キャンディッドオーバーフロー
ジョジョの部屋をノックしたのは、あいつのマスクを外したままだったことに気づいたからだ。
歯を磨くから外してくれ、とねだったジョジョは呼吸矯正マスクを嫌っていて、逃げまわるあいつをおれが無理やり押さえこむのが常になっている。その気持ちは分からないでもないし、今が平時ならばジョジョを苦しめるすべてから遠ざけてやりたいのが本音だが、おれたちが置かれている状況を考えるにそうもいかない。生き残るためには、強くなるしかないのだ。
自力では着脱できないマスクを外してやったのはおれが風呂に入る前だった。風呂から出たらすぐにマスクをつけさせようと思っていたのに、少し長めにシャワーを使い、髪を乾かす間に本を読んでいたらうっかり忘れていたようだ。慌てて時計を見ればそれほど時間は経っていない。まだ髪も乾ききっていないほどだ。あいつのことだ、おれが顔を見せないのをいいことにマスクを放り出してごろごろしているに違いない。隣室の扉を叩いても返事はなかった。
一日の修行を終えたあとなのだから、広い屋敷をほっつき歩けるほどの体力が残っているとは思えない。どこに行ったのか、といぶかしみながらノブを回してみる。内側から鍵をかけられるはずの扉はおれの部屋とは違い、開かなかったことは一度もなかった。
「ジョジョ? いるのか?」
照明がついたままの室内に呼びかけた。扉を開ききれば主の居場所は明白で、三人がけのソファに掛けているのがいやでも目に入る。座面に浅く腰を乗せ、だらしなく足を投げ出す格好のジョジョはすっかり眠りの世界にいるらしかった。腹の上にはコミックが広げられているし、床に向かってずり落ちた右手の先に歯ブラシが転がっている。それには歯磨き粉が申し訳程度に添えられているが、どう見ても実際に使われたようすはなかった。
歯を磨くと言うからマスクを外してやったおれが馬鹿だった。シャワーを浴びようと身支度をしていたところに声をかけたのも、マスクから自由になる時間が少しでも長くなるようにという策略だったのかもしれない。おい、と低い声をかけて数度ゆさぶってみるが反応はなかった。こいつの眠りが深いことはもう知っている。元来そういうたちなのか、激しい肉体疲労のためにそうならざるを得ないのか聞いてみたことはないが、この数週間のうちに学んだことだ。
うたた寝程度なら蹴起こしてやるつもりでも、こうもぐっすり眠っているところを邪魔するのは忍びないような気がしてしまう。それは、幼い妹たちの寝かしつけに苦労した経験からかもしれなかった。
「……今日だけだからな」
いつもの就寝時間まではまだ間がある。その時刻になったら無理やりでもマスクをはめてやるとして、この数時間くらいはこのまま寝かせておくことにした。どうにも甘い自覚はあるが、そうしたいと思ってしまうのだから仕方ない。床に落ちた歯ブラシを洗面所に戻し、広げたままのコミックをサイドテーブルに置いてやる。こっそり行動したつもりもないのにジョジョは相変わらず寝こけていた。
「せっかく来てやったっていうのに、つまらんやつだな……」
呟いた声は思いのほか拗ねたように響いた。一日中一緒にいると言えばそうだが、なにせ修行中は集中していないと生死に関わる。よそ見をしている暇があるはずもなく、食事の席で顔を合わせてやっと互いを認識すると言ってもいい。夕食も終えた唯一の自由時間にジョジョが寝ているというのはひどい肩透かしだった。
しかし、こうやって寝顔を見ていられるというのも悪くない。ジョジョの隣で朝を迎えた回数というのははっきり数えられる程度のものでしかなかった。そのいずれも慌ただしく目を覚ましたから、遠慮なく観察できる機会というのは初めてかもしれなかった。いつもの軽薄な口ぶりが聞こえないと精悍な顔つきはますます年下には見えない。とはいえ、ジョジョの最大の魅力がころころとよく変わる表情にあるのは疑いがないから、少々物足りない気分で下りた瞼を見つめていた。
そのうち、それだけではどうにも我慢できなくなってきた。ひとをほったらかしておいて自分だけ気持ちよさそうに寝やがって、というやや自分勝手な苛立ちもある。これくらいは許されるだろう、と勝手な決めつけで顔を寄せた。ソファの背もたれに手をついて体を支え、閉じられたままの唇に自分のそれをそっと重ねてすぐに離す。何度も繰り返してきた行為だというのに、相手が寝ているというだけでいけないことをしているような気になった。
キスでは目覚めないらしい姫はむにむにと何度か口元を動かし、ゆるんだ唇が薄く開く。それが赤ん坊のようだとほほえましく思っていたはずなのに、どうしてもそこから目が離せなくなった。少し傾いた彼の顔をさえぎるものはなにもなく、天井からの照明を受けて粘膜が赤く光る。その生々しい色合いにごくりと喉が鳴った。
頭のどこかでスイッチが切り替わる音を聞いた気がする。この唇がおれに触れて、この舌がおれの体をなぞった。理性はやめろというのに、欲望に素直な部分が昨日の記憶を呼び覚ましてありありと再現する。濡れた粘膜が肌を這う感覚など気持ち悪いはずなのに、それがジョジョだと思うとすべて快感に変換されていく。思わず吐き出した息は疑いようもなく熱を帯びていた。
心臓が2つに増えたような錯覚を味わいながらもう一度距離を詰めた。大きく開かれたジョジョの足の間に膝をつき、そっと見上げる。音を立てないよう精いっぱい注意を払いながら眼前のボトムを寛げた。歯を磨いてからシャワーを浴びるつもりだったのだろうジョジョは日中にも見た格好のままで、よく見れば裾には泥がついている。顔を寄せて鼻を鳴らせば汗の匂いがした。
興奮と緊張に震える手で取り出したジョジョの分身は当然ながらまだ柔らかい。垂れたそれを持ち上げるように包み込み、いとおしさを伝えるように頬ずりした。ジョジョの内面すべてを愛しているように、ジョジョの体じゅうどこをとっても宝物のようなものだ。
おそるおそる顔を寄せ、むき出しの先端に舌を触れさせる。すでに知った、いつまで経っても慣れない味が残った。幹を支える手を動かすうちたちまちに固く張る。体の内側にこごる熱に突き動かされるようにして、口内に招き入れた。
圧迫される感覚に理性がゆるんでいく。軽く吸い上げるだけで唾液が泡立った音を立てた。長い性器を喉の奥まで使ってくわえこみ、えずきそうになるのをこらえて舌を動かす。そうしていると、自分から望んだ行為のはずなのに被虐的な興奮が膨らんだ。
「うまそうにしゃぶっちゃって、そんなに好き?」
耳の奥でいつかのジョジョの声が響く。いつだって自分から仕向けているくせにわざわざ聞いてくるあたり本当に意地が悪い。そういうところにも煽られてしまう自分の性癖が悔しくもあった。
「はっ……ふ、ぅ……」
口の中で嵩を増す熱に押されて息が漏れた。少ない酸素にまともな思考が続かない。上がるばかりの熱に我慢ができず、腰を浮かせてズボンに手を伸ばした。もどかしい思いで布地を下ろせば熱を持った部分が外気に触れ、ひやりとした感触を味わう。
「……ん、く……ッ」
後ろに回した右手を穴に差し入れる。自分の指とはいえ、異物が入り込む気持ち悪さに背が丸まった。シャワーを浴びる間に慣らしておいたから、痛みはない。
毎晩のように抱かれている体からはじわじわと力が抜け、重ねて挿入した指も簡単に飲み込む。じれったさに泣きながらばらばらに動かして狭いそこを拡げた。すでに開発されきった性感帯に触れてしまわないよう注意する。自分の指で果ててしまうのはもったいなさすぎる、ジョジョの体温が欲しい。
視線を上げれば鼻先に男の性器がある。嫌悪を催してもいいはずなのに、早く突っ込んでほしいと思う日が来るとは想像もしなかった。
天を仰ぐ先端にキスを落としてソファに膝立ちになる。加わった重みに軋む音が聞こえたがもうそんな余裕はどこにもない。邪魔な布は脱ぎ落として、後ろに手を添えて自ら開きゆっくり腰を沈めた。
「ン、ぅ……っ、ぁ……」
傷つけないように力を抜くものの、ジョジョにもたれることはできない。太いそれに押し拡げられる感覚に酔いながら結合を深めていく。鼻にかかったような声が漏れるのはどうしようもなかった。
雁首が入り口を越えてしまえばあとは惰性で収まる。体を揺らしたとたん、一番張った部分が前立腺をこすって力が抜けた。
「――〜ッ!」
脱力した体は自重を支えられず、ジョジョの腹の上にへたりこむ。その拍子に奥までえぐられ、声にならない悲鳴が漏れた。
浮かんだ涙の膜で視界がぼやける。勝手に震える内壁が刺激を拾い、情けない声が出ないよう両手で口を覆った。感じるのは強い圧迫感だがそれだけではない。ジョジョとつながっている、と思うと内側から満たされるような錯覚を覚えた。
荒い呼吸を繰り返すうち、もたらされた強い刺激にも慣れてくる。もっと気持ちよくなりたくて腰を揺らめかせた。熱に浮かされて思うように動かせない体で快感を求め、みっともなく腰を振る。相手の存在を忘れ、自分のいいところに当たるようにとだけ考えてふけっていると、たしかに生身の人間と交わっているはずなのに性具を相手にしているようで背徳感が膨らんだ。
ジョジョに抱かれるときはいつも好きに揺さぶられるばかりで、主導権を握れたためしはないからこんな風に動くのは初めてだ。加減なく穿たれるのも求められているようで悪くないが、もどかしくなるほど慎重に抜き差しを繰り返せば種類の違う快感に理性が痺れる。触れてもいない性器が先走りをこぼしていた。
男に跨がり一人で腰を振って息を切らせ、誰かが見ていれば滑稽に映ることだろう。耐え切れず、「ジョジョ」と呼びかけた声はかすれていた。
「目、覚めてるんだろ……? いいから、もっと……激しくして、くれよ……」
そうささやいたとたん、返事のように突き上げられて背が反る。自分のものではないような高い声がこぼれた。ちかちかする視界を無理に向ければ、見下ろす先でエメラルドの瞳が光っている。とても寝起きには見えない明るい表情にため息が漏れた。
「っ……性格悪い、ぞ、おまえ……」
「途中までホントに寝てたんだぜェ? ふわふわしてきもちーと思ったらシーザーが熱烈なサービスしてくれてるし、そんなの黙って楽しむしかねーだろ」
悪びれもせずに言い放ったジョジョは突き上げるように腰を動かした。自分では届かせることができなかった深いところまで犯されているのを感じ、つま先が丸まる。体を浮かせて逃げようとしてしまうのは反射的な反応なのだが、気に入らないのか両手首を掴む手で阻まれた。そのまま強く引き下ろされ、だらしない声があふれる。甘えたような声音は耳を覆いたくなるようなものなのに、それを聞いたジョジョが表情をゆるませるのが理解できなかった。
「ふ……ァ、奥、ふか、い……!」
「……もー、えろすぎ」
唇を舐めたジョジョの低いささやきが聞こえ、背中に腕を回されるのを感じる。一瞬の浮遊感ののち、視界がぐるりと回転して照明の明るさに目を細めた。
ソファの上に寝かされた、と理解したのは一瞬後で、すぐに覆いかぶさるジョジョの影で目の前が埋まる。膝が胸につきそうなほど体を折り曲げられ、苦しいはずなのに期待してしまっていることは認めるしかなかった。
「シーザーちゃんはァ、こういうのが好きなんだっけェ?」
「ひ、ああっ、それ、やだ……!」
すぐにでも激しく穿たれると思っていたのに、いやらしい笑みを浮かべたジョジョは緩慢なストロークを繰り返した。おれが自分で腰を振っていたのを再現するようにじれったく抜き差しされ、かえって内側の存在を大きく感じてしまう。ゆっくり引き抜く動きには生理的な嫌悪が生まれるのに、同時にまぎれもない快感を見つけてしまい頭が追いつかない。自由に動かせる首を振れば湿った髪が束になって音を立てた。
「すげ……いつもより感じてるんじゃねえ? こっちもトロトロだし」
「ひぁっ!? っ、だ……さわ、んなあっ!」
張り詰めた前に触れられて性感が跳ね上がる。とっくに力の入らない腕では制止にならず、いいようにしごかれて勝手に腰が揺れた。前も後ろも同時に責められ、唇を結ぶこともできず甘ったるい声ばかりが次々にこぼれる。ことさら意地悪く浅いところをえぐられ、目の前が一瞬白くなった。
「――や、あ、ぁあっ!」
全身が痙攣するのがわかる。自分の精液が腹に垂れるのを感じながら力を抜いた。達する瞬間に強く締めつけてしまうらしく、苦しそうに眉を寄せたジョジョが深く息を吐く。強い倦怠感に包まれたおれは声を出すのも億劫で、何も言わずに転がっていた。
それもつかのま、内側に収まったままのジョジョが動き出して声が漏れる。なんとか顔だけをめぐらせて視界に収めた男は子どものように唇を突き出していた。
「イくの早すぎ。おれ、ぜんぜん満足してねえんだけどォ〜?」
「やっ、待て、まだ……!」
「だァめ」
短い言葉で答えたジョジョはおれに構わず荒っぽく抜き差しを始めた。絶頂を迎えたばかりの体にその刺激は強すぎ、逃れたいと思っても全身で押さえこまれていては叶うはずもない。どころか、体をよじる動きでも快感を拾ってしまう。揺さぶられるたびに目の端から涙がこぼれ、下肢の感覚もなくなるような嵐ののちに腹の奥に熱いものが注がれるのを感じた。
ジョジョの部屋のタオルを借りて髪を乾かす。結局、シャワーを浴び直すことになってしまった。ジョジョは当然のように「おれも一緒に入る!」と目を輝かせたが、睨むだけでおとなしくなった。おれが風呂を使っている間に片付けを終えたらしく、落ちついた色合いのソファは何も知らないようにきれいになっている。
眠っているジョジョに発情して襲うなんて、我ながら先ほどの行動が恥ずかしい。気まずい思いで視線を落としていると当の相手がずかずかと近づいてきた。
「いやー、今日のシーザーはずいぶん積極的だったなァ〜?」
「……忘れろ。今すぐにだ」
できる限り低く返したがそれくらいではジョジョの機嫌は変わらないらしい。鼻歌まで聞こえ、からかわれているようで自然と苦い表情になる。このままマスクを着けさせて部屋を出てやろうかと思ったが、こいつはまだシャワーも浴びていなかった。
促せばジョジョは一瞬嫌そうな表情を浮かべ、のろのろとシャワールームに向かった。脱衣所に続く狭い通路をすれ違う拍子にジョジョの匂いを感じて動揺してしまう。一日分の汗の匂いと、精の匂い。それはすこしも不快なものではなく、むしろ雄のフェロモンのように感じられた。反射的に振り向けば見慣れた背中が脱衣所に消えていくところで、戸が閉められる瞬間まで目で追いかける。さんざん吐き出したあとだというに、体のうちにくすぶる熱を感じた。
この調子では、いつかまたとんでもないところで襲ってしまうかもしれない。ジョジョに触れるうち、以前なら働いていたはずの理性がばかになってしまったような気さえする。ジョジョの匂いも、声も、それからあの瞳の輝きも、すべてに煽られてしまう。それは、今までの自分が書き換えられていくようで少し怖くもあった。
ジョジョが好きだと言ってくれたのはこんなに情けないおれではないはずだ。このままでは愛想を尽かされかねないが、修行がある以上離れるわけにはいかない。第一、おれの方から距離を取るなんてできそうになかった。
そばにいたいのに、それではだめになることもわかっている。どちらも選べない自分が愚かしく、手の中でマスクを転がしながら幸せな悩みだとため息をついた。