バッカス&アメジスト

 シャワーを浴びたあとの、湿り気を帯びた金髪が照明の下で流れる。自分に潔癖性の気があるとは考えたことのないおれでも、この島にいる間は一日三度でも四度でもシャワーを浴びたい。それくらいハードな修業の連続で、たまにはハメを外したいと考えるのも当然だった。

 一日のノルマを終えて、いつものようにぐったり倒れていたおれたちの前に珍しくリサリサが現れた。追加課題でも出すんじゃねえだろうなと戦々恐々のおれたちにあの女は黒髪を揺らして「疲れたでしょう。部屋にワインを用意しました。二人で分けなさい」と告げる。
 ますます気味悪がるおれに「英気を養うのも大事なことです」とほほえんで見せた表情は、まァ、そこそこ美人と言ってもよかった。


 そんな経緯で始まった酒盛りの結果が、今目の前に転がっている。テーブルに腕を置き、その上に頬を乗せて片手でグラスをもてあそぶ姿は普段と似ても似つかないのに、その目も髪もおれの知るシーザーその人だった。
 常なら鋭く光るはずの瞳はやわらかくとろけ、うるんだ色がゼリーのようにつやつやしている。修業の終わりに外していたバンダナはたぶん、おれの呼吸矯正マスク同様脱衣所にでも放ってあるのだろう。ずいぶんゆっくりに思えるまばたきは長いまつげが重たいからなんだろうか。彼の指先あたりに向いている視線は、たぶんなにも見ていない。3階にあるシーザーの部屋は潮騒も遠く、部屋にただようのは部屋の主が転がすグラスとテーブルのぶつかる小さな音、それに低い鼻歌くらいのものだった。

「ふふっ……ジョジョ〜……」
「あー……シーザー、ちっと飲みすぎと違う?」
「っなわけねー、だろぉ……」
「おまえね……」

 ご機嫌な声でおれを呼ぶシーザーはどこからどう見ても立派な酔っぱらいだ。それも、かなりへべれけの。

 おれは内心かなり動揺している。こんな風に酔ったシーザーなんて、見たことがなかった。出会ってからせいぜい半月、ときどき夕食の席で酒を飲んでいるのは知っていたが、修業中なのだからとグラスに一杯程度でとどめていたようだ。こいつが敬愛してやまないリサリサも同じテーブルについているから、失態を見せたくないという思いもあったに違いない。
 それが今晩に限ってはリサリサは同席せず、おまけに先生からのねぎらいとあってはセーブする理由がないということか。ワインよりコーラがいいなァ、と思いながらおれがちびちびやっていた間に気づけば何本もあったはずのボトルが空になっている。こいつの顔色があまりにも変わらないから気づかずにいたが、いつの間にか限界点を超えていたらしいシーザーはこのありさまだ。

 頬をぺたりとテーブルにつけて、いつもはおれにマナーをうんぬんするくせに今のシーザーにはその影も見当たらない。なにがおかしいのか、おれの顔を見上げてくすくす笑うのにきゅんとした、なんてことはない。絶対に。

「……ったく、あぶねえな」

 言いながらシーザーの手元からグラスを取り上げた。酔っぱらうだけなら罪はないが、うっかり割って怪我でもされたら困る。おもに、後片付けをしなきゃならないおれが。

 その動きを緩慢に目で追いかけていたシーザーの手が持ち上がり、おれの手首を捕まえた。握るでもなく、添えられるだけの指からじわじわと体温が伝わる。おれよりずいぶん低い位置にある瞳は半分以上が金色のまつげに隠れていた。

「……なんだよ」
「ん…………」

 問いかけてみても返ってくるのはぼんやりした声だけだ。相手は酔っぱらいだとわかっていても、すがるように伸ばされた手に妙な期待をしそうになる。

 ただの修業仲間ならこんな風に悩んだりしない。相手がシーザーだから、つまり恋愛関係かつ肉体関係にあるところの恋人だから、思わせぶりな態度に迷ってしまうのだ。酔って熱い息を吐く姿にムラムラしてしまうのは、もう不可抗力だ。いつも眉をつり上げてばかりのこいつがくったりと力を抜いているさまはあからさまに事後を思わせた。あーもー、エロい顔しやがって、今すぐベッドに押し倒してアンアン言わせてやりたい。おれにちょっぴりでも紳士の精神がなければ襲ってたところだ。

 10代のやりたい盛りであるおれとしては毎晩だってエッチしたいのを、2回に1回は素っ気なく断られて終わる。「明日も早いだろう」が理由なんだから、あいつがどれだけ真面目なたちか知れるというものだ。強引に事を進めて嫌われたくはないから、隣で恋人が寝てるっていうのにソロプレイだけでむなしく夜を明かしたこともある。意識があるうちはそれくらいお堅いっていうのに、酔ったとたんに色気を振りまかれちゃたまったもんじゃあない。

 おれの思考がよこしまな妄想に傾きかける隙に触れていたシーザーの手がすべり、互いの手のひらが重なる。内側の薄い皮膚をゆっくりなぞられて一瞬息を詰めた。

「……ッ」

 偶然を疑い、視線を落とせばおれより白い指が手のひらを這っていた。まるで手相を確かめるように人差し指が動き、指の股から先端までを優しく往復する。愛撫するような触れ方に妙な興奮がせりあがった。
 もちろん、手のひらなんかで性感は生まれない。それでもそこに込められた意図を感じ、期待するように喉が鳴る。おれを見上げるシーザーの瞳がうるんでいるのは酒のせいだとわかっていても、煽られずにはいられなかった。

「……ちょっとォ、酔いすぎだっての」
「んー……」

 曖昧な返事をよこしながら、シーザーの指は飽きずにおれの手のひらをもてあそんでいる。ただでさえとろけたようすのシーザーにグラグラきてるっていうのに、こんなふうに誘われては我慢できなくなりそうだ。
 この島に来てから童貞をこいつに食われたおれが経験不足であるのは否めない事実で、単純な連想に体が熱くなる。手じゃなくてべつのところに触ってほしいとか、頬ずりするならテーブルよりおれにしてほしいとか、我ながら恥ずかしくなるほどの願望だ。そんな青臭い欲望を育てる張本人が酔っぱらいなのだから手に負えない。今のシーザーならなし崩しに進められそうだが、それで翌朝嫌われていてはどうしようもないだろう。かといってこれほどの据え膳をつっぱねるだけの思い切りも持てず、結局身を固くするしかできなかった。

「ジョジョ……」
「なっ、なんだよ?」

 理性と誘惑の間で戦うおれに甘い声がかけられ、慌てたような返事になった。ひとの名前を呼んだシーザーはテーブルに片頬をつけながらふわふわと笑うばかりで、それ以上続けようとはしない。薄く開いた唇はいつもより鮮やかな色をしていて、その奥から覗くピンクの舌がひどくいやらしく見えた。ちょっばかり本能に素直になってしまうのも仕方がない、おれだって酒が入っている。

「……オメーなぁ、あんまりひとをからかってばっかだと、お……襲っちまうぞ」
「いいぜ」

 ぎこちなくつっかえながらもやっと言えば軽い返事が返る。それにおれはまばたきの動きを止めてシーザーを見つめた。修業中に聞くようなはりのあるものではなく、だいぶ輪郭の崩れたやわらかい声だったが、確かにこいつの口から出たはずだ。

「ジョジョ……お前は優しいから、酔った相手に手を出すようなまねはしないだろう?」

 心なしか怪しくなった発音でシーザーが言うのになんとも答えあぐねる。そりゃ、意識がはっきりしていない隙にあれやこれや致してしまうのはおれの良心がとがめた。それにしてもこいつ、いつもは思いやりが足りないだとかガサツだとか言ってくれるくせに、おれのことを優しいって思ってくれてたんだな。シーザーが褒めてくれることなんてほとんどないから、期待に早まっていた鼓動がまたちょっぴり早くなった。

「そ……うだぜ、だからオメーも……」
「いいって言ってるだろう。…………おれは、いつでもお前に愛されたいんだ」

 そう言ったシーザーの指がおれの左手に絡まる。その瞳にはからかうような色はなく、いとおしさをたっぷり乗せた視線があふれるばかりだ。自分の心臓の音がうるさいくらいなのに、シーザーの長いまつげが動く音まで聞こえるような気がする。やわらかそうな唇が開くのに目が釘付けになった。

「……愛されてるって、実感させてくれよ……?」

 そんなふうにうっとりとほほえまれて、良識なんて投げ捨てるしかなかった。


★☆★☆★


 指を引き抜くと粘った音が立つ。感じきったような吐息を聞きながらもう一度押し込めば高い声が上がった。
 露骨な誘い文句に煽られ、照明を気にする余裕もなかったから、明るい光の下で筋肉が波打つのまで見える。脱がせる手間も惜しく、シーザーの着ているシャツは胸元までまくり上げたところで止まっていた。いつも白い肌はしっとりと汗ばみ、今日に限っては血色が増しているように思える。ベッドサイドにはこういうときに使う油が常備され、そのおかげでシーザーには痛がるようすも苦しそうなようすもない。どころか高い喘ぎ声を聞かされて、そろそろズボンの前がきつくなってきた。

 揃えた2本の指で内側をゆっくりなぞればシーザーの太ももが震える。あれだけ酔っていたのだから反応がにぶくなっていると思いきや、仰向けに開かせた足の間でシーザーの性器はしっかり硬くなっていた。本人はふにゃふにゃになっているのに不思議な気もするが、こちらのほうが都合がいいことは間違いない。

「あ、っん! ふぁ、ぁ……ジョジョ……」
「きもちいーの、ここだっけ?」
「ひッ、ん、ちが……ぁっ……」

 わざとポイントを外してこすってやると物足りなさそうに鼻を鳴らす。ちょっとくらい焦らしてやらないと、あんまりやらしいところばかり見せつけられていてはこっちの身がもたない。今だって、何も考えずにぶち込んでやりたくて仕方なかった。
 意地悪く、シーザーの好きなところをかすめるようにして中を広げていれば小さなうめきが聞こえる。そのうちにわずかに持ち上がった腰がおれの指を追いかけるように揺れ始め、シーザーの方から押しつけてきた。

「……、ひぁっ! ぁ、っく、ン……! ああっ!」
「…………ッ」

 いいところに当たるように自分から腰を揺らし、甘く鳴くシーザーの姿にめまいがしそうだ。いつものシーザーなら上に乗っかって主導権を握るか、あるいはおれにあちこち触られるのを耐えているかのどちらかで、こんなふうにしおらしい反応を返してくれたことはない。空いた手で額に貼りつく前髪を掻きあげてやれば視線が絡み、それからゆっくりと細められた。

「……腰振っちゃって、えっろ〜」
「お前が焦らす、から…………っあ! ァ、ん……!」

 お望み通り、前立腺を狙って指を動かすとシーザーの頭がかくりと落ちる。丸まったつま先がシーツをすべるのが余裕のなさを表しているようで、日ごろ味わえない優越感にひたった。もう一本増やした指で中を探れば内壁が震え、その先の想像にますます気が急く。触っていないはずのシーザーの熱はすっかり天井を仰ぎ、あふれた先走りが幹を伝って後ろの穴まで濡らしていた。

「アンアン言っちゃって、ずいぶんよさそうじゃん?」
「んぁっ、きもちい、あ……! そこ、ふぁ、ジョジョぉ……!」

 朱の差した顔がこちらを見つめ、甘ったるい声で名前を呼ぶ。そんな甘え方をどこで覚えてきたのか問い詰めたいくらいだが、年下彼氏への効果は覿面で、焦らしてやろうとしていたことも忘れて高い喘ぎが聞こえるところばかりを責める。指先に感じるわずかな膨らみを執拗に押し潰していれば、上ずる声が切羽詰まったものになってきた。

「なァに? もうイっちゃう?」

 からかい混じりの言葉に必死な頷きが返る。いつも兄貴風を吹かせているシーザーのそんなところに興奮が増して、吐く息が熱いものになった。このまま最後までいかせてやろうと意気込んだおれに、投げ出されていたシーザーの手が伸びる。
 穴に突っ込んだ方の手首にシーザーの指が絡み、意図の読めない動きに視線を上げた。頬のあざを濃い色にした彼の目には涙が膜を張り、赤い目のふちが興奮を伝えている。なんだよ、と口に出して問えば芯のない声が返された。

「…………も、指じゃ、いやだ……」
「……〜ッ、あーもう!」

 誘う言葉にいっそ舌打ちしたいほどの乱暴な衝動がこみ上げる。このうえ焦らすだとかもったいぶるなんて選択肢が残っているはずもなく、荒っぽい動きで指を引きぬいて自分のベルトに手をかけた。器用なはずのおれの手がやけにもどかしく、前をくつろげて性器を取り出したところで我慢できなくなる。
 しどけなく足を開くシーザーの目はやっぱりどこかとろんとしていて、酒精がまだ抜けていないようすだった。そんな相手に突っ込もうとしているおれは紳士とはほど遠いのだろうが、もう思いとどまれそうにない。おれのほうに視線を向けるシーザーの右手がゆっくりと動き、自ら差し入れた指で後孔を広げてみせる。白い指の間からのぞく肉の色に理性を削られ、軽口を叩く余裕もなかった。

「……クソッ!」
「んああっ! はげし、ぁ、あー……!」

 耐え切れず、口を開けて待っているそこに突き入れた。念入りに慣らした粘膜が待ちわびたように絡みつき、背筋を駆け上がる快感に何も考えられなくなる。腰を進めるぶんだけ、すぐ近くから甘える声が聞こえた。
 最後まで埋めてから息をつく余裕ができる。おれをぴったりと包みこむシーザーの内側がいつもより熱いのは気のせいなんだろうか。身を反らせて震えるシーザーの喉元を舐めてやれば塩の味が残った。

 女とするそれとは違い、男同士のエッチは受け入れる側の負担が大きいらしい。とくに、これだけ酔っている相手だからこちらが気を遣ってやらなければならないだろう。思い切り突き上げて揺さぶってやりたいのをぐっとこらえ、それでも目の前の誘惑に負けてふらふらと手が伸びる。切なそうに眉尻を下げるシーザーの胸元を撫でるうち、手のひらに固い感触が当たるようになった。
 つんと尖った乳首に触れれば漏れる吐息が聞こえる。シーザーの意識がはっきりしているうちは「女扱いするな」と睨まれるが、こっちでも感じていることは知っていた。咎められないのをいいことにいじくり回せば湿った金髪がシーツに音をたてる。指の腹で押しつぶすようにすると子どもがむずがるように身体をよじってみせた。

「はっ……ぁ、ン…………」
「シーザーちゃん、おっぱいきもちいーんだ?」
「あぁっ! っだ、それ……んぅっ! …………ぃ、きもち、い……」

 ほとんどささやくように告げられた言葉におれの心臓が止まる。あからさまにからかう台詞を投げて、ふざけんなとか違うとか抵抗するシーザーをいじめてやるつもりだったのに、調子が狂う。なによりストレートな睦言にぐらっときた。
 薄く色づいているそこをつまみあげるようにすれば内壁が反応して波打つ。上向きに引っ張りながら挟んだ指ですりつぶすようにこすってみるとはっきりと嬌声が上がった。おれ自身は動いていないのに、きゅんきゅんと締めつけるそこにしごかれて気持ちいい。同時に先を催促されているようで興奮が育っていく。頭上から届いた「ジョジョ……」と息を吐くような声に、注いでいた視線を胸元から剥がした。

「……早く、もっと…………突いて、くれ……」

 そう言ったシーザーの手が伸びておれの頬を撫でる。子どもにするような仕草と似つかわしくないおねだりに言いがたい衝動がこみ上げた。
 膝を掴んでさらに開かせ、深いストロークで奥を穿つ。根本から先端までをぬめる粘膜に愛撫され、振り切れそうなほどの性感を覚えた。おれが動くたびに前立腺を刺激されるシーザーは耐えられないらしく、がくがくと体を震わせる。涙の気配の混じる喘ぎを誰にも聞かせたくない、おれだけが知っていればいいと思った。

「んああぁっ! あぅ、ふ、か…………! ぁ、ああー……っ! ひっ、ああ!」
「……エロすぎ、だっての!」
「ふぁ、あぁっ! んっ、そこぉ……あっ、ああっ! いい、もっと……」

 シーザーの弱いところを先端でえぐるように狙えば、聞いたこともないほど甘い声がたっぷり降らされる。兄貴面してばかりのこいつが誰かに媚びるような泣き声を出すなんて、昨日まで想像もできなかった。喘ぎの合間に何度も名を呼ばれるのに気づき、本能に埋もれそうな思考を持ち上げるとすがるように手が伸ばされる。酒のせいだけでなく赤い頬に汗を光らせて、舌っ足らずになった発音が届いた。

「ぁ、ふ……んぇ、ジョジョ、じょじょぉ……」

 目の前に広げられた手も、グリーンにうるんだ瞳も、こうやって開かせた体だっておれを求めている。知略を得意とするおれが何も考えられないまま、餌を待つひな鳥みたいに開かれた唇を乱暴に塞いだ。言葉にしないままキスをねだったシーザーは嬉しそうに喉を鳴らし、熱い舌が待っていたようにうごめく。いつもより動きが鈍い気がするそれを追いかけ、吸い上げ、甘く噛みつけばつながったところが収縮した。
 膨らんだシーザーの性器が腹にこすれるのを感じたとたんにおれの下の体がびくびくと震える。不意をつかれてイきそうになったのを下腹に力を入れてやり過ごした。呼吸が苦しそうなシーザーに気づいて少しだけ体を離せば皮膚の間で粘液が糸を引く。浅い呼吸を繰り返す姿に察して、唇の端がにんまりと持ち上がった。

「もうイっちゃったァ? かーわい」
「ハ……ぁ、るせぇ……」

 言い返す声にもぜんぜん力が入っていない。きれいに処理された下腹は毛の一本もなく、薄い皮膚が色づいているのまで見えた。後ろで絶頂を迎えたシーザーの、不随意なのだろう痙攣のたびにおれの息子が刺激されてそのたびにたまらない感覚が駆ける。脱力したようすの恋人に構わず律動を再開すればため息のような喘ぎが聞こえた。

「でもおれ、まだイってねえし? もうちょい付き合ってねン」
「ぁ……だ、今、やめ…………っあぁん! ぁ、んー……! ふぁ、待……!」
「だーめ。あんだけ煽ったくせに、責任とってくれよ」

 横暴に言い放って腰を振る。力の入らないらしい腕が押し返そうとするのも無視し、抜け落ちそうなほど引き抜いては奥まで突く動きを繰り返した。おれに揺さぶられるたび呼吸を乱すのがかわいそうなくらいだ。顎先から滴った汗がシーザーの肌を濡らす。白い首筋に噛みついたとき、聞こえた声は間違いなく抗議ではなかった。

 体を密着させれば触れた肌からシーザーの心音が伝わる。アルコールが乗っているのだろうその拍動はどくどくと響き、おれの左胸よりずっとうるさいくらいだ。そむけたがる顔に手を添えてこちらを向かせると淡い瞳に自分が映っているのもわかるくらいの距離だった。開きっぱなしの唇の端から唾液が垂れているのに妙な興奮を覚え、そこに舌を寄せる。ふと背中に重さを感じ、視線だけを動かしてやっとシーザーの両足がおれに絡みついているのだとわかった。

 離れるのを惜しむような仕草にいじらしさといやらしさを見いだして唇がむずむずと動く。それに気づいたらしいシーザーが促すように口を開けるから、おねだりに応えるしかなかった。
 シーザーの腕が首元に回るのを感じ、勢いをつけて奥まで突く。唇の間に甘い悲鳴が消え、収縮する内壁に搾り取られるようにしておれも達した。中で脈打つたびに体を震わせるシーザーのとろとろの声が聞けないのは残念であるような気もする。もう絡めた舌のどこにも、酒の匂いは残っていなかった。


★☆★☆★


 翌朝、当然ながらおれはシーザーのベッドで目覚めた。どろどろになりながら「もっとぉ……」とねだる恋人に負け、何度もふけってしまったのを汚れたシーツで思い出す。狭い寝具で抱き合って寝たはずの相手は体温すら残っていなかった。

「起きたか。お前も片付けを手伝えよ」

 かけられた声に頭を向ければ、部屋着姿のシーザーがテーブル越しに立っている。昨日は二人とも酒盛りの始末をするだけの余裕もなく寝てしまったから、空のグラスやボトルや皿がそこに残ったままだ。そういう乱雑さを許さないおれの彼氏は修業の前に部屋を片付けてしまいたかったらしい。半身を起こした拍子に裸の肩が露出して「……その前に、服を着ろ」と渋面をいただいた。

 ゆうべはずいぶん乱れたから、シーザーもかなり疲れているはずだ。それを一日の始まりのようにさわやかな顔をしているんだからこいつの精神力には恐れいる。それとも、波紋による効果だろうか? おれの顔を浮かべながら腰に波紋を流しているシーザーを想像するとなんだかかわいいような気がした。
 いつまでもベッドから出てこないおれに叱るような視線が向く。そのわりに何も言わずにむこうを向いてしまったのは、片付けを終わらせてから叱るつもりなのだろうか。グラスを手にするシーザーが向かおうとするのは部屋に備え付けの洗面所に違いなかった。

「あんなことしなくても、普通に誘ってくれりゃあよかったのに」

 その後ろ姿にむけて言うとシーザーの足が止まった。残念ながらその表情はうかがえないが、金髪の合間からのぞく耳がゆっくり赤くなっていくのが見える。たぶんその顔は耳以上に赤くなっているんだろう。たっぷり10秒以上置いたあと、「なんのことだ?」とはぐらかす答えが返った。明らかに平静を装えていない声がかわいい。

「だァから、ゆうべの」

 ガッシャンと大きな音に思わず身をすくませる。空のワインボトルを倒したらしいが割れてはいないようだ。手をすべらせた本人が動揺しているのはバレバレなのに、まだこちらを振り向かない。振り向けない顔をしてるんだろうな、と泣きそうに真っ赤なシーザーを想像で描いた。

「……なにが言いたい」
「ベロンベロンになってたの、アレ、潰れたフリだろ? 兄弟子として、しらふじゃおねだりできないからって考えたんだろうけど、おれとしちゃ素直に甘えてくれたほうが嬉ピーわけ」
「………………」
「……まァ、ゆうべのシーザーちゃんかわいかったし、ああいうのも歓迎なんだけどォ?」
「だれがかわいいんだ!」

 鋭い声とともにシーザーが勢いよく振り向く。その顔は予想通り熱っぽい色に染まり、目もとのあざの色も心なしか濃い。なにか言いたげにおれを思いきり睨みつけたあと、急に眉を寄せて後ろを向いた。赤い顔を見られたくなかったのに、しまったと思っているんだろう。本当に詰めが甘い。

「だいたい、消毒用アルコール飲んだって酔わねえような顔してんのに、オメーがあれくらいのワインでどうにかなるかよ」
「……どんな顔だ、それは……」

 蚊の鳴くような声で答えたシーザーはよろよろと行ってしまう。残念ながら、あの真っ赤な顔を見たあとでは何を言われようと照れ隠しであることは明白だった。しばらくはそっぽを向いたきりに違いないが、それはおれにとっても好都合だ。こんなゆるんだ顔、かっこ悪くて見せられやしねえ。

 つまり昨日のシーザーは酔ってなんかいなかった。甘い言葉で誘ってきたのも、うるんだ目でキスをねだったのも、とろとろの嬌声を上げ続けていたのも酒のせいなんかじゃあない。アルコールで理性を失ったように見せかけなければ表に出せなかった、シーザーの本心だ。
 不器用な甘え方はもどかしいがそういう駆け引きなら嫌いじゃあない。こんなことならもっとちゃんと目に焼き付けておくんだったと思いながらゆうべのことを反芻していればふと視界に影が落ちる。いつのまにか洗面所から戻ってきていたシーザーの手には、一晩ぶりに見る呼吸矯正マスクがあった。

「……修業に遅れるんじゃあないぜ、スカタン!」

 言いながら投げられた金属の塊は避けようもなくおれの額にヒットした。衝撃に目がうるむおれに「フン!」と鼻を鳴らしたシーザーは足早に出て行く。自分の部屋だというのに、これ以上顔を合わせているのはいたたまれなかったのだろう。

 そういえば、ゆうべはマスクのことなんて一度も言い出さなかった。いつもならおれがサボろうとしているのを目ざとく見つけては長いお説教と鉄拳を落としていくのに、リサリサからの言いつけである修業をないがしろにしてもおれとエッチしたいなんて、なんていうか、愛されてんなァおれ。
 ひょっとして、今までおれの誘いを突っぱねるときもシーザーの内心は抱きつきたくてたまらなかったのを押し殺していたんだろうか。わかりにくすぎる兄弟子の内心を知るにはワインが何本あっても足りないらしい。厳しい修行の象徴であるマスクを片手に、やっぱりおれの顔はゆるんでいた。