※現代日本リーマンパロ
※痴漢はファンタジー
スリップ・スキッド
空気の抜けるような音とともにホームにすべりこんだ電車にはほとんどひとけがなかった。周りを見回してみてもおれたちのほかには乗り込みそうな気配もなく、ホーム上のまばらな人影はみな数分後の急行電車を待っているのだろう。この時間のこの駅はこんなに人がいないものなのか、どことなく落ち着かない気がした。
急行に乗った方が早く移動できることはわかっているが、自宅の最寄駅に停車するのは各駅停車しかない。ドアが開くのに合わせて最後尾の車両に駆け込んだ。
「……なんとか、間に合ったな……」
「……ハァ、ほんと、ギリギリになるとは思わなかったぜ」
忘年会の二次会から帰る道、同じ路線だというジョジョに誘われて近くのバーで飲み直した。直接の後輩であるジョジョと飲む酒は楽しく、ローカルネタもおり混ぜてずいぶん時間を過ごしてしまった。その結果気づけば各駅停車の最終電車に間に合うかどうかの瀬戸際で、店から近くの駅まで短くない距離を走るはめになった。途中の大きい駅までならもっと遅い時間の便もあるのだが、おれが住むあたりに着く電車となるとぐっと本数が減る。終電と仲良くする生活ではないので今まで気にしていなかったが、こういうときだけは不便かもしれない。
発車サインとともにドアが閉まる。広い車両はおれたちのほかに年配のサラリーマンが船を漕いでいるくらいで、じつに静かなものだった。連結部から見える隣の車両は二人座っているらしい。明日の朝にはまたこの車両が人でぎゅうぎゅう詰めになることを思うとまるで違う世界だ。これから短くない時間を揺られるのだから、広々と手足を伸ばせるのはありがたかった。
間延びした車内アナウンスを聞きながら隣に座るジョジョに顔を向ける。この大男はさっきまで寒い寒いと騒いでいたくせに走ってきた今は暑いのか、横縞の派手なマフラーを外して大きく伸びをしていた。おれもコートを脱ぎ、鞄と一緒に横の座席に置く。電車の暖房というのはどうも苦手だから、それだけで少し楽になった気がした。
「おまえは急行に乗れば早かったんじゃないのか? 最寄り駅にも停車するんだろう」
「まーね。でもシーザーちゃんを送らなきゃいけないデショ〜?」
「ハ、犬みたいだな」
おれよりも少し高いところにある頭をわしゃわしゃとかき回してやる。やめろよー、と返すジョジョの声もどこかゆるんでいた。いつもなら男相手にこんな真似はしないが、人目もないのだから許されるだろう。今まで走ってきたせいか、アルコールも回っていい気分になっていた。
この男はまぎれもなくおれの後輩だが、プライベートでも仲は良好だ。休日の予定をいっしょに過ごすこともたまにはあるし、社内では指導期間も終わったのにいつまでもおれにべったりついてくる。鬱陶しく感じてもいい距離感だというのに、そう思わせないのはこいつの才能なんだろう。そういえばいつのまにか敬語も取れていた。
女性社員の口ぶりから察するに、ジョジョのやつはそこそこ人気もあるらしい。そのわりに彼女の一人もいないようなのはまだ遊びたい年頃だからだろうか。そのことをからかうと「先輩ほど遊んでませーん」とふてくされてしまうのが子どもっぽかった。
真っ暗な車窓からは遠い街灯ばかりが見えた。機械の音だけの車内で「そういやさ」とどことなくふわふわしたジョジョの声が響く。視線だけで見やれば、隣の男は窓の外を眺めていた。
「クリスマスって、シーザーはどうしたの」
「どう、って……おまえの知らないシニョリーナだぞ。たまたまいい店が予約できてな」
今年のクリスマスは幸運にも休日だった。それなりに楽しく過ごしたのだが、相手は数年前机を並べた同僚で、今は違う部署にいる女性だ。ジョジョが入社する前の付き合いだったし、彼女もこいつと話したことはないと言っていた。それがどうかしたのか、と言うとジョジョは相変わらず正面を見たまま返した。
「ヤった?」
「はあ? おまえな、なに言ってるんだ」
「怒るなよ。ヤった?」
トーンを変えず繰り返される。大の大人が並んで何を言ってるんだ。浅いため息をついてから、まあな、と返事した。あけすけな物言いは女性に聞かせられないが、彼女を抱いたのは確かだ。おれだって、酒でも入っていなければこんなことを口にはしなかっただろう。
「カノジョなの?」
「……これから、そうなるだろうな」
ふうん、とジョジョが呟いて会話は終わった。ジョジョのやつ、自分に彼女がいないからって周りに探りを入れているのだろうか。そういうことならクリスマス前に相談してくれれば女性の口説き方のひとつもレクチャーしてやれたのに。ときどき、こいつの考えることはわからない。
それから、落ちた沈黙をごまかすようにジョジョはしゃべり続けた。くだらない話ばかりだがこいつと話すのは好きだ。回転が早いし、気の利いたジョークも言える。以前、なんでおまえがモテないんだろうな、とからかったら「わかんねえの?」と返されたことがあった。その理由は今でもわからないままだが、その気があるなら今度シニョリーナを紹介してやろう。見た目こそごついが、内面を知ればジョジョに惹かれない女性なんていない。
そうやってとりとめもない会話を交わすうちにだんだん眠くなってきた。
ジョジョが隣にいるのに悪いな、と思うが、電車の規則的な振動が睡魔となって襲う。いつになく開放的な気分で酒を飲んだせいかもしれない。ぼんやりした暖房に包まれておれはいつのまにか寝てしまったらしかった。
浅い眠りは肌に触れる感触で途切れた。体が熱いような、それでいてヒヤリとするような妙な感覚が行き来する。脱力した体で無理に目を開けてもしばらくは状況が飲み込めなかった。
不自然なほど浅く腰掛けた下半身はほとんど座面からはみ出て、体重を支える腰と背中が痛い。めいっぱいに開いた両足の間にジョジョの黒髪を認めて一気に目が覚めた。同時に、スラックスが半分ずり下げられていることも理解する。その瞬間に甘い痺れが背筋を駆けて息が詰まった。
「あらン、起きたの」
「……ジョ、ジョ……ッ!?」
下を向いていたジョジョが顔を上げる。その手はおれの性器を握り、先端と唇が唾液の糸でつながっていた。男に咥えられている、と認識した瞬間にざっと血が落ちるような感覚を浴びる。皓々と照らす照明と規則的な振動に今いる場所を思い出した。
「おまえ、なにやって……! っの、どけ!」
「ちょっとォ、暴れないでくれる? うっかり手元が狂う、かもねン」
同時に根元を強く握られて体がこわばる。寝ていたとはいえ、急所を掴まれてはもう抵抗もできない。すぐに先端を含まれて殺しそこねた声が漏れた。せめて足を閉じようとするが、足元の男に「聞き分けねえの」と阻まれる。一度口を離したジョジョは見せつけるように白い歯を示し、そんなものに噛みつかれたらどれほどの痛みか、想像するだけで汗がでた。
足の間から聞こえるわずかな水音ばかりが耳について慌てて周りを見回した。同じ車両に乗っていた男性はすでにいないし、隣の車両では座席に伸びるようにして眠っている女性が見える。最後尾の車両は連結部も扉が閉まっているが、半分以上が透明なために目隠しの役には立たない。なんでこんなことに、と泣きたくなっても愛撫を受けた性器は膨らみ、それが情けなかった。
「……おまえ、ゲイなの、か……?」
せめて遠ざけようとジョジョの頭に手を置いてみるが、あんなふうに脅されては本気の抵抗もできない。申し訳ばかりの力で押し返しながら口にした。周りに目も耳もないのに声をひそめてしまうのは、こんな状況では当然だろう。電車の中だということを思い出すたびに腹の底が冷えた。
「……ちょっと黙っててくれる」
「ぃ、ッ!」
不機嫌な様子のジョジョに強く吸い上げられて喉が反った。ごん、と頭を窓ガラスにぶつけた音が響くのが間抜けだ。こんなのはだめだ、と思っても性感を与えられれば体はゆるんでいく。男の大きな口でしごかれるのは確かに気持ちよかった。
いったいいつからこの行為は始まっていたのか、高まる性感に腹筋がひきつる。こんなところで出してしまうわけにはいかない、と下腹に力をこめてみても思うようにならなかった。全身がこわばったのがわかったのか、座り込むジョジョが顔を上げる。その瞳の光はおもちゃを見つけた子どもと同じだ、と思った。
「イきそ?」
答えないでいると伸びあがったジョジョに顔を覗き込まれる。視線は逸らしたが、呼吸が浅いのも頬が熱いのもばれているだろう。指先で唇をなぞられる刺激にも眉が寄って、目の前の男が満足気に笑んだ気がした。相変わらず根元に添えられていた手が離れたかと思うと冷たい感触に包まれる。慌てて視線を向けたおれはよっぽど硬い表情をしていたのだろう、吹き出すような声が聞こえた。
「なーに、慣れてるだろ?」
おれの性器にスキンをはめたジョジョがからかう。確かめるようにしごかれて情けなくも腰が震えた。車内の無機質な照明を受けてピンクのゴムが光るさまに熱が上がる。速くなるばかりの鼓動で息が苦しいような気がした。
「……なに、考え……っぁ!?」
「さすがに、こっちは初めてってか」
そのまま、ジェルで濡れた指が会陰をなぞって後ろの穴に触れる。ぞっと悪寒が体をめぐったが反対に足を大きく開かされてつま先が浮いた。ずり落ちた体は座席に触れた背中と、ジョジョの腕だけが支えている。みっともない格好で指を差し入れられて痙攣のようにのけぞった。
「いやだ、やめろ……!」
「おいおい、車内ではお静かに、だろ? ばれてもいいなら知らねえけど」
言われて心臓が一瞬止まる。今おれたちがいるのは密室にはほど遠い場所であり、誰かに見つからない保証はない。意識した途端にうまく酸素を吸えなくなって、ますます思考が濁る気がした。必死に口を手で覆うと涙がこぼれるのがわかる。もう、なされるがままになるしかなかった。
「シーザーもちょっとは協力しろよ。こんなんじゃ苦しいだけだぜ?」
視線で人が殺せるならそうしたい。勝手な物言いのジョジョは埋めた指を無遠慮に動かすばかりで、訪れる異物感を必死に飲み下す。思い出したように愛撫され、勃ち上がったままの性器が滑稽だと思った。
突然指を引きぬかれて背が浮いた。その隙に体をぐるりとひっくり返されて視界がシートの色で埋まる。上体を座席に沈め、ジョジョの方に腰を突き出している格好に体温が下がった気がした。やめてくれ、と懇願するよりも前に尻を割り開かれる。指よりも太い感触をねじ込まれて唇を噛むしかできなかった。
体の内側が熱い。口を開けば悲鳴が漏れてしまいそうで、後輩をなじることも叶わなかった。強引に埋め込まれ、痛いのか苦しいのかもわからない。腰をぐいと引き上げられ、深いところまで犯されたのを感じた。
おれが小刻みに震えるのも刺激になるのか、背後のジョジョは「すげー、いい」とのんきなことを言っている。さぐるようにかき回されて強く目をつぶった。繰り返されるうち、妙な感覚に呼吸が跳ねる。それがわかったのか、同じ場所ばかり責め立てるように突かれて裏返った声が漏れた。手のひらはとっくに唾液で濡れ、滑ってばかりでうまく声を殺せない。
ジョジョがいきなり身を伏せるから角度が変わってまた呼吸が揺れる。背中にのしかかられた状態で顎を持ち上げられ、無理やりに視線が上を向いた。ろくに声を出せる体勢でないことはわかっているくせに、「気持ちいい?」と問いかけるこいつの気が知れない。返事するまでもなくジョジョの左手が口を塞ぎ、指が舌を撫でる。えづきかけるギリギリのところに触れながら、後ろから犯す男は「おれの指、噛んでいいよ」とささやいた。
言われるまでもなく噛みちぎってやりたいに決まっている。なのに、立てた歯を深く食い込ませることはできなかった。甘咬みというには強く、しかし本気の敵意もこめられない。そのまま遠慮なく揺さぶられて喉が鳴った。前に回ったジョジョの手がスキン越しに性器を責め、高められていくのを感じる。どうしてか、触れる体温が心地いいと思った。
「も……イっていい……?」
そんなことを聞くこいつは本当に性格が悪い。口に指を突っ込まれてはもちろん答えられるわけもなかったが、跳ねた体は頷いたように見えたかもしれなかった。後ろで笑った気配がしてそちらに気を取られる間に深くまで貫かれ背が粟立つ。内側に注がれるのを感じながら根元からしごかれ、耐え切れずに達した。
全身が弛緩して体を支えられない。座面にすがりつくようにへたりこむと濡れた腿が床に触れ、生理的な嫌悪感が湧き上がる。中に出された精液が重力に従って溢れてくるのがたまらなく情けなかった。
止める間もなくスキンが外され、液体の溜まったゴム袋が目の前で振られる。体温でぬるんだそれが頬に押し当てられ、外側のジェルがひきずるような跡を残してもしばらくは振りほどくこともできそうになかった。
「シーザーちゃん、起きてるー? ほら、降りるんだから服直して」
どこまでも勝手に言ったジョジョはてきぱきと二人分の衣服を整え、汗と涙で濡れたおれの目元をぬぐう。今しがたの事態の衝撃になんの反応も返せないおれを肩に担ぐようにして立たせたところで図ったように車両のドアが開いた。慌てて振り返れば荷物のたぐいもすべてジョジョの手の中にあり、代わりに電車の床が濡れて光っている。それを「ゲロよりマシでしょ」と言ってさっさと降ろされた。発車する瞬間、隣の車両で変わらず眠る女性が見える。
引きずられるようにして改札を出ると当然というべきか、見たことのない風景だった。たしか、最寄りよりも4つほど手前にある駅だろう。それを手を引かれて歩く。いつのまにか指が絡められていた。
「……こんなところで降りて、どうするんだ」
「タクシーだよ。おれん家まで」
「おまえの?」
聞き返したところでタクシー乗り場に着く。辺りが暗いおかげで、やけに汗をかいていることは気づかれないだろう。無理やり押し込められたが、タクシーだって終電を過ごしたような酔っぱらい相手には関わり合いたくないのだろう、事務的な会話だけで車は発進した。車窓から差し込む街灯のわずかな明かりだけではジョジョの表情は読めない。
「……そんなにおれが嫌いか」
呟いたはずなのに、静かな車内では聞き逃しようもないほど大きく響く。はじかれたように大げさな動きでこちらを振り向いたジョジョの顔には驚きが浮かんでいるように見えた。なに言ってんの、と距離を詰めようとするのにわずかに身を引く。自分で口にしたことだというのにやけに胸に重かった。
「……あんなこと、されるくらい嫌われてるとは思わなかったんだ。間抜けな話だな」
沈黙したままの運転手を気にして言葉を濁す。実際、ジョジョとはうまくいっていると思っていたのだ。そりが合わなくて衝突することもあったが、お互いに認め合った今は良好な関係を築けていると思っている。それが、強姦まがいの行為をされるほど憎まれているとは思わなかった。好意的に接していたのは自分だけだと思うと自嘲しか出ない。
「……なにそれ、なんでおれがあんなことしたのかわかんねえの?」
「わかってる。悪かったな、今まで気づかなくて」
やけに強い語調で問い詰められたが、こいつがおれを憎んでいることくらいは理解できた。相手のプライドを折る方法としては十分すぎるほど効果的なやり方だろう。今までべたべたくっついてきたのも今日のための布石だったのかもしれないと思うと、なにも信じられない気持ちになる。
身を乗り出したジョジョに数秒見つめられるが、やがてため息とともにそっぽを向いた。窓枠に肘をついた男がなにを考えているのかわからない。しばらくして、「おめーはそういうやつだよ」とあきれたような声が聞こえた。
「わかってねーみたいだから、これから教えてやるよ。そのためにうちに向かってるんだしな」
そう言っておれを見るジョジョの瞳が外の光を受けて一瞬きらめく。もうこいつのことはかわいい後輩だとは思えないだろう、明日からは休みだというのにとんでもない問題を抱えてしまった気がした。
静かに走る車が左に曲がり、すぐそばの街灯が車内を照らす。ジョジョの薬指の根元には歯形が残っていて、おれが噛みついた跡だと思うとなぜか体が熱くなった。