――シーザー、右に避けろ!
 修業場に響くジョセフの声に、シーザーは反射的に大きく跳んだ。修業とはいえ、師範代たちの容赦ない攻撃を前に考えるだけの余裕はない。シーザーの両足が地面に着地する前に左肩を空気のうなりがかすめる。強烈な一撃が生み出す風圧はまともに食らったときの威力を想像させ、シーザーは一瞬で冷や汗をかく心地だった。

 背後からの攻撃をかわした彼が振り向けば、ロギンズは蹴りを繰り出した格好のまま超人的なバランスで動きを止めている。その驚いたような視線に面食らったシーザーがあたりを見回せば、少し離れたところで組み合っていたジョセフとメッシーナもぽかんとした顔を向けていた。心当たりのないシーザーが首をひねっているとメッシーナが感心した調子で声をかけてくる。

「やるじゃあねえか、シーザー。今のを避けるとはな」
「すげーな、ぜってーダメだと思ったのに。背中に目でもついてんのか?」

 師範代に続いて当のジョセフからも言われ、シーザーの困惑は深くなる。振り上げていた足を下ろすロギンズも「修業の成果だな」と頷いているあたり、二人にからかわれているわけではなさそうだ。すごいもなにも、ジョセフの声に合わせて動いただけである。思いがけなく小休止となった修業に、シーザーは目の前のロギンズに問いかけた。

「……おれはただ、JOJOに言われたとおりに避けただけだ。驚くようなことじゃあないだろう」
「声? JOJOの?」

 オウム返しに聞き返した師範代はジョセフに視線を向ける。なぜかジョセフ本人も当惑したようにシーザーを見つめた。メッシーナも含め、三人ともジョセフの声が聞こえなかったのだろうか。離れたシーザーには届いたというのに。
 屈強な男四人が揃って疑問符を浮かべ、膠着した空間でメッシーナが「……よし。リサリサに聞け」と言ったのは実に安直な解決方法だった。


ワンウェイツーリングスリーパー



 事の次第を聞き終えた師は火のついたたばこを指に挟み、「そう」と返す。思案するようすのリサリサを前に、シーザーは弟弟子に鋭い視線を投げた。

「きさま、知らないふりをしているが本当は叫んだんじゃないのか。師範代たちと組んで、おれをかつぐつもりだろう」
「ちげーっての。おれ、メッシーナに思いっきりぶん殴られたとこだったんだぜ? そりゃ、横で見てて『シーザー危ねえ!』とは思ったけど、口に出す余裕なんかなかったんだからな」
「だが、おれははっきり聞いたぞ」
「テメーの空耳だろ? あとになって聞いたような気がしてるだけじゃねえの、よくある話だ」
「二人とも」

 水掛け論を始めた弟子たちの間にリサリサの声が響く。とたんに口をつぐんだジョセフとシーザーはうるわしき師に向き直り、続く言葉を待った。シーザーが聞いた声の出どころがわかるまで修業は中断と言われ、師範代二人はどこぞで休憩しているはずだ。ていのいいサボリではないかと疑っているものの、原因不明のままでは修業の続きがやりにくいのも確かだった。答えを持つ唯一の可能性であるリサリサは自室の窓から外を見やり、形のいい唇をゆっくりと動かす。

「おそらく、ですが。波紋による思考の共鳴でしょう」
「……共鳴?」

 簡潔な答えを問い返したのはシーザーだった。ジョセフに至っては素直に『嘘くせえ』と顔に書いている。弟子たちに視線を戻したリサリサは再度口を開いた。

「今日の修業は北西の塔で行っていたのですね」
「は、はい。そうです」
「そう。ではシーザー、あれからあなたにしか聞こえない声はありましたか?」
「……いえ」

 聞かれて一瞬弟弟子を見やったシーザーはそう答えた。幻の声は一度聞こえたきりで、あれ以来ジョセフの言葉はシーザーを含め周囲の全員に伝わっている。ジョセフが幻聴だと言うのも、シーザーが彼のいたずらを疑うのも無理のない話だった。
 それを聞いたリサリサはつかつかと歩み寄り、ジョセフの手を取ってシーザーの肩に乗せる。その瞬間、耳もとで「なんだこのアマ」と聞こえてシーザーは9センチ高いところにある顔を睨みつけた。

「きさま、先生に向かってこのアマとはなんだ!」
「ちょっ、言ってねえって!」

 慌てて両手をホールドアップの形にかかげたジョセフはうかがうような視線をリサリサに向ける。すがる弟子に、この島最強の波紋使いは無言で頷いた。


 つまり、波紋を通じてジョセフの考えたことがシーザーに伝わっているのだという。リサリサの告げた内容はにわかには信じがたいものだったが、身をもって体験してしまえば言い返すこともできない。望まないテレパシーのような状況は二人の間に波紋が流れている限りのことで、接触していなければ思考のプライバシーは守られる。くだんの修業場は波紋を通す特殊な素材でできているため、離れた場所に立っていてもジョセフの心の声が伝わったと考えられた。

「波紋とは、生命エネルギーが水面を揺らすさまから名付けられました。一方、脳の働きも波形で表すことができるといいます。波紋が脳波を伝えているのでしょうね」
「……しかし、先生。それなら、なぜおれにしか聞こえないのでしょうか? 修業場には師範代たちもいたのに」
「そうだっての。それに、おれにはシーザーの心の声なんて聞こえねえんだし」

 流れるように説いて聞かせたリサリサに、シーザーとジョセフは口々に問いかける。彼女は小さくため息をつき、心なしか温度の下がった視線とともに答えた。

「なぜ、JOJOの考えだけがシーザーに伝わってしまうのか。それはあなたの未熟さによるものです、JOJO」
「み、未熟……」
「ええ。波紋の流れを制御できていないことの表れです。あなたにはシーザーの考えは聞こえないのでしたね。彼を見習いなさい」

 波紋が考えを伝えてしまうのならば、ジョセフの波紋エネルギーは周囲に放出されていることになる。一方のシーザーはきちんとコントロールできているからこそ、心の声を漏らすことがないのだろう。見習えと言われて反論もなく、ジョセフはがくりとうなだれる。すっかり消沈した彼には構わず、リサリサはシーザーに向き直った。にわかに緊張を見せる弟子に彼女は淡々と続ける。その考えが読めないのはいつものことだった。

「――今回の原因は波紋の同調と考えられますが、波紋は使い手によってそのパターンが異なります。ですから本来、あなたたちの波紋が同調することは考えにくい。確か……昨日は二人の波紋を増幅させる修業でしたね」

 波紋は互いの波長によって打ち消し合ったり増幅させることができる。ジョセフとシーザーが昨日行ったのはまさしくその訓練だった。呼吸を合わせる過程で取っ組み合いの喧嘩にもなったが、十分な成果を上げることができたはずだ。問われて肯定するシーザーにリサリサは静かに頷く。

「シーザー、あなたの波紋はJOJOに引きずられてしまっているようです。あなたたちの波紋はほとんど同調したままの状態。あなたにだけJOJOの思考が聞こえるのもそれが原因でしょう」
「……おれとJOJOの波紋が、同調?」

 そう呟いたシーザーは波紋使いとしてまだ未熟で、師の言葉を確かめるすべはない。居心地悪そうに視線をさまよわせる彼とジョセフを見比べ、リサリサは手にしたたばこに口をつける。紫煙を吐き出したのち、彼女が告げた言葉に逆らえる者はその場にいなかった。

「言葉にせずとも考えが伝わるのなら、今後の戦闘において役立てられるかもしれません。二人ともあの修業場に戻って続けること。同調を解除するかどうかはあとで考えましょう」


 結論から言って、その後の修業は散々なものだった。波紋を伝える足場のせいでジョセフの思考がシーザーに流れ込み、そちらに気を取られたシーザーは何度も失敗した。おかげで彼の全身には大小を問わず生傷が無数に残っている。
 一方のジョセフも自分の考えが漏れていると思うと集中できず、精神的な疲労が顔にも表れている。夕日が沈んで久しい時間にやっと修業から解放され、食堂に向かう二人の足取りは疲れきっていた。

「……ひでー目に遭った気分だぜ……リサリサのやつ、原因がわかってるならちゃっちゃと解決してくれたらいーのに」
「お前はまだいいだろうが。おれの方は修業中にお前の声が聞こえるせいで気が散って仕方がなかったんだぞ」
「なんだよ、JOJOがそばにいるみたいで嬉ピ〜とか言えねえのォ?」

 修業場を離れ、石畳の道を歩いているためにジョセフの思考がシーザーに聞こえることはない。それでもはっきりとわかる馬鹿にした調子にシーザーは冷たい視線で返した。ジョセフに非はないとはいえ、この半日の間彼の心の声に集中を乱されてきたのだ。
 それは驚きだったり、痛みだったり、師範代の裏をかく作戦、あるいは夕食のメニューを期待する言葉だった。気まぐれに変わる彼の考えに翻弄されたせいで頭が重い気がする。発見だったのは、ジョセフの思考がシーザーに伝わるとき、はっきり聞こえる場合とそうでない場合があることだ。どうやら意思の強さによって変わるらしく、そのおかげでシーザーは聞き取れない声に耳をすませたとたんに耳もとで叫ばれる心地を味わう羽目になり、弟弟子に振り回される彼は自身の機嫌が下降していくのを感じていた。

 あの修業場を離れてしまえば、接触しない限り波紋によるテレパシーは働かない。おもてには出さずともそのことに感謝するシーザーは食堂に向かって歩を速める。それを後ろから見つめるジョセフの表情には複雑な色が浮かんでいた。

 エア・サプレーナ島での生活は基本的に放任主義だ。修業が終われば監視の目はないし、自主練を求められることもない。その代わり、日中の修業はすさまじくハードであるのだが。心身ともに疲労困憊のシーザーは食堂を出てすぐに自室に向かい、その途中で呼び止められる。振り向けばジョセフがなにか言いたげな顔で立っていた。

「……おれに用か?」
「えーっと、用って言うかァ…………部屋、戻っちまうの?」

 これでも恋人と呼べる関係だ。テレパシーがなくとも、ジョセフが言わんとするところは伝わる。彼はドライに見えて愛情深いたちだということもすでに知っていた。どうするべきか、一瞬逡巡したシーザーは結局ジョセフに背を向ける。不満を抱かせてしまうかもしれないが、これ以上顔を突き合わせて互いに苛立ちを募らせるよりはましだと判断したのだった。

「すまんが……部屋に戻る。今日は一人にしてくれ」

 罪悪感のために口早に告げ、返事を待たずに歩き出す。逃げ出すと言っても間違いではなかった。この半日の間、ジョセフの思考が流れこむ感覚はまるで自分の人格が分裂したような錯覚を生み、シーザーの体は言いようのない疲労感に包まれている。互いの波紋が同調してしまった結果とはいえ、負担を強いられているのはシーザーの側だ。
 部屋の扉を閉めると急に力が抜ける。避けるような態度を取ったことでジョセフを傷つけてしまったかもしれないが、そうでなくともどの道けんかになったことだろう。一人きりの部屋でベッドに沈めば溜まった疲労が溶けていくような気がする。明日の修業に大きな不安を抱えつつ、シーザーは目を閉じた。


 翌日はよく晴れていた。さわやかな日差しに後押しされるようにシーザーの胸中もずいぶんと気楽なものになっている。確かに他人の思考が聞こえる状況は楽しいものではないが、口に出さずとも意思疎通できるのならリサリサの言うように戦闘で役立てられるだろう。慣れないうちは疲労がまさるのは仕方がないとして、この状況を活かせるよう努力する必要がある。そう結論づけたシーザーは昨日とは一転、やる気に燃えていた。

 一晩ジョセフと離れたことで冷静になるだけの余裕ができたということだ。今の状況に早く慣れるためにも例の修業場を使うよう提案するべきかもしれない。身支度を済ませたシーザーが廊下に出ると、扉の横に見慣れたシルエットが立っている。黒く光るマスクをはめたジョセフは気まずそうに視線をさまよわせ、指先で自身の口元を示した。

「……これ。外してくんねーと顔も洗えねえからさ」
「ああ、そうだな」

 シーザーの両手が呼吸法矯正マスクに触れ、波紋の放つ光と同時にジョセフの呼吸が自由になる。まだなにか言いたげな表情のジョセフは、しかし無言で彼に背を向けた。
 そっぽを向くジョセフを追いかけるように手を掴めばその背中がびくりと揺れる。触れた指先からシーザーに流れこむのはジョセフの内心だ。それを読み取ったシーザーはきざに笑ってみせた。

「安心しろ、JOJO。おれはお前を嫌いになってねえよ」
「そ……んなこと思ってねえっつーの! 自意識過剰なんじゃねえの!?」
「強がってもこっちは正直だぞ、JOJO」

 あわせた手のひらを引き寄せ、芝居がかった仕草で指先にキスを落とせばジョセフの頬が赤くなる。その初心な反応に目を細めたシーザーはあっさり手を離した。波紋の同調による一方的なテレパシーがまだ有効であると悟り、ジョセフは慌てて洗面所に向かう。たった今触れた弟弟子の本心に、シーザーは満足げな表情を浮かべた。

 ゆうべのできごとから、ジョセフはシーザーに愛想を尽かされたのかもしれないと考えていた。顔も見たくないとばかりに逃げられていれば当然の話かもしれない。部屋の前まで来たものの、声をかけられずにいたのもそのせいだろう。シーザーに嫌われたくないとそればかりを繰り返す彼の内心はただをこねる子どものようで、意外な一面を知って口角が上がる。昨日はうんざりしていたことも忘れ、シーザーの機嫌はすっかり上向いていた。

 朝食を終えれば一日続く修業の始まりだ。濃いエスプレッソを飲むシーザーに、ジョセフはいつも信じられないものを見るような視線を向ける。食堂を出る前に彼を呼び止め、呼吸法矯正マスクをつけさせた。波紋を流して固定する瞬間にもジョセフの不平が伝わって苦笑が漏れる。修業場へと足を向けかけたところで、どこからかささやき声が聞こえた気がしてシーザーは歩みを止めた。

「……今、なにか言ったか?」
「おれ? いや、なんにも言ってねーよ」
「…………そうか」

 目前のジョセフは素直に不思議そうな顔をしていて、嘘をついているようには見えない。なによりここは屋敷の中で、二人は離れて立っている。波紋によるテレパシーでもないはずだ。風の音かなにかだろうと結論づけ、シーザーは歩き出す。思案顔で何かを考えていたジョセフも、昼食の入ったバスケットを手に兄弟子を追いかけた。


 修業中の休憩は師範代たちの都合で決まる。日が暮れるまでぶっ続けということもあったし、次の課題の用意ができるまでとずいぶん待たされたこともあった。今日は正午を三時間ほど過ぎたあたりで休憩になったのでほぼ時間通りと言える。
 時間が決まっていないせいであたたかい昼食を出してもらうこともできず、二人はいつも軽食を持たされていた。体力の極限に挑むような修業の連続だというのに、パンとチーズ、ハムといった質素な食事にジョセフは毎度不満を漏らしている。二時間前に海中に放り出され、やっと島に戻ってきた彼らは船着場に置いておいたバスケットを手にした。

「あ〜、今日も死ぬかと思ったァ……」
「……同感だな。両手を縛って遠泳だなんて、よく思いつくもんだ」

 海の上で二人を置き去りにした師範代たちの姿はすでにない。両腕に絡みつくロープをほどき、濡れた服を絞れば潮水が地面に水たまりを作る。海水で重たくなった体を引きずって移動する気にはならず、二人は疲れきったようすで天を仰いだ。

「……いつまで休憩できるかわからんのだ。さっさとメシにするぞ、JOJO」

 言ってシーザーは彼のマスクを外してやる。海水が入りこんだそれを逆さにすると新しい水たまりができた。いつもなら腹が減ったと騒ぐジョセフがやけに静かなことに気づいたシーザーは小さく首を傾げたが、さほど気にせずにマスクを地面に置く。ふいに誰かの声が聞こえ、反射的に耳をすませた。

 ――シーザー、驚くだろうなァ。心が読めるっていっても、これならバレねえだろ。

 考えるまでもなくジョセフのせりふだ。悪だくみをするような内容に、シーザーは弟弟子をにらみつける。突然向けられた視線に焦る顔を見せたジョセフは、思わずというようにシーザーの横のバスケットに目をやった。

「あ、やべ……」
「……このバスケット、だな」

 スージーQが用意してくれたバスケットにはカラフルな布がかけられている。それをめくってみれば、待ち構えていたように何かが飛び出してきた。地面に落ちたそれを拾い上げると、どうやらシーザーの嫌いな虫を模したおもちゃらしい。怪しんでいたからこそ驚かずに済んだものの、何も知らなければ悲鳴の一つもあげていただろう。おもちゃを手にしたまま無言のシーザーに、ジョセフは蚊の鳴くような声で言い訳を並べた。

「……そのォ〜……ちっとからかってやるつもりで、今朝のお返しっていうかァ……」
「ほう。いい性格だな、JOJO?」
「…………いや、それより! なんでバレたんだよ、テレパシーは届かねえはずだろ!?」

 言われてみれば、ジョセフとシーザーの体はどこも接触していない。船着場に特殊な素材が使われているとも聞いたことがないから、波紋による思考の伝達は成り立たないはずだ。眉を寄せるシーザーの頭の中で「もしかしてよォ」とジョセフの声が響く。慌てて彼に視線を向ければ、ジョセフはわざとらしく両手を上げてシーザーから距離をとっていた。

 ――さわってなくても、おれの考えてること、伝わっちまってる?
「……どうやらその通りらしいな、JOJO」

 唇を結んだままのジョセフに返し、シーザーはため息をついた。修業で互いの波紋が強くなったのか、同調の程度がより高まったのか、近くにいるだけで彼の心の声が聞こえてしまうらしい。困惑を隠さないシーザーに、ジョセフはなぜかニンマリと笑った。

 ――さっきの、後ろ手に縛られてたシーザーやらしかったなァ。あの格好でヤったらめちゃくちゃ興奮しちまいそう。
「……なッ、何考えてやがる!」

 唐突に流れこんできた不埒な妄想にシーザーは声を荒げた。ジョセフはそれを見越したように目を細めてみせる。今まで何度も見た、ひとを馬鹿にした表情だ。「おれが何をしたって言うんだよ?」と逆に問い返され、シーザーはぐっと言葉に詰まる。

「だから……今、妙なことを考えてただろう」
「シーザーちゃんたら、ちっと自意識過剰でないのォ? 身に覚えがねえもん」

 そう言い切るジョセフは新しいおもちゃを前にしてうずうずする子どもと同じ顔をしている。彼の心の中はシーザーに筒抜けだというのに、物証がないばかりに「言いがかりだ」と言われれば反論のしようがない。わざとらしく距離をとっていたジョセフが近づいてくるのに思わず身構えれば、彼は見透かしたようにいやみな笑みを浮かべた。

「なーに? その通りにされちゃうと思った?」
「……てめえ、やっぱり考えてたんじゃねえか!」
「なんのことかわっかんねえなぁ〜」

 うそぶくジョセフは素知らぬ顔でバスケットの中身を取り出す。からかわれているだけだとわかっていても、シーザーの渋面は崩れなかった。
 配達に来る郵便船を除き、この島に立ち寄る者はいない。二人が腰掛ける船着場の前には海原が広がるばかりで、すがすがしい光景であるはずだ。しかしシーザーのすぐ隣から聞こえてくるのは眼前の風景とも午後の日差しとも似つかわしくないただれたせりふばかりだった。

 ――シーザーはああ見えてマゾっぽいところもあるから、緊縛プレイも案外燃えちゃうかもなァ。ロープは二人分あるんだし、イきすぎないようジュニアも縛っとくか。痛いぐらいが感じるって、ほんとにやらしい体してるよな。あー、今すぐ押し倒してやりてえ。
 ――ああでも、シーザーは色白いから縛ったあとが残っちまうかも。こんだけ白いとキスマークもはっきり残っちまうんだよな。それに、興奮してるときもわかりやすいし。赤い顔でアンアンいってんの、たまんねえ。
 ――昼間はおれや師範代たちと取っ組み合ってるのに、夜はあちこちさわるだけでビクビクしちまうから心配なんだよな。やらしースイッチが入ると止まんないっていうか。前だって、突っ込んでるときにわき腹さわっただけで……
「……JOJO、いい加減にしろよ」
 ――とか言ってェ、いつもツンツンしてるくせにベッドに入ると甘えてくるのがかわいいんだよな〜。「じょじょぉ、中に出して」って足絡めてきたり……

「痛ェ! おれが何したって言うのよシーザーちゃん!」
「うるせえ! てめえの胸に聞きやがれ、スカタン!」

 無言で殴りつけるシーザーに、ジョセフは涙目で抗議する。少々力を込めすぎたかもしれないが、彼の巨体はこれくらいでどうにかなるほどやわではないはずだ。文句を垂れるジョセフを横目に、シーザーは座り直すふりで腰に溜まった熱をごまかした。
 そんなことを考えている場合ではないとわかっていても、恋人と過ごした夜を思い出せば体は反応してしまう。普段は爪を隠している彼が雄の顔を覗かせるときシーザーの鼓動は跳ね上がる。低くかすれた声で名を呼ばれるだけで、熱っぽい瞳に映った自分が頷くのを何度も見た。

 ベッドの中の彼が恋しいからといって、何もかもを放り出してここでふけることはできない。じわじわと高まる熱を波紋の呼吸でやりすごし、シーザーは自身の修業のためにも横のジョセフにもう一度釘を差した。


 続く修業のメニューは、島にある屋敷の一つを一階から屋上まで踏破しろというものだった。むろん中にはトラップがたっぷり仕掛けられており、それを越えるための修業だ。仕掛けを施した師範代たちが屋上で待ち構えているはずだが、酒瓶を手にしていたあたりじっと待つつもりはないのだろう。かといって屋敷の仕掛けに手を抜くわけもなく、ジョセフとシーザーの二人は屋上の手前のフロアにたどり着く時点で肩で息をしていた。

 三階建ての屋敷はもともと滞在客用だったらしいが、修業者が減り、訪れる人自体がほぼなくなったあたりでその役目を失ったそうだ。しばらく人の手が入っていなかったところに師範代たちのトラップが加わり、一歩先に何があるのかも予想できない。
 ある部屋では床にはじく波紋が流されていてまともに進めず、ある部屋ではドアを開けたとたんに波紋を帯びた布でぐるぐる巻きにされ、ある部屋では波紋に反応する甲冑に追いかけられた。ロギンズとメッシーナの笑い声が想像できるようで先に進むのも気がめいるほどだが、泣き言を言っていても始まらない。順に部屋を攻略し、残すは最後の一部屋というところまできた。

「なにがあるかわからん、JOJOは少し下がっていろ」
「オーライ、妙なもんが飛んできたらシャボンバリアーで守ってくれよ」

 二人が同時にトラップにはまっては身動きが取れなくなってしまう。ジョセフを下がらせたシーザーはドアノブに手をかけた。彼が見上げるほど大きな扉はやけに重厚な作りで、いかにも何かありそうに思える。今までトラップが仕掛けられていたのはドアを開ける瞬間であったり、部屋に踏み入った瞬間であったり、あるいはその両方であったりした。後ろに控えるジョセフに目配せし、十分に注意をはらいながらノブを回す。そのつもりが実際はほとんど動かず、シーザーは思わず視線を手元に落とした。

「……シーザー! 危ない!」
 ――扉が倒れてくる!

 ジョセフの叫びに振り向く隙もなく、目の前の扉がみるみるうちに近づく。はじめから開くためのものではなく、フェイクだったと理解してもすでに遅い。壁ほどにも思えるシルエットが迫る一瞬はやけに長く感じられた。
 練り上げた波紋をこめ、シャボン玉を打ち出す。虹色のきらめきがシーザーの全身を覆い、無数にはじけた。すぐそばで重たいものが倒れる地響きを聞きながらシーザーは痛みに顔をしかめる。シャボンを撃ち込まれた扉板は大小の破片となって彼の周りに散らばっていた。

「おい、大丈夫か!?」
「……ああ。シャボンランチャーで迎撃できたからな」

 シーザーは答えながら身を起こす。頭を守るためにかかげていた腕を下ろし、そこに刺さった破片を引き抜く。シャボンバリアーでは押し潰されるだけだと踏んだ判断だったが、砕けた破片であちこちに傷ができていた。血と埃で汚れた指であらかたを払い落とし、瞑目して波紋の呼吸を続ける。
 もとより、波紋は傷の治療に有効な技術である。シーザーが自身の傷を癒やせば、熱を帯びる感覚とともに血が止まった。打撲痕や擦過傷のあとは残っているものの明日にはわからなくなるだろう。顔に残った血を手で拭い、服の埃を叩くシーザーの動きは常と変わらない。ジョセフの方は離れていたおかげでうまく避けられたようで、駆け寄ってきた彼が怪我を負ったようすは見受けられなかった。そのことに少なからず安堵したシーザーは知らず口元をゆるませる。

「おれは平気だが……偽物とはいえ、扉を壊してしまったな」
「さっきは甲冑をばらばらにしちまったし、今さらだろ。あいつらもそのつもりで仕掛けてるんだろうし」

 あたりの残骸を見回しながら言うシーザーにジョセフはそう慰める。波紋で砕けた扉はたとえ破片を集めたところで修復はできないだろう。リサリサに咎められたときは師範代たちのせいにすることにして、フェイクが仕掛けられていた場所にもう一度視線を向ければその奥に本物らしい扉が見えた。

「……にしても、シーザーちゃんたらずいぶん抜けてるんじゃねえ? 波紋戦士が聞いて呆れるぜ。リサリサが聞いたらがっかりしそうだな」

 横からかけられた声はもちろんジョセフのものだ。馬鹿にした響きが二人しかいない廊下に残る。腕を伝って指先に集まった血を払い、シーザーは数歩離れた彼に鋭い視線を向けた。

「おい、てめえ……」
「お顔に傷がついちまったら大好きなナンパもできなくなるところだったな。ま、おれとしちゃそっちの方が都合いいけど。これも、今までさんざん女の子泣かせてきた天罰ってやつ?」

 癇にさわるせりふを続けるジョセフに、シーザーの眉間が深いシワを刻む。見た目よりずっと短気な彼は弟弟子を殴りつけることに決めてその距離を縮めた。
 怒りもあらわに踏み出したシーザーは、急にぱたりと立ち止まる。それから小さな声に耳を傾けるように目を閉じて集中し、にやりと笑った。何も言わずとも分の悪いことを悟ったジョセフが後ずさりしても遅い。すでに彼の心の声はシーザーに届いていた。

 流れるような憎まれ口はただの照れ隠しで、その本心はシーザーの怪我が軽かったことを何より喜んでいる。安堵と喜びの中に素直になれない自分へのもどかしさを見つけてしまっては、シーザーの感じた苛立ちなどどこかに吹き飛んでしまった。
 昨日までなら、彼の本心を理解できずにけんかになっていただろう。殴るために握られていたシーザーの拳はすっかり開いている。すっかり毒気を抜かれたシーザーはジョセフをまじまじと見つめながら呟いた。

「お前……おれのこと好きなんだな」
「……うるせーな。それに、そんなの今さらだろ」

 照れ隠しすら見透かされたジョセフは悔しそうに答えた。彼の青い妄想に付き合わされるのは困りものだが、いつもうまく隠されてしまう感情を覗けるのはシーザーにとって思いがけない収穫である。人の悪い笑みを隠さない彼に、ジョセフは居心地悪そうに体を揺らした。
 口には出さないものの、シーザーの怪我を心配してくれているのは確かだ。ジョセフの方へ一歩踏み出したシーザーは、かかとを上げてキスをおくる。心配させたことへの謝罪と感謝が込められたそれは、当然ながら弟弟子の口元を覆う黒いマスクに遮られるだけだった。届かなかったはずのくちづけになぜかジョセフの顔が赤くなる。不思議に思うシーザーに彼の心の声が届き、つられて頬が熱くなった。

「なっ……JOJO、かわいいってどういう意味だ!」
「そのままに決まってんだろ! 背伸びなんかしやがって、わかってやってんのかよ」

 自分より少し背が低いとはいえ、筋骨隆々の大男を「かわいい」と形容するジョセフの思考回路はシーザーの理解を超えている。しかし、波紋を介して伝わる思考は嘘をつかない。赤い顔のまま、真剣な目をしたジョセフがシーザーの手を掴んだ。

「……マスク、取ってくれよ」
「スカタン。修業中だぞ、できるわけないだろう」
「そういう返事が聞きたいんじゃねえんだって。……マスク取ってくれたら、今おれが考えてることぜんぶしてやるよ」

 低くささやくジョセフの声はセクシーで、えさをちらつかせられたシーザーは一瞬言葉に迷った。口枷を外して、キスをして、舌を絡めて、熱っぽい体を抱き寄せて、その先も。恋人としてこれ以上ないほど甘い誘惑はシーザーの理性を揺さぶる力を持っている。薄暗い館の外で師範代たちが待ち構えていることを考えなければ、だが。
 黒髪の巨体を引き寄せ、その耳もとに唇を寄せる。予想外の反応だったのか、驚いた顔のジョセフに向かって小さくささやいた。

「――そういうのは、夜まで取っておいてくれよ」

 そう吹き込めばとたんにジョセフがそわそわしだす。期待に胸をふくらませた彼の心中をはっきり読み取り、シーザーの口角が持ち上がった。絡んだ指をそっと外し、ジョセフが我に返る前に彼の横をすり抜けて先に向かう。フェイクの後ろにあった本物の扉を開け、奥の隠し階段の先が屋上だ。背後の悲鳴を無視して外に出ればロギンズとメッシーナが揃って待っていた。
 口汚くののしる声と心の声が後ろから近づいてくる。恋のスリルは嫌いでないが、監視の目を知りながら愛しあう趣味はシーザーにはないのだ。


 一日の修業が終われば揃って食堂のテーブルにつく。料理を用意してくれているはずのスージーQは毎回席を外しているので、彼女はジョセフがマスクを外したところを見たことがないかもしれなかった。師範代たちが酒盃を重ねるのを横目に、食事を終えたジョセフとシーザーは席を立つ。自室に向かおうと足を向けるシーザーの手をジョセフが引いた。

「……まだ、あと残ってるな」

 彼が示すのは昼間、仕掛け屋敷で受けた傷だ。出血はとっくに止まっているものの皮膚が裂けたあとが残っている。腕以外にも、赤や紫に変色した内出血がシーザーの白い肌に浮いていた。全身に生傷が絶えないせいで波紋治癒が間に合っていないのだ。時間とともにあとも消えるはずだとシーザー本人はさほど気にしていないが、巨大な扉の下敷きになる瞬間を思い出すのか、ジョセフの表情は固い。唇を結んだまま「死ぬんじゃないかと思った」と訴える彼にシーザーは小さく笑いかけた。

「おれはそんなにやわじゃあない。それに、お前だってしょっちゅう怪我してるだろうが」
「おれはいいんだよ。でも、シーザーは大怪我しても泣き言言わなさそうだし、心配にもなるっていうか……」

 ジョセフの弱々しい声に何も言えなくなる。確かに、シーザーなら重傷を負ったとしても「大したことはない」と強がるだろう。それはジョセフに気を遣わせまいとする矜持の表れなのだが、だからこそ心配だと言われれば返す言葉もなかった。さりげなく廊下の人影を確かめ、シーザーは体をすり寄せる。とたんに当惑するジョセフの思考が聞こえるのが面白かった。

「――怪我が気になるならお前の目で確かめてみろよ、ハニー」
「……ここで? それとも、ベッドの上?」
「いちいち言わせるんじゃねえ、スカタン」

 挑発するシーザーにジョセフもニヤリと笑い、掴んだ手を引いて大股で歩き出す。心を読むまでもなくせっかちな足取りがその先の期待を示していた。シーザーの部屋までたどり着くと乱暴にドアを開け、ジョセフは手にしていた呼吸法矯正マスクを放り投げる。強引に体を引き寄せられ、唇が重なってもシーザーは拒まなかった。

「……まだおれの考えてること、聞こえちまってんの?」
「ああ。ハッタリも隠し事もできないぞ、JOJO」
「やりづれえなァ……波紋ってやつは本当に厄介だぜ」

 ぶつぶつ言いながらジョセフの両手はシーザーのベルトを外してしまう。待てができない恋人に苦笑を漏らし、シーザーはベッドまでエスコートする。すぐさま覆いかぶさられ、窒息するようなキスに頭がくらくらした。
 いつもなら勢い任せのくちづけに嫌味の一つも言うところだが、絶えまなく流れこんでくるジョセフの感情を知ってしまってはそれもできない。好きだと繰り返すジョセフの愛情表現はシーザーにとっても嬉しいものだった。ときおり聞こえる「かわいい」の言葉はまだ理解できないにせよ、焦がれた相手に求められる喜びは何にも代えがたい。唇の間で水音を響かせながら、互いの手が暗闇の中で服を剥ぎ取っていく。やっと体を離したジョセフは一瞬思案するように動きを止め、ベッドサイドのランプに手を伸ばした。

「……消せ」
「なんでだよ。ちゃんと見えねーと怪我の具合も分かんねえだろ」

 言うジョセフの表情が楽しそうに見えるのは間違いでないはずだ。男の、それも修業中に目にする機会もあるはずの裸を見て何が楽しいのかとシーザーにはいつも疑問である。彼が口にしない部分をこっそり読み取れば、シーツの上で見下ろす裸体には興奮するものがあるらしい。ベッドの上に散らばった服を蹴り落とし、ジョセフの指先が金色の髪をかきあげた。

「――ほとんどあとは残ってねえな。真っ先に頭は守るし、当然か」
「当たり前だろ。お前が心配しすぎなんだ」
「心配にもなるっての。シーザーだって、目の前であんなとこ見せられたらこれくらいするだろ?」

 そう言われてしまえばシーザーは何も言えなくなる。彼への愛情があるからこそ、ジョセフが不安や心配にかられるのだと思えばなんだかむずがゆい気分になってきた。照明の下で顔の傷を検分して満足したらしいジョセフはシーザーの首もとに顔を埋め、くすぐるように何度もキスを落とす。ふいに小さな痛みが走り、慌てて黒い頭を押しやった。

「あとつけるなって、何度も言ってるだろう」
「あちこちにあざ残ってるのにィ? トラップであとが残るのはいいけど、おれはダメってことかよ」
「わけのわからんことを言うな! ……ッ、だから……!」

 今度は肩口に噛みつかれ、シーザーは一瞬息を詰める。残った歯型を癒やすように何度も舌が這い、その感触にも小さく身震いした。仕草だけなら小動物のようでも、彼の目は捕食者の光を宿している。次第に位置を下げた唇が胸元にたどり着き、引き締まった胸筋の頂点に吸いつかれてシーザーの指先がシーツに波を刻んだ。

 執拗なジョセフに開発されたおかげで、そこはすでに性感帯として作り変えられている。彼が触れる前から存在を主張していた乳首を舌で転がされ、わきあがる性感に何度も身悶えた。シーザー自身、まるでシニョリーナだと自嘲するのにジョセフは少しもそんなことを思っていないらしい。もっと乱れてほしいと焼けつくように求められ、まるで水中に沈んだように息が苦しかった。

 反対の胸は指でこすられ、淫らな熱が腰の奥に溜まっていく。ふくらんだ性器に気づいているだろうに、ジョセフはシーザーの胸ばかりを責めた。情けない声が漏れないように唇を手で覆う彼にジョセフが視線を上げる。かたくなな手をあやすようにして取り上げ、そこで彼は何かに気づいたように動きを止めた。
 見れば、彼の視線はシーザーの腕に釘づけになっている。照明に照らされたそこは昼間の傷あとが残っていた。ジョセフの胸中に気づいたシーザーは掴まれた腕の指先だけを動かし、そのセクシーな唇に触れる。眉を寄せていたジョセフはがはっとしたように見つめる視界の真ん中で、余裕たっぷりに見えるよう唇の端を持ち上げた。

「いくら心配症でも今さら手を抜いたら承知しないぜ、スカタン」
「……ひとが気ィ遣ってやろうとしてんのに、性格悪いお兄さんね」
「これくらいでどうにかなるほどやわじゃねえって言ってるだろ。激しくしてくれよ、ダーリン」

 シーザーに負担はかけられないと尻込みする思考を読み取り、挑発してやればジョセフは小さくうめいた。まだ残っている傷あとは刺激されれば痛むが、丁重に扱われたいわけではない。万全でない体を押してでも、シーザーはジョセフに触れてほしいのだ。

 葛藤するように動きを止めるジョセフに焦れ、シーザーは打撲痕の残る腕で彼の胸板を押しのける。ベッドに座らせたジョセフの足の間に触れれば、そこには青くさい熱が立ち込めていた。すっかり固くなった性器をこするとジョセフが息を詰める気配がする。顔を近づけたシーザーは先端にキスを落とし、焦らしてからようやくくわえ込んだ。

 修業を終えたあと、食事をとる前に泥や油を落とすのはジョセフが訪れる前からの島の決まりごとだ。掃除の手間を減らすためとはいえ、そのおかげでジョセフの体から汗の匂いはしない。そのことをどこか残念に思いつつ、シーザーは目いっぱいに開いた唇で口淫を施す。みっともない顔をさらしている自覚はあるのに、ジョセフの内心に耳をすませばむしろそのことで興奮しているように聞こえた。
 信じられない思いで視線を持ち上げれば熱っぽい瞳に迎えられる。そして「今の顔すげーエロい、やばい」と心からの声がシーザーの頭に響いた。意外な反応であっても、ジョセフを満足させられているのならこれ以上望むものはない。せいいっぱい舌を伸ばして舐めまわし、息苦しくなるほど深くまで飲み込む。口の中でふくらむジョセフに引きずられるようにしてシーザーの熱も上がる一方だった。

 すでに互いの弱いところは知り尽くした仲だ。荒くなる呼吸を頭上に聞きながら、唾液を絡めてすすり上げる。体格に見合って巨大なジョセフの性器を口に含むのは苦しいものの、彼を高めているのが自分だと思えば奇妙な充足感が満ちた。大きな手がシーザーの頭に落ち、しなやかな金髪を撫でる。まるで子どもに対するような仕草が閨には不釣り合いで、そのアンバランスさに小さな笑みを浮かべた。

「……シーザー、も、イく……!」

 切羽詰まったジョセフの声を聞くのはシーザーだけだ。促すように舌先で裏筋を舐め上げれば、ジョセフは耐えかねたように胴震いする。喉奥に吐き出される精液を受け止めた瞬間、シーザーの視界は白く明滅した。

「――ッ!? んぅ、ふ……ンぁ……!」

 上げた悲鳴は性器に塞がれて意味をなさない音になる。全身が快感にひたされ、まるで力が入らない。注がれる液体を飲み下しながらシーザーの思考は混乱を極めていた。疑問の答えを見いだしたくても、熱を持った体が思惟をかき乱していく。口淫を施したのはシーザーで、ジョセフと彼が触れている箇所は頭に置かれた手くらいのものだ。そのはずなのにシーザーの体は絶頂を味わい、足の間でシーツが濡れていた。
 出どころのわからない性感に困惑するシーザーは、押し倒されてやっと意識を現実に戻す。白い両膝を割り開いたジョセフは達したあとの恋人を見て目を細めた。

「舐めてただけなのに自分もイったのかよ? やらしい体になっちまったな」
「JOJO、待て……! おかしい、急に……」

 必死に制止しながらシーザーの頭は高速で回転する。直接的な刺激を受けないまま射精に至るなんて経験は今までない。実際、あの瞬間まで限界が近いとは思ってもみなかったのだ。

 彼の体に起きた異変といえば、ジョセフの心の声が聞こえるのもそうだ。波紋の同調によって彼の思考が伝わってしまっている。そう考えてはっと気づいた。ジョセフの思考がシーザーに伝わるのならば、彼が受け止める五感も伝播しうるのではないだろうか。波紋の同調の程度が高まればより多くの情報が共有されてもおかしくない。
 そう考えたシーザーはジョセフの手を掴み、その指先を口に含んだ。何度か吸いついてみても何も感じ取れず、自信がなくなってくる。思いついて歯を立ててみれば、ジョセフが顔をしかめたのと同時に彼の体にも小さな痛みが走った。考えを組み立てるシーザーは、ほとんど無意識のうちに噛み跡を舐める。鉄の味がしないということは、ジョセフに怪我を負わせるのは避けられたようだ。痛みの出どころを探れるほどはっきりした感覚ではないものの、仮説は証明されたと言っていい。つまり――ジョセフの思考だけでなく、彼が受け取った感覚の共有も起こっている。

 おそらく、何かのきっかけで互いの波紋がより深く共鳴しあったのだろう。波紋はまさしく波にたとえられており、ひとりひとり異なるはずのその周期が近づけばこういうことも起こるのだろうか。突然訪れた絶頂に困惑していたシーザーは解を見いだしてその顔を輝かせた。

「JOJO、わかったぞ! いいか、おれたちの波紋が……」
「悪ィけど、その話はあとにしてくれよ」

 恋人の唇から指を引き抜いたジョセフは乱暴な手つきでシーザーの体をひっくり返す。うつ伏せに転がされた彼はシーツとキスを交わすはめになり、非難がましい目つきでジョセフを見上げた。だいたい、シーザーの話はまだ終わっていない。不満を口にする前に奥まったところに触れられ、小さく息を呑んだ彼は動きを止めた。

「指にまでご奉仕してくれちゃって、ほーんとやらしいよな。……たまんねえ」

 組み敷くジョセフが熱に浮かされたように呟いた。彼の胸中に燃え盛る情欲の炎を感じ取り、シーザーは身をこわばらせる。彼に求められるのは喜びであるし、嬉しくないはずがない。しかし、それはいつもならという注釈がつく。
 思考だけでなくジョセフの感覚すらリンクしている今の状況で体を開かれればどうなってしまうだろう。悪い予感を覚えたシーザーが抵抗する前に、内側にもぐりこんだ指が彼の弱いところをひっかく。そのとたんに力が抜け、ますます無防備な姿をさらすことになった。

 ジョセフの心の声が届くシーザーには、彼の抱く熱情と欲望がはっきりわかる。熱っぽく求められることに喜びを感じてしまったシーザーは本気で抵抗できなくなった。焦がれた相手から望まれることほど幸福なことはないし、それが心からの思いであることもシーザーには伝わる。手を振り払い、ジョセフの感覚がフィードバックされてしまっていることを伝えなくてはと思うのについ流されてしまった。

「ぅ、あっ……! っん……!」
「もうトロトロじゃん。すぐぶち込めそう」

 濡れた指が後孔をかき回し、粘ついた音を立てる。こういうときに使うための潤滑油はベッドから手が届く場所に置いてあった。触れられることがおそろしくすらあるのに、のぼりつめたあとの体は喜ぶようにその刺激を受け入れる。腰だけを持ち上げられ、握りしめた手のひらの下でシーツが波を作った。

「JOJO、だめだ、待っ……」
「こーんなひくひくさせといて、何言ってんだよ。シーザーだって我慢できないんじゃねーの?」
「や、だめ、JOJO…………ひ、ぁああっ……!」

 ひと息で貫かれ、白い背中が反る。すでにほころんだ体はジョセフを迎えて何度も波打った。もたらされる強い刺激に一瞬呼吸を忘れる。目の前が真っ白になるような感覚は今まで重ねた夜とは明らかに異なっていた。
 快感の波に翻弄されて何も考えられなくなる。開いた唇からは意味を成さない声が漏れた。大きすぎる快感にさいなまれてもシーザーの性器は重く張り詰めたままで、放出されない熱が体の奥で渦を巻く。一方でジョセフの熱を飲み込んだ後孔は貪欲にうごめき、さらなる刺激を求めている。味わったことのない感覚に体がどうにかなってしまったとしか思えなかった。

「……すげー、中動いてる。欲しくてたまんないって感じ?」
「ひ、ん……! 今、動くな、あぁー……っ!」

 腰を支えるジョセフの両手に力が入り、遠慮なく抜き差しされる。性器の一番太い部分で前立腺をこすられ、シーザーの上げた声はほとんど悲鳴に近かった。シーツに触れる頬を唾液が伝うのを感じる。後背位で抱かれる彼がもがいたところでほとんど意味はなく、好き勝手に揺さぶられて甘い声を漏らすだけだった。体を開かれる快感とジョセフが受け取る刺激の両方に翻弄されて身動きが取れなくなる。彼の心の声を聞くどころかまともな思考すらできず、高められた体だけがジョセフを求めてうずいていた。

「ぁ、ひっ! や、やだ、ッん、待っ……!」
「ほんっと、素直じゃねえよなァ。こんなにドロドロになってんのに、まだ嫌がんのかよ」
「ひ、あぁ……!」

 奥深くを穿たれ、持ち上がりかけていたシーザーの上体がシーツに沈む。過ぎる快感は際限がないようで、それは恐怖すら抱かせた。小刻みに震える体をいたわるように律動が止まり、白い背中をジョセフの手が撫でる。長大な性器がゆっくりと引き抜かれ、シーザーは久しぶりにまともな呼吸を思い出した気がした。

 荒い息を繰り返す彼の頬に手が伸び、照明の方へ向かされる。頬は上気し、汗で汚れたひどい顔だというのにそれを見たジョセフは幸せそうに笑って「かわいい」とこぼした。少しだけ落ち着きを取り戻したシーザーにはその言葉の真偽を確かめることができる。本心からの思いだと知った彼は納得できずに戸惑いを浮かべた。
 揺さぶられるままに喘いでいたせいで乾いた唇はうまく言葉を紡げない。そのすきにシーザーの首筋に流れる汗を舐めとったジョセフは彼の体を抱えて体勢を変える。気づけば対面座位の格好でジョセフにまたがることになり、反射的に腰を浮かせようとしたシーザーは大きな手に捕まってしまった。ろくに力の入らない体を下から貫かれ、切ない声を上げる。前髪を梳く指に視線を向ければ、その先でジョセフが見つめていた。

「これならシーザーのやらしー顔、ばっちり見えるな」

 ジョセフの上に座らされた体はすでに芯をなくし、自然と背が丸まる。うつむいたシーザーを下から覗き込む位置に陣取ったジョセフは目を細めていた。みっともないところを見られまいと顔をそらしても、つながったところを揺らされればそれ以上の抵抗はできない。満足そうなジョセフは白い胸の真ん中に顔を寄せて赤いキスマークを刻んだ。

「今日はずいぶん反応いいじゃん。きゅんきゅん締めつけてくれちゃうし、最高」
「だ……から、おれたちの波紋が……」
「あー、そういう話はあとにしてくれって。萎えちまいそう」
「んぁ、ひっ! 聞け、ぇ……!」

 ベッドの中でまで修業を思い出したくないのか、シーザーの言葉を遮ったジョセフがゆるく腰を使う。それだけで声を裏返らせたシーザーは結局目の前の恋人にすがりつくしかなかった。合間にぴんと尖った乳首に吸いつかれ、反応した体が性器を締めつける。その刺激で生まれたジョセフの快感すらシーザーにもたらされ、逃げ場のなさに波紋を呪うしかなかった。

「JOJO、激し、ん……!」
「何言ってんだよ、こんなのぬるいくらいだろ? ほら、シーザーも腰振れって」
「違……JOJO、あ、あぁ……っ!」

 確かにジョセフの動きはむしろゆったりとしたものだ。しかし、二人分の快感を受け取ってしまうシーザーにはそれでも刺激が強すぎる。彼の反応を少しも逃さないというように視線を向けつつ、胸の先に舌を這わせるジョセフの瞳にくらくらした。触れ合ったところから溶けて一つになるようで、体の境界を越えてジョセフの声が届く。

 ――シーザーかわいい、たまんねえ、好き、おれのもんだ。

 心臓の真上にキスマークが刻まれる。痛みを伴うそれは彼の執着を表すようでシーザーの興奮を呼んだ。ジョセフの首に腕を回し、何度も唇を重ねる。自身が置かれたこのおかしな状況も、彼が感じていることを読み取れただけで喜べるような気がしてしまうのだからどうしようもない。ふくらんだ性器がジョセフの腹筋にこすれて唇の間で熱い息を漏らす。彼を呼ぶ声はみっともないほどに甘く崩れ、それを聞いたジョセフがやわらかく微笑んだ気がした。

「――ハ、中、きつくてもってかれそ……」
「JOJO、ぁ、や、それ……! あ、あぁー……!」

 ジョセフの手がシーザーの熱を撫でる。性感の束を刺激されて体は素直に反応した。締めつけたことで後孔を拡げる性器の形まで感じ取ってしまい、シーザーは体を震わせる。奥深くに熱い液体が注がれるのと同時に、ジョセフの絶頂が流れ込んでシーザーの意識は白く塗りつぶされた。



★☆★☆★


 顎先を伝う汗が水面に落ちて小さな波を生む。それを見ながら、シーザーは問いかけに答えるべく身をよじってジョセフの唇を奪った。
 シャワールームには湯気が立ち込め、大男二人が身を寄せ合うバスタブの湯は今にもあふれそうだ。意識を飛ばしたシーザーが目を覚ましてみれば、後ろから抱えられるようにしてここに収まっていた。窮屈さに離れようとしても重たい四肢は思うように動かず、結局彼の背はジョセフの胸とぴったりくっついている。年下の彼に子ども扱いされているようでどことなく居心地の悪さを覚えながらも、互いの身に起こった波紋の同調を伝えてやったところだった。

 舌先をくすぐり、厚い唇を食むように転がしてから深いくちづけに変える。シーザーが振り向かなくては唇を合わせられない以上やりづらさはあるが、キスの経験はジョセフよりよほど上だ。たっぷり味わってから離れる瞬間に彼の舌に噛みついてやる。色気のない悲鳴を上げた彼にシーザーはわずかばかりのいたずら心を乗せて答えた。

「――お前がキスで気持ちよくなってるのも、噛まれて痛いのも感覚ごとおれに伝わってるってわけだ。わかったかスカタン」
「だからって噛まなくたっていいんじゃねえの……。それに、ベロチューが気持ちいいってのもおれの感覚じゃなくてシーザー自身の、痛ェ!」
「下手クソのくせに何言ってんだ。おれも痛いんだぞ」

 ジョセフの頬をつねったシーザーの側もじんわりとした痛みがある。不満げな視線を向けたジョセフも、セクシーな唇をとがらせるだけで何も言わなかった。

 シーザーの白い肌にはいくつもキスマークが浮かび、真っ赤なそれらは痛々しくも見えた。腕に残る打撲痕は少し色が薄まったようだが、まだはっきりと残っている。誰がどう見ても筋肉質な体だというのに、ジョセフは何度も「かわいい」と言った。
 つい数日前まで、それはからかっているだけだと思っていた。容姿も性格も女性的なところのないシーザーをわざと正反対の言葉で形容しているのだと考えていたし、それは当然の反応だろうと思っている。しかし、波紋に乗って伝わったジョセフの本心は少しもふざけていなかった。それはたぶん、いとおしさが生んだ錯覚だ。彼をして盲目にさせるだけの愛情を知り、こっそり口元をゆるませたシーザーはジョセフの声に慌てて表情を引き締めた。

「考えが伝わるだけでも信じらんねえのに、感覚までリンクしちまうとはねえ……波紋っつーのもおそろしいな」
「そ、そうだな。せめて任意で使えればいいんだが……。この状況はおれたちの波紋の波長が近づいたせいだが、時間が経てば元に戻っていくはずだ。どちらにせよ、リサリサ先生にご報告しなければならんな」
「報告? 波紋のおかげでJOJOとのエッチが2倍気持ちよかったって、いってえ! ほんとにオメーに伝わってんのかよ!?」

 後ろ手でジョセフの顔面を殴りつければ悲鳴とともにバスタブの水面が波打つ。時刻は深更で、師に報告できるのは明朝になるだろう。確かに、なんと報告するべきか迷うところではある。考えを巡らすうちにすでに慣れた心の声が小さく聞こえ、シーザーが本人に振り向けばなぜかジョセフは視線をそらした。

「言いたいことがあればはっきり言え。今さら隠しごとなんてできねえぞ」

 声の輪郭がぼやけていたのはジョセフの考え自体に迷いがあるせいだろう。これだけ波紋に翻弄されたあとだ、気のせいだなんて逃げは通用しない。促せばジョセフはなおも言いにくそうに口を開く。

「……その、なんでオメーばっかりおれのこと伝わっちまうのかなって……」
「先生も言っていただろう。コントロールができていないせいでお前の波紋がおれに届いていると」
「それはそうなんだけどよ。…………おれだって、シーザーの考えてること知りてえし」

 どんどん小さくなる言葉を最後まで聞き取り、シーザーは無言でまばたきした。日頃あれだけ不遜に振る舞っているジョセフ・ジョースターと目の前の彼は同一人物なのだろうか。まつげに溜まった水滴が頬を転がり、その感触も気にならないほど驚いている。しおらしいせりふはジョセフにまったく似合っておらず、戸惑うシーザーは結局からかうような言葉でしか応えられない。

「……いつも、ひとのことを単純だとか読みやすいだとか言ってるヤツの言葉とは思えないな」
「そういう話とは別だろ。そりゃシーザーはわかりやすいけど、頭の中を知りたくないわけじゃあねえ」

 言い切られてシーザーはそっとうつむいた。相手の真情を知りたいと思うのは恋愛の基礎だ。何度も体を重ねた関係だというのに、素直な言葉がやけにくすぐったい。彼の胸中を覗き見たシーザーがこっそり喜びを覚えているのと同じくらい、ジョセフも恋人の考えを知りたかったのだろうか。ごまかしやはったりのない距離はやけに甘く、シーザーはさっきまで呪っていたはずの波紋に感謝した。後ろからジョセフの手が伸び、白い左手をとらえて指先にキスが落ちる。

「シーザーはおれの考えてることもわかるかもしんねーけど」
 ――おれには聞こえないから、言って。

 どれほど唇を合わせても、体を重ねても、互いが一つでない限り通じあえることはないのだ。足りないと思うのはそれだけ相手を求めているからに他ならない。
 心を覗けないジョセフのために、シーザーはとびっきりの甘い言葉を用意して口を開いた。