(エロは)ないです
 浴室から出た先、室内にはすでに来客の姿があった。

「……また来たのか」
「お邪魔してるぜ」

 我が物顔でおれのベッドに転がるのは弟弟子であるJOJOだ。この島で修行を始めてから毎日、それも睡眠時間以外のほぼ100%を顔を突き合わせて過ごしている相手である。跳ねた髪先は夕食の席と同じ角度を指し、無人の部屋に上がり込んでおいて悪びれた様子もない。彼の遠慮のない振る舞いにはもう慣れていて、なんでもない顔をして濡れた髪を拭いた。
 テーブルに置いておいたグラスを手に取れば、水を注いだ中身が減っている気がする。横目でJOJOを見やっても、彼は持ち込んだコミックに夢中になっているふりでおれの視線を無視した。仕方なくグラスを干し、タオルを椅子の背もたれにひっかける。時計を見れば日付が変わる少し前。あとは眠るだけとはいえ、ポケットには修業用の油と特殊石鹸水を入れていた。

「メシの前にシャワー浴びてたんじゃねえの?」

 寝そべったまま言うJOJOの口元には黒いマスクが嵌っている。それも見慣れたものだった。この呼吸法矯正マスクは波紋使いだけが扱うことができ、おれが着脱を任されることもある。少しだけこもった声に振り向かず、椅子に掛けながら答えた。

「部屋で筋トレをしたら汗をかいたからな。もう一度浴びただけだ」
「へえ? ずいぶんきれい好きなのネン」
「……まあな」

 JOJOに答えた言葉に嘘はない。修業を終えて夕食にありつくまでにも一度埃を洗い流して、そのあと部屋で自主練をこなしてから再びシャワールームに入った。その間にJOJOが部屋に上がり込んでいたわけだが、今さらだしおれも不快ではない。彼と恋人と呼べる関係に至ってから十日近くが経っていた。

 それだけの時間しか経っていないというのに、JOJOに抱かれた回数は両手の指では足りない。合わない計算にため息をつきたくもなる。その息が桃色がかっているのは別の話だ。

 はじめはこの部屋だった。彼のマスクを外したおれはそのままくちづけ、恋しい相手の唇を味わっている間に押し倒されて最後まで至ってしまった。男同士で、思いを通じ合わせたその日にそこまで関係が深まるとは思っておらず、流されるままにJOJOの下で喘ぐ。修業の最中に見るよりもずっと男っぽい表情に心臓が跳ねたのは確かだ。

 思えば、あれが悪かったのかもしれない。一度許してしまってからというもの、JOJOは何度も求めるようになった。あの日以来、おれが一人で眠ったことはない。JOJOと肌を合わせ、同じベッドで眠るのが常になった。
 年若い彼の情欲は尽きることがないようで、なにかのはずみにスイッチを入れてしまうことが多々あった。おれを指して「物欲しそうな顔をしてるから」と言われるのはJOJOの願望が反映されているだけだ。おれだってふとした瞬間に彼に欲情することはあるが、それを悟らせるほど抜けてはいないつもりである。それを言えばJOJOはひとの悪い顔で笑った。

 エア・サプレーナ島の居住スペースはこの屋敷だけで、それも今は極端に人口密度が低い。修業者の数がもっと多い時期もあったと聞いたが、昔の話だ。現在の島の人口は6人きりだし、リサリサ先生のメイドであるスージーQが他の階に顔を出すことは少ない。そのうえおれたち修業者の部屋は2Fの端に位置し、他の住人が通りかかるような場所にはなかった。
 それをいいことに、JOJOのやつは部屋の外でも求めてくる。ベッドの中でならおれが拒む理由はないというのに、そうでない場所で事に及ぼうとするのは彼の悪癖だ。求められるのは悪い気がしないとはいえ、見られるかもしれないところでふけっていると秘め事を晒しているようで肌が熱くなってしまう。はじめは抵抗していたはずなのに、だんだんと彼のペースに乗せられてしまうのは自覚していた。

 部屋の扉を開け放して抱かれたこともあるし、すぐ外の薄暗い廊下でセックスしたこともある。普段はひとけがないとはいえ、この瞬間に誰かに見られる可能性はゼロではないのだ。羞恥と罪悪感で潰れそうになるおれにJOJOは「かわいい」と言ってますます激しく責める。彼に加虐趣味の素質があるのではないかと疑い始めたのは最近だ。

 冷えた廊下の端で、後ろから壁に押しつけられるようにして抱かれたときもあった。互いにろくに服を脱がず、ボトムを半端に下ろした状態で交わる。抵抗しようにも、物音を立てれば誰かに見つかりそうな気がしてろくに動けない。すでにJOJOの形を覚えた体はあっさりと陥落し、熱いものが押し入ってくる感覚に声もなく身悶えた。おれが彼を愛しているのは事実で、その熱を感じてしまえば嫌がるふりもできなくなる。指先が固い壁を掻き、小さな痛みが残ったことも覚えていた。なにせ、つい三日前の話だ。

 やはりおれはJOJOに甘いのかもしれない。セックスは恋人同士が愛情を確かめ合うものであり、スリルを楽しむようなやり方はごめんだというのに、結局流されてふけってしまった。我が身を反省してみても、次に彼の手を拒めるかというとまったくこころもとない。

 おれたちが置かれたこの環境も互いの欲を溜め込むのに一役買っているように思える。制約が多い毎日に、どこかで憂さばらしをしたいと思ってしまうのだ。
 例えばタバコである。毎日の修業は事前に内容を知らされることはないし、中には遠泳のメニューもあるから、濡らしてしまわないよう修業場にタバコは持ち込めない。一日のほとんどを強制的に禁煙させられ、口寂しくなる瞬間に彼がほしいと身勝手な欲求が生まれる。その焦燥を思い出し、今も寝転がるJOJOに目をやれば黒いマスクが光っていた。

 呼吸法矯正マスクを身につけることは先生からの言いつけだとわかっていても、どうしようもなく無粋な邪魔者だと思ってしまうときがある。すでにJOJOの波紋の呼吸は安定していて、修業中でなければ外していても構わないと師範代に言われたくらいだ。それを言い訳に、おれの手でマスクを外してキスをねだる。それだけで済ませるつもりが、彼に火をつけてしまったのかなし崩しにセックスに至った記憶も何度かあった。

 師範代たちが次のメニューの準備をするからといなくなったのをいいことに、修業場の陰で体をすり寄せる。座り込んだJOJOの膝に乗り上げるようにしてマスクを外せば彼はすぐに応えてくれた。汗ばんだ肌に手を伸ばし、唇の感触を何度も味わう。JOJOの手がおれの腰を撫で、連想する期待に体が小さく跳ねた。
 まさかここではしないだろうと油断していたのは確かだ。服の上から乳首を刺激され、喉の奥で声が漏れる。思わず逃げ腰になる体を捕まえられ、布地を押し上げる彼の熱を押しつけられて、あとは流されるだけだった。見られるのではないかとほとんどパニックになるおれの内心も知らず、JOJOは「すげー締まる」とやけに満足げだったのを覚えている。短い間に汗と疲労を浮かべたおれに師範代は不思議そうな顔をしていたが、露見していないと思いたかった。

 そのときに限らず、気づけばねだられるたびにマスクを外してやっている。最大の効果が得られるのは修業時とはいえ、もともとはずっとつけているよう先生が命じたものだ。それをおれやJOJOの都合で簡単に外していいものではない。そう決意を固めたおれの視線に気づいたのか、ベッドを占領していたJOJOが身を起こした。

「……ずいぶん熱烈に見つめちゃってるけどォ、そんなにおれの唇が恋しいの?」
「寝言は寝て言え。――いいか、そのマスクはお前が強くなるためのものだ。今までは大目に見ることもあったが、今後はないと思え。外したければ先生に許可を取るんだな」

 そう言い切ればJOJOはあからさまに不満気な表情になった。マスクをつけていても読み取れる不機嫌さに、一週間ほど前も同じようなやり取りをしたと思い出す。結局、ベッドの中で呼吸をつまらせたJOJOにあわててマスクを外してやったわけだが、今度こそそんなことはしないと誓う。思えば、息が乱れたように見えたのも彼の演技かもしれなかった。

 黒いマスクの下でふくれているのだろうJOJOはベッドに体を投げ出す。その横には彼が手にしていたはずのコミックが置かれていた。そもそも、漫画が読みたいなら自分の部屋でいいはずだ。わざわざおれの部屋にやってきたということはコミックを開く以外の目的があったということになる。つまり、おれにマスクを外させて肌を重ねるつもりだったのだろう。彼に抱かれるのはもちろん嫌ではないが、求められてすぐに股を開く相手だと思われるのも癪だ。意地が悪い気分になって、「そろそろ部屋に戻ったらどうだ」と言った。

「シーザーちゃんたらつれねえの。ちっと頭固すぎと違う?」
「うるせえ。体を休めるのも修業のうちだぞ」
「口うるさいのはどっちだよ。オメーはおれのかーちゃんかっての」

 かわいげのない返事をしたJOJOは一度立ち上がり、ボトムのポケットから何かを取り出す。彼の手の中に細い縄を見つけ、机の上に日記を広げようとしていたおれは一瞬固まった。

 おれに言われたとおり自室に戻るつもりなら、その縄は必要ないものだ。毎日の修業でも使うことがないそれは何に使われるのか。
 まさか、諾と言わないおれを縛り上げて無理やり事に及ぶつもりなのかもしれない。縛られるとしたら腕だろうか。後ろ手に拘束され、シーツに顔を押しつけられたらほとんどの抵抗は封じられる。おれが嫌がるのにも構わず、JOJOの指が服と下着を剥いでしまう。その想像はひどく生々しく再生された。
 それとも、蹴り飛ばされないようにと彼は足を縛るかもしれない。かかとと腿がくっつくように拘束し、押し倒した格好で両腕を押さえ込まれれば身動きすらできなくなる。あるいは首に縄を巻いて少し引くだけでもおれはJOJOに逆らえなくなるのだ。抵抗できない体に流し込まれる快感は毒のようにおれをむしばむだろう。想像の中で小さく身震いし、JOJOの指先に全身の神経を向けた。

 しかしJOJOはベッドに座り直してしまい、おれのもとに近づいてくる気配はない。それでも警戒は解かぬまま「何をしているんだ」と言えば彼はあっさり答えた。

「これ? ロープマジックの練習だって。こういう手品、ヒジョーに好きなのよ」
「ロープ…………て、じな……?」

 思いもかけない返事におれの手からペンがすべり落ちる。JOJOはそれも気にせず、細い縄を自在に操って何やら結び合わせていた。その視線がこちらを向かないことを確認し、鼻を鳴らしてペンを拾い上げる。
 手品の練習なら一人でやればいい。思わせぶりに振る舞って、変な期待をしたおれがばかだった。いや、期待ではなく想像……連想程度だ。とにかく、彼にはおれを縛り上げてどうこうするつもりはないらしい。もちろん、それに越したことはなかった。体に走った緊張がとけたのは落胆などではなく安堵だ。ベッドの上で指先を動かしているJOJOなど無視してしまうに限る。改めて、開いた日記帳に向き合った。

 この島で修業が始まってからは日記の内容にも変化があった。行ったメニュー、その成果、反省点、コツなどをできるだけ詳しく書くようにしている。それを見返せば翌日の指針にもなるし、ここまで続けてこられたという自信にもなるからだ。記録の中にはおれの武器である特殊石鹸水の調合比率も含まれている。少しずつ比率を変えて、どのバランスが一番戦闘向きかを研究しているのだ。

 書きかけた手がついおとといのことを思い出して止まる。あの日、修業が始まるまでの間に中庭で石鹸水の調合を試していたところにJOJOが通りかかった。彼は興味なさそうだったが、なぜか飽きもせずにずっと見ている。はじめに声をかけたあとは特段しゃべることもないJOJOに、おれも気にせず手を動かした。ひととおり作業が終わると調合した石鹸水に波紋を流して確認する。指先で輪を作り、息を吹き込んでシャボン玉を飛ばせばすぐ後ろにJOJOの気配を感じた。

 服越しによく知った熱が触れ、頬が引きつったのを覚えている。こんなところでしないぞ、と抵抗するおれにJOJOは体だけを高めて煽ってきた。シャボンランチャーでぶっ飛ばしてやりたくてもすでに呼吸は乱れ、特殊石鹸水で濡れた手は空を切る。朝日が差し込む中庭でイかされ、力が入らなくなった体をいいようにもてあそばれた。まわりを屋敷の壁が囲む中庭で、誰にも見られずにすんだのは僥倖だと思うほかなかった。

 おれは本来、恋人同士の秘め事は人目に晒すべきではないと思っている。だというのにJOJOはスリルのある場所ばかりを選び、おれをおびえさせては楽しんでいるようだった。
 彼に求められるのは嫌いではない。……正直に言うならば好きだ。だからといって、いつでも歓迎できるわけでないのは当然だ。最後にはいいようにさせてしまうおれを見て愛情を確認しているのではないかと思ってしまうこともある。惚れた弱みという言葉があるが、おもちゃのように扱われて嬉しいわけはないのだ。

 いつもの習慣でタバコを咥え、ライターに指をかけて思いとどまる。部屋に居座る来客はキャンディーが好きな子どもで、タバコの煙はいつも嫌がっていた。煙たがるだけでなく、吸ったあとしばらくはキスも拒まれるのだ。火のついていないタバコをシガレットケースに戻し、件の客を横目で見やる。そもそも、あいつは何をしにこの部屋に来たのだ。

 コミックに手品と、さっきからJOJOのやっていることは一人でやっていてもいいようなものだ。むしろ、気が散らないぶん自室にこもったほうがよさそうに思える。それをわざわざおれのところまでやってきて、部屋の主を無視して手遊びに興じている。どういうつもりだと怪しんでもいいだろう。
 おれが気配をうかがっているのにも気づかず、JOJOは複雑な縄目を作ってはほどいている。一人っ子でのうえ、遊んでくれる親もいないためにそういう遊びが上手になったとは本人から聞いた。確かに彼の手際は鮮やかで、おれが見てもどこがどうなっているのかさっぱりわからない。手先が器用なのは才能の一つだ。

 しかし、なにも今その才能を発揮しなくてもいい。夜ふけてから恋人の部屋を訪ねておいて、まさかこのまま帰るつもりではないだろう。TPOさえわきまえていれば彼と体を重ねるのは賛成なのだ。つまり、静かな夜に二人きりで抱き合うのは決して悪くない。さりげないふりをして何度も視線を送るうち、ベッドの軋む音とともにJOJOが立ち上がるのが見えた。

「……じゃ、そろそろ自分の部屋に戻るかな。また明日な、シーザー」
「…………ん、なッ……」

 軽く言ったJOJOは持ってきた縄とコミックを抱え、すたすたと部屋の扉に向かう。おれは言葉を発することができず、ぽかんと口を開けるだけだった。
 ――本当に帰ってしまうのか。まだ今日は彼に触れてもいないのだ。先ほどシャワールームの中で慣らした体は、当然今夜も彼に抱かれると思っていた。それをあっさりと振り払ったJOJOはドアノブに手をかけている。

 今までが気まぐれで、もう彼には飽きられてしまったのだろうか。もともと、彼がおれを求める理由は想像がつかなかった。今晩に限って呼吸法矯正マスクを外すのを断ったからかもしれない。あるいはもっと別のところで見切りをつけられたとも考えられる。現に、JOJOはおれの部屋に来ても他のものばかりに気を取られていた。一瞬のうちに後ろ向きな思考がかけめぐり、彼を引き止めてもいいのだろうかと迷いが生まれる。不自然に動きを止めたおれに気づいたのか、扉の前のJOJOがこちらを振り向いた。

 恋しい相手の瞳に見つめられ、それだけのことで高揚するのを感じる。気がゆるんでしまったらしく、乾いた唇が無防備に動くのを遅れて自覚した。

「…………しない、のか?」

 静かな部屋に落ちた声はあまりにも物欲しげな響きを伴っていた。彼に求められたときには嫌だと抵抗したこともあったのに、いつのまにかおれの方がねだっている。我ながら浅ましさに恥ずかしくなり、取り消そうとした瞬間に誰かの足音を聞いた。
 自然と落ちていた視線を持ち上げれば、JOJOがゆっくりと歩を進めるのが視界に映る。その表情は勝利を確信したときの笑みに似ていた、気がした。


checked!!