二人とも社会人な現パロ
ジョセフがひどい男な感じです

さよならカウントダウン

 日付が変わったことを時計の針で知る。シーザーは沈黙したままの携帯をテーブルにすべらせてため息をついた。伸ばした指先に冷たい感触があたり、ますます気持ちが沈む。彼が目の前にするダイニングテーブルの上には皿が四つ、どれも自分ではない男のために用意したものだった。
 数時間前には湯気を立てていたはずのそれらはすっかり冷えきり、これ以上乾燥してはいけないとラップを取りに立ち上がる。手元で樹脂を切る仕草を繰り返しながらまたため息が漏れた。

 このところずっと、ジョセフの帰りが遅い。シーザーがひとり彼を待っていること、夕食を用意して待っていることは知っているはずなのに夜中まで連絡することもなく、帰ってきてもシャワーを浴びてそのまま寝てしまう。はじめこそ彼と一緒に食卓を囲みたいと思って何も食べずに待っていたシーザーだったが、この数日は諦めて先に食事を済ませていた。慣れたとは言いたくないが、ジョセフに帰ってくる気がないことは薄々わかっている。彼と最後に抱き合ったのはいつだったか、遠い昔のような気がした。

 シーザーは恋愛経験に乏しいわけではない。むしろ豊富といえる彼自身の経験から、ジョセフに飽きられていることはもう感づいていた。最後通牒をつきつけられるのは今日か明日かと怯えながら彼の帰りを待ち続けるのは我ながら滑稽だったが、シーザーに出来るのはただ座して終わりを受け取ることだけだった。
 潮時、という単語が脳裏にちらつく。惚れ込むと盲目に愛してしまう自身の性格がジョセフには重く感じられるであろうことも理解していた。いっそ自分から別れを告げられればと思うが、想像しただけで軋む胸が許してくれそうにない。いつの間にこれほど女々しくなったのだろう、と嘆きながらシーザーは壁かけの時計を見つめる。カチカチと音を立てて進む針は彼が居ない時間の長さを描くだけだった。


 いつの間に眠っていたのだろうか、不意に視界が明るくなって人の訪れを知る。その途端に沈んでいた意識が浮かび上がってシーザーは自嘲を浮かべた。反射的に時計を見やれば二時間ほど経過しており、草木も眠る深更である。テーブルに突っ伏してうたた寝していたせいで肩がこわばっているが、そんな痛みなど無視して彼は立ち上がった。ダイニングの照明に照らされてジョセフの巨体が浮かび上がっている。

「おかえり、ジョジョ。遅かったな」
「まあねぇ。シーザーちゃんこそ、電気も点けないで何してたの」
「お前を待ってたんだ、スカタン」

 言いながらシーザーはジョセフの横に並び、彼がいつも巻いているマフラーを取ってやる。「サンキュ」と応えるジョセフに、前ならここでキスしてくれたのになと記憶に胸が痛んだ。

「飯は食ってきたのか」
「そ。風呂入って寝るわ」

 後ろめたさなど持ち合わせないように答えるジョセフにシーザーは何も言わない。そうか、と自分に言い聞かせるように呟いてジョセフの脱いだコートを受け取った。冷えきる季節だというのにそれは乾いた感触を残すばかりで、どこかの部屋で過ごしたあとタクシーで帰ってきたのだろうとシーザーは見当をつける。ゆるめたネクタイの向こう側に口紅の擦れた跡が見えて、そっと目を伏せた。

 シーザーが関係の終わりを感じているのは、ジョセフの帰りが遅いからだけではない。はじめこそ残業が長引いて、だとか付き合いで、だとかの言い訳を信じていたが、次第に彼は女物の香水の匂いをさせるようになった。
 彼は何も言わないしシーザーも追及したことはなかったが、それが何を意味するか理解しないほど愚かではない。露骨なキスマークを残して眠る彼の隣に居られず、深夜ベッドを抜けだして煙草を吸うことも増えた。彼の目は寝不足と煙に赤く腫れているのだが、日の光の下で目を合わせることのないジョセフは気づかない。
 彼にとって自分はなんなのか、問うこともできないシーザーは風呂場に向かう背中を見つめながら腕に抱えた彼のぬくもりをきつく握った。


★☆★☆★


 暗い部屋でテーブルにうつぶせるシーザーを目にしてジョセフの心臓は跳ねた。泣いているのか、と浮かんだ心配は直後に上げられた彼の顔によって打ち消される。眠っていたらしいシーザーはこんな時間に帰宅した彼を責めることもなく、テーブルに並んだまま冷えきった食事にも触れなかった。
 泣いてくれればいいのに、とジョセフは思う。いっそ泣きながら彼の不貞を責めてくれればどれほどいいか。それが自分のわがままであることをわかっているジョセフは今日も何も言わずに風呂場に消える。


 シーザーの恋愛観は少々変わっているらしい、ということに気づいたのは交際を始めてからすぐだった。ジョセフに愛をささやき、唇と体を重ねる彼は同じ甘さでもって道行く女性を口説き、優しく慰める。元来独占欲の強いジョセフは恋人の浮気な姿に我慢できず、おれのことなんだと思ってるのとつたなく問い詰めたこともあった。

 はじめはきっと、小さな意趣返しのつもりだったのだと今更ジョセフは回想する。シニョリーナにやさしいのは結構なことだが、見知らぬ女性ばかり優先してほったらかされるこちらの身にもなってみろと彼の前で同じ事をやり返したのだった。
 同僚の女性を家まで送り、別の女性とはしゃれたレストランに出かけ失恋話につきあってやる。それくらいではシーザーは気にした様子もなく、か弱い女性を守るのは紳士の役目だとジョセフの振る舞いを喜んだりもした。思うような反応を示さないシーザーに、自分ばかりが嫉妬に苛まれている気がしてジョセフの行動は次第にエスカレートする。酔いつぶれた女性を介抱すると理由をつけてわざと帰りを遅くしたり、ときには一晩帰らないこともあった。
 それでもシーザーは彼に疑いを向けることなく、深夜でも翌日でもジョセフの帰りを待ち続け、誰と何をしていたのか決して問うことはない。浮気のふりでは見透かされているのかと思い、実際に女性を抱いたりもした。あからさまな香水の匂いをまとって明け方に帰宅したジョセフは、口紅で汚れたシャツに何も言わないシーザーにぞっとするような可能性に思い至った。

 彼がジョセフに向ける愛情は、果たしてジョセフが彼に抱くものと同値なのだろうか。シーザーにとって、ジョセフは手のかかる弟のような存在ではないだろうか? 浮かんだ疑問は打ち消せず、もう一度セックスの余韻を残してシーザーと顔を合わせても彼はただ「遅かったな、明日も早いんだろう」と笑うだけだった。
 咎める素振りも見せないシーザーに、なんで何も言わないのと問えるほどジョセフの面の皮は厚くない。彼にとって自分はなんなのか、恋人だと思っているのはジョセフだけなのだろうか。家族に向けるような親愛の情だけを示され、彼の胸は鈍い痛みを訴える。今さらシーザーに手を伸ばしたところで拒絶されるのではないか、と怯える彼はもはや戻ることも出来ず、今日も見知らぬ女と虚しい行為に耽った。シーザーに自分を見ていて欲しかったのに、繰り返す日々に彼がこちらを見ていないことを思い知るだけだった。


 シャワーを浴びてダイニングに戻るとシーザーはソファに丸まって眠っていた。濡れた髪をタオルでこすりながらジョセフは彼の背中を見つめる。あの体温に、なめらかな肌に何日触れていないのか。ジョセフの行動に嫉妬心すら抱かない彼が健気に帰りを待っていてくれるのは、自己犠牲の精神に裏打ちされた面倒見の良さゆえなのだろう。一人でうつむく女性をほっておけない、そんなところも好きなんだ、と切なく思い出すジョセフはもう口には出せない。
 自分のわがままに付き合わせて彼の時間を奪い続けるのは、シーザーを愛するジョセフにとって苦痛でもあった。解放してやらなければ、と良心がエゴを押さえつける。痛む胸を無視して、決心を確かめるように呟いた。


★☆★☆★


「もう、終わりにしなきゃな……」

 ジョセフの呟きはシーザーの耳に確かに届いた。風呂場を出た彼の足音を夢うつつに追いかけていたシーザーはかすかな音量の声を聞いて一瞬で腹の底が冷えるのを感じる。跳ね起きて真意を問いただしたいところではあったが、正面から「別れよう」と言われることを思うと勝手に手が震えた。

 先ほどまで漂っていた睡魔は跡形もなく消え去り、全身でジョセフの息遣いをうかがう。まだ彼が眠っているものだと思っているらしいジョセフは慎重な動きでシーザーの隣に腰掛け、それからさらりと金髪を梳いた。こわごわと触れるその指先に胸がふさがってますます身動きが取れなくなる。
 しばしシーザーの髪をもてあそんでいたジョセフは薄いため息をついて、飽きたように立ち上がろうとする。その腕を掴んだのはなにか考えがあってのことではなかった。

「わっ、シーザーちゃん起きてたの」
「ジョ、ジョジョ……ッ」

 去ろうとする彼をとっさに引き止めたものの、シーザーは続く言葉を持たない。それでもジョセフを離したくない気持ちだけは揺るがず、知らず手に力が入った。手首を掴まれる痛みにジョセフの眉が寄り、その表情のまま突き放されるのではないかとシーザーの血の気がざっと引く。飛び出した言葉はあまりにも愚かで、けれど疑いなく彼の本心だった。

「捨てないでくれ……っ!」


★☆★☆★


 切羽詰まったシーザーの声色と、なによりその内容にジョセフは目を見開いて固まった。一瞬に様々な感情が渦を巻き、キャパシティを越えたそれらは溢れて彼の胸をふさぐ。なに、とかすれた声が漏れた。それをどう取ったのか、シーザーは身を乗り出して切なげに訴える。彼の目が赤く腫れていることにジョセフはやっと気づいた。

「お前がおれに飽きてるのは知ってる、けどおれにはジョジョしかいないんだ!」
「ちょっ、シーザーなに言って、」
「他の誰にもお前を渡したくないんだ、行かないで、くれ…………捨てないで……」

 言いながらシーザーの体はずるずると沈み、掴んでいたはずの手も力をなくしてソファに落ちる。その手を追いかけて今度はジョセフからそっと手のひらを重ねると大げさなほど肩が跳ねた。シーザーの顔はうつむいた金髪に隠れ、彼がどんな表情を浮かべているのか教えてはくれない。
 小さくはないシーザーの体を抱きしめると大人しく腕の中に収まる。あれほど焦がれたぬくもりに触れながら、ジョセフは先程まで触れていた女の匂いが落ちているかふと不安に思った。

 賢い彼は、シーザーの言動に自分が勘違いしていたことを知った。手のかかる家族のように扱われているというのはジョセフの思い込みで、シーザーの心はずっと彼にあったのだ。毎晩深夜まで帰らず、違う女の匂いをさせる彼をシーザーはどんな思いで待っていたのだろうか。今更湧きあがる申し訳なさに胸が埋まった。
 ああ、やり直せるだろうか、もう一度。普段あれほどよく回る口はシーザーの前では真情を伝えることができず、自分の臆病さを思い知る。けれど何も言わずに諦め続けるのは間違いだと、たった今悟った。互いを信じきれずに至った過ちなら百万言を尽くしてでもわかりあう必要がある。

 喪失の予感に震え始めているシーザーの頬に触れ、その唇に優しくキスをした。やっと向けられた彼の瞳は愕然と開かれ、涙の膜が張っている。
 その肩をきつく抱き、足りない言葉を今から埋めるようにジョセフは唇を開いた。きっと、眠れぬ夜が訪れることはもうない。