭に貫かれ、シーザーは目の前の壁に爪を立てる。果てがないと思えるほどの大きさのそれがずぶずぶと沈み、どれほどの深さを犯されたのかわからなくなったところで挿入する動きが止まった。

「ぁ、う――ッ、ん、はっ……」
「……やっぱ、ぜんぶは入んねえか」

 自分の荒い呼吸の合間からジョセフのそんな声を拾ってシーザーは汗を滴らせた。串刺しにされたような思いでいるというのに、これでもすべて飲み込んだわけではないのだろうか。ほとんど恐怖で身を震わせるのに反応して後孔が収縮してしまう。それだけで彼の熱をより感じ、言葉にならない喘ぎが漏れた。

「動くぜ」
「ぁ、まだ、や――っあぁん!」

 宣言するなり律動を始めたジョセフへの抗議が裏返る。一度覚えた性感帯を太い性器がなぶり、誰かと肌を交わすのは初めてだというのにシーザーの体は紛れもない快感に翻弄された。引きぬく動きのたびに声がうわずり、奥まで突かれれば媚びるような嬌声があふれる。ジョセフとの体格差のために自然とつま先立ちの格好になり、腰を掴む彼の手にかろうじて体重を支えられているだけだった。
 浅いところにある一点をこすられると勝手に力が抜ける。甘える声をうとましく思いながらも、唇を結ぶことすらできなかった。

「そんなにアンアン喘いじゃ、だれかに見られちまう、んじゃねえ……?」
「だっ……や、あ……! ふぁ、んん……!」
「それとも、見てほしいとか?」
「ち、が……ぁん、あ――!」

 腰を折り、ほとんどシーザーの背にのしかかるように密着したジョセフの言葉に首を振る。耳元に吹き込まれる低い声すらもてあます熱を加速させた。
 貧民街で生きている連中にとって、情報がすべてだ。誰も寄りつかないような路地で人が倒れているだけでそこが宝の山になるのだから、ここに生きるすべての者がわずかな物音も聞き漏らすまいと耳をそばだてている。当然、シーザーが男に抱かれているさまも見られていないはずがなかった。不思議な力を持つ二人に手を出す命知らずはまさかいないだろうが、無遠慮な視線にさらされていると思うと腰の奥が熱くなる。貧民街の実情を知ってか知らずか、ジョセフの手がシーザーの腹筋をなぞって下腹に触れた。

「こっちもよさそうだし、シーザーって才能あるんじゃねえの」
「んぁっ! ゃ、それ、きもちい…………ぁ、ひ……!」
「……やらしー」

 後ろを責められながら性器も撫でられ、弛緩したシーザーの体がふらふらと揺れる。幼いころに家を飛び出したシーザーは性知識に乏しく、セックスがこれほど頭を溶かすものだとは初めて知った。シーザーが感じているのと同じくらいジョセフにも気持ちよくなってもらえるのなら、対価として体を求められた意味も理解できる。男女が愛を確認する行為なのだという思い込みが彼に愛されているような錯覚を連れてきた。
 熱い息を耳元に感じたシーザーが一瞬意識を飛ばすのと同時、全身が宙に浮く。比喩ではなく、ジョセフの両腕に持ち上げられたシーザーは心臓が浮き上がるような不快感とわずかな高揚を覚えた。重力に従って落ちた体がジョセフの性器を深く飲み込む。シーザーの背が彼の胸に密着し、宙ぶらりんの足が何度も跳ねた。

「――あぁぁっ! ふか、ぁ…………んあっ!」
「すげー……中、びくびくしてんのわかる? 今からこんなに淫乱じゃ、将来が心配になるっての」
「これ、ぇ、んあ……! ッ、あー……!」

 ジョセフはシーザーの体を軽々と持ち上げ、両膝の裏を掴んで好きに揺さぶった。体格差を思い知らされる格好に羞恥心が湧きあがるが、かえって性感が煽られるようでどうしようもない。逃げ場も奪われ、ジョセフの腕の中で身悶えるしかできなかった。

「トロットロだし……えっろ……」
「は――ぁん、っあぁ……!」
「シーザー……」

 熱っぽくかすれたジョセフの声に溺れそうになる。首筋に何度もキスが落とされ、じわじわと思考が沈んでいった。触れられていないはずの性器が先走りをこぼすのを見られていなければいいと思う。されるがままに体をあずけるシーザーを抱く力が強くなり、耳の裏側にマーキングするように黒髪が押しつけられた。

「……も、いきそ……」
「ふ、ぁ……? あっ、ん……」
「中、出すぜ」

 ささやかれた男らしい声にシーザーの意識が引き戻される。中に出すというのは、このまま抜かずに射精するということだ。気づいた途端に体がこわばる。ざっと血の気の引く感覚に、おそらく体温も下がっただろう。
 表情もなく固まるシーザーに気づいた様子のないジョセフは腰を振って深いストロークを繰り返している。それから逃れようともがいてみるが、快感にひたされた体は思うように動いてくれない。怪訝そうなジョセフの視線が注がれるのを肌で感じた。

「やだ、中、だめ、だ……!」
「シーザー? 急に、なん――」
「やめ…………ッあ、赤ちゃん、できちゃ……!」

 必死に叫ぶシーザーにジョセフの動きが止まる。それに安堵したのもほんのわずかな間だけで、すぐ近くから聞こえる忍び笑いにいやな予感が走り抜けた。深く刺さった性器が半ばまで引きぬかれ、息をつく前に勢い良く穿たれる。ぞっとするような快感にシーザーの喉が鳴った。

「安心しろって。ガキなんてできるわけねーだろ」

 笑みを含んで告げたジョセフは手加減なく腰を打ちつけ、シーザーは揺さぶられながら涙がにじむのを自覚した。

 十分な性教育を受けることなく貧民街に転がり込んだ彼がそういったことにうといのは当然と言えるだろう。女性ならば食い詰めたとしてもどこかに売り飛ばされるのがおちで、こんなところまでやってくるわけがなく、異性と接する機会そのものが極端に少ない。仲間と呼べる相手がいない以上悪い遊びを教えられることもなかった。
 唯一の性に関する知識といえば両親に「赤ちゃんはどうして生まれるの?」と聞いたときの答えくらいのもので、実を言えばセックスとは具体的にどんな行為を指すのかもよく知らない。薄汚れたポルノ雑誌で裸の男女が抱き合っているのを見てぼんやりと察したくらいのものだ。結局、子作りについてもあいまいな知識しか持てなかった。

 そんなシーザーにとってセックスと受胎は強く結びついている。おっとりした母には「なかよしの夫婦が望めば赤ちゃんがやってくるのよ」と教えられたが、言葉を濁された部分が性行為を指していることはもうわかっていた。受精の仕組みも知らない彼の理解は『愛しあう二人がセックスすれば子どもができる』というだけの、至極単純な構造である。

 だからこそ今のジョセフの言葉に一瞬視界が暗くなるほどの衝撃を覚えた。同性同士であるとはいえこの行為は紛れもないセックスであるはずで、それなのにジョセフは「ガキができるわけない」と笑ってみせた。ならば、そこから導かれる答えは一つだ。彼はシーザーを愛していない。互いを思い合う二人のもとに生命が宿るはずだと信じるシーザーが至った結論は胸を冷たく切り裂いた。

「やだ、抜け、っんぁ! 抜い、だめ、ぇ……!」
「かわいー……」

 涙混じりのシーザーの叫びがジョセフを通り抜けて狭い路地に響く。夕日が影を伸ばし、暗い視界がますます恐怖を煽った。彼の太い腕に爪を立ててみるが、汗ですべる指は表面を引っ掻くに終わる。早く逃げなくてはと思うのに手も足も思うように動かず、焦燥だけが降り積もっていった。わずかな抵抗も封じ込めるつもりなのか、片腕でシーザーを支えたジョセフが性器を愛撫する。性感の束と言えるそこを刺激され、シーザーの意思とは裏腹にのぼりつめていく体が滑稽だった。

「あ、ぁ……っ! ひぁ、あ――!」
「――ッ、出る……」

 先端の小さな穴に指を押しつけられ、痛みとともに大きな性感に襲われる。耐え切れず達したシーザーの内側にも熱いものが注がれ、中に出されたのだとわかった。精液を吐き出しながら小さく痙攣するシーザーの中で太い性器が何度も脈打つのを感じる。熱病に浮かされたように震える体がゆっくりと脱力し、ジョセフの胸に体重を投げ出した。
 射精してしまえばあとに残るのは倦怠感だ。他人に高められたあとでもそれは変わらず、ぐったりと息をつくシーザーの頭がぐいとあお向けられた。後ろ髪がジョセフの首筋に貼りつくのを感じながらまぶたを持ち上げれば、焦点が合わないほどの近さに男らしい顔立ちを見つける。唇が重なる感触を味わいながらシーザーの胸のうちは空っぽになったような気がした。

「……泣くなよ」
「泣いて、ねえ……」
「だから、泣くなって」

 性器を抜かれ、地面に下ろされたシーザーの目もとをジョセフの指が撫でる。彼が自分を愛してくれたらどんなにいいだろう、と考えてしまったシーザーはあふれる水分を隠すために下を向かなくてはならなかった。今しがたの行為で思い知ったはずなのに、まだどこかで淡い期待を抱いている。返しそびれたガラス玉はとっくにどこかへ消え、路上で一瞬光ったように見えたのも気のせいかもしれなかった。
 肉体的な疲労と精神の衰弱が睡魔を呼び寄せたようで、まだ宵の口だというのに意識が薄くなる。重たい頭を無理に持ち上げればジョセフと目が合い、無言のうちにやさしく口づけられた。その瞬間に睡魔に抗うだけの気力が消えうせ、引き込まれるように思考が沈んでいく。夜空の端に夕日の残滓がこびりつき、なぜだか胸が痛くなった。



 次に目を覚ますのは明け方だろうと思っていたのに、昼を思わせる日差しに焦がされてシーザーはのろのろと目を開けた。途端に視界を太陽に焼かれ、ぎゅっと目を閉じる。もう一度眠りの淵に沈む前に違和感を覚えて再びまぶたをこじあけた。

 あたりはあたたかな空気に満ち、朝どころか正午を回ってしばらく経つころだろう。ひどく乱れたはずの着衣もきちんと整えられ、汗の不快な感触もなかった。ついでに言えば、腫れぼったくなったはずの目もともすっきりしている。それらのことをシーザーが認識できたのはもう少しあとで、その瞬間はただ全身を緊張させるしかできなかった。

「おっ、起きたかよ?」
「ジョ……! なん、……!?」

 反射的にあたりを見回すシーザーにジョセフは「動くとあぶねーぜ」と笑った。シーザーの体は路上ではなく彼の腕の中におさまり、それも横抱きにされてどこかの街なかを歩いている。当然奇異の視線が向けられるがこれだけの大男に声をかける度胸のあるものはいないらしく、遠巻きに人々がささやいているのが見えた。
 恥ずかしさにシーザーの頬が熱くなり、がむしゃらに手足を振り回してみるががっちりした腕の拘束は振りほどけない。殴られる痛みに顔をしかめたジョセフが「もっとたっぷり波紋を流しとくんだったな」と呟いたが、その意味はわからないままだった。

「てめえ、下ろせ! 誘拐だなんて、見損なったぞ!」
「るせえな、あとちょっとだから静かにしてろよ。どうせろくに歩けねえだろ」
「……っ、誰のせいだ!」

 遠回しに昨夜のことを示されて一瞬言葉に詰まる。立ったまま、それも無理な姿勢での性交は足腰をずいぶん疲弊させた。途中でジョセフに抱きあげられなければ行為の最後まで立っていられたか怪しい。今も疲労の抜けない体が脱力しそうになるのを気力で持ちこたえているほどだった。
 シーザーが抵抗する間にもジョセフの歩は止まらず、どんどん大きな通りの方へ進んでいく。下ろしてはもらえないと悟ったシーザーは低い声で呼びかけた。

「……おい、どこに連れて行くつもりだ」
「そう焦るなって。もうちょっとでわかるぜ」

 簡単にいなしたジョセフの言うとおり、それから数分で大きなホテルが見えた。そこに入るのかと建物を見上げていると不意にすとんと下ろされ、持ち上げていた視線を地面の高さまで戻せば黒髪のなびく後ろ姿に気づく。ホテルの前でタバコを吸っていた女性がサングラスを外した瞬間、現れた美貌にシーザーはぶつけるはずの文句を忘れた。
 その美しい女性はあやまたず、まっすぐに二人の方へ歩いてくる。規則的なヒールの足音がだんだん大きくなり、目の前で止まるまでシーザーはまばたきも忘れて立ち尽くしていた。

「はじめまして、シーザー。私はリサリサ」
「……な、んで、名前を……?」

 ゆうべから続くできごとにシーザーの思考はパンク寸前だったが、かろうじてそれだけを口にする。見ず知らずのはずの彼女に呼びかけられ、真っ先に浮かんだのはその疑問だった。思えばジョセフにも名を教えた覚えがないのだが、彼らは何者なのだろうか。それに答える代わりにリサリサと名乗った女性は微笑んでみせた。

「名前だけではありません。あなたのことはよく知っています。……父親の、マリオ・ツェペリについても」

 口にされる響きに雷に打たれたような衝撃を覚えた。シーザーがマリオという男を探していることは知っている者もいるだろうが、姓を捨てた彼の父親なのだと見ぬかれたことはない。それを当然のように告げた女性は長い黒髪を風になびかせ、悠然とこちらを見つめていた。

 混乱する思考に動きを止めたシーザーの左手に、不意にあたたかいものが触れる。反射的に見上げたシーザーはそれがジョセフの右手だと知って目を丸めた。

 彼は何者なのだろうか? 深入りするまいと決めていたはずなのに、目の前に展開されるできごとに翻弄される。自分とは違う世界に住みながら、その境界を飛び越えて手を差し伸べるジョセフにどう応えるべきなのだろう。体を暴かれたあともなぜか彼を振り払える気がしない。
 小さな胸の中で早鐘のように繰り返される鼓動は、機械じかけの運命が動き出す音に似ていた。