関係性ボーダーゲーム
「……え、あの、先生、今なんて」
「聞こえませんでしたか? ジョジョは私の息子です、と言いました」
明らかに動揺している弟子を前に、麗しい師は言って優雅に煙を吐き出した。
波紋戦士であるシーザーが、呼吸器に悪影響を与えることをわかっていながら煙草をやめないのは言うまでもなくリサリサの影響である。荒んだ暮らしをしている頃は中毒性のある嗜好品など消費できるはずもなく、彼女に出会うまで喫煙の習慣がなかったシーザーは、リサリサの形のよい唇から白い煙が生まれるさまを見てその完成された美しさに一瞬まばたきを忘れた。
師事することを決めてから慣れない煙草をふかし始めた弟子に彼女は何も言わない。形だけでも敬愛する師に近づきたいという浅はかな彼の考えがどこまで見透かされているのか、シーザーはときどき不安に思うことがあった。
彼が煙草の苦さを耐えてでもその姿を追いたいと思うほど熱烈に崇拝する、女神のような師が言った言葉はあまりにも突然で、心の準備のなかったシーザーはただ何度も反芻するしか出来ない。若く美しいリサリサと、自分と同世代のジョセフが親子であるという事実に理解が追いつかず、思わず「なんで」と声が漏れた。冷静に「波紋の呼吸には老化を防ぐ力があります」と返されたところを見ると、彼女にとってそれは予測済みの疑問だったのだろう。
実は、リサリサに子どもがいるということは聞いていた。20代にしか見えない彼女の子どもというくらいだから、きっとかわいらしい幼子だと思い込んでいたシーザーを責められはしないだろう。彼女が既婚者であることを知ったシーザーは男として少々がっかりしたが、同時にリサリサの血を引くならどんなに美人だろうと見たこともない女の子を描いたりもした。母親の年齢を考えるにまだ年端もいかない子どもであろうから今すぐというわけにはいかないが、成長したリサリサの娘と結婚できれば晴れて彼女の家族になれるわけで、まだ見ぬ少女に対するよりも師に抱く淡い恋情からそんな夢を見ていた。
確かにリサリサの子どもが女性であると決めつけていたのはシーザーの落ち度かもしれない。だが、あまりにも艶やかな彼女を間近にして、この美が受け継がれていくことを願わずにいられないのは仕方のないことだろう。子どもが娘であれば女性に接するのがうまいシーザーには与しやすい相手であり、リサリサの息子の座を狙うためにはそのほうが都合がいいから考えないようにしていた、というのもある。
それが、よりにもよってジョセフとは。目の前の美しい女性とがさつな弟弟子の姿がどうしても重ならず、自身の抱いていた甘い妄想が完膚なきまでに打ち崩されたシーザーはその場にうずくまりたいくらいの気分であった。
しかし、そんな暗澹たる思いは響く涼やかな声によって簡単に吹き飛ばされる。「このことはジョジョには言っていません。あなただから話すのですよ、シーザー」と優しい声音で言われ、シーザーはいつの間にか伏せていた面を上げた。
「……それは、どういう」
「あなたを信頼しているということです。ジョジョは至らないところもありますが、私の息子であることは間違いありません。まだ未熟なあの子を託せるのはシーザー、あなただけです」
煙草を片手に淡々と続けるリサリサの表情に揺らぎはなく、世辞を言っているようには見えなかった。その言葉の意味を解して、茫然自失の体だったシーザーの顔に生気が戻っていく。敬愛してやまない彼女に信頼され、一人息子を預けられている。あふれる多幸感に胸が詰まるような心地すらした。師から向けられた確かな信頼に返す言葉を失うシーザーに、一瞬だけ優しい視線が落ちる。
用は済んだとばかりに踵を返したリサリサが振り返ることなく言った。
「引き止めてすみませんでした。……あの子を頼みますよ、シーザー」
「……はい!」
白い煙とともに遠ざかるリサリサを見送りながらシーザーは力強く答えた。その後ろ姿すら美しく、女神を目の当たりにした彼はそっとため息を漏らす。
衝撃的な事実を聞かされた頭はまだ現実に戻らず、結局夕日が沈むまでシーザーはソファで放心していた。
★☆★☆★
ばたん、とノックもせずに勢いよくジョセフの部屋の扉を開ける。突然の音に驚いた部屋の主はソファに転がり漫画本を手にしていて、いきなりやってきたシーザーの姿に目を丸くした。食事と歯磨きを終えた時間である今のジョセフの口元は鋼鉄の呼吸矯正マスクで覆われている。「え、どうしたの」と問いかける声を無視して後ろ手に扉を閉め、シーザーは彼が頭を乗せる肘掛けの前に立った。
最近この島に来たジョセフには客人用だった部屋が割り当てられ、そこには三人掛けのソファが置かれているのだが、彼の半身だけならともかく寝そべるように全身を座面に横たえていればさすがに長身が収まりきらず、長い足が反対側の肘掛けからはみ出ている。そんなだらしない格好のジョセフを見下ろしながら、シーザーは言った。
「ジョジョ、おれを抱け!」
「いやいやマジでどうしちゃったのシーザーちゃん!?」
叫んだジョセフの手からコミックがすべり落ちた。言っておくが、二人は波紋修行における先輩後輩というだけで、断じて恋愛関係にあるわけではない。そもそも同性である彼にとんでもないことを言われたジョセフの顔はひきつり汗が浮かんでいる。その反応に、無茶苦茶なことを言っている自覚のあるシーザーは少しばかりひるんだ。だが、ここで退くわけにはいかない。なぜならシーザーには夢があるのだ。
リサリサに子どもがいると聞いてから、シーザーは彼女のかわいらしい娘と結婚することで自分の夢を叶えようと決めていた。彼の夢とは明るい家庭を持つこと、そしてなによりもリサリサの家族になることである。娘と結婚すればシーザーはリサリサの息子となり、敬愛してやまない彼女にもっと近づくことができる。
目的が転倒しているようで妻となる女性に悪い気もしたが、リサリサの血を引く女性を愛する自信はあったし、シーザーは師に対してなんら性的な思いを抱いているわけではない。芸術の国に生まれ育った彼は美を慕う気持ちが強く、そもそもリサリサのようにあまりにも美しい女性を前にしては性欲など抱けないものだ。女神のごとく崇拝する彼女とともに過ごすためならどんな苦難もそしりも甘んじて受けよう、というのがシーザーの至った結論だった。
だというのに今日の夕方、リサリサの子というのが男でしかも同世代、そのうえともに修行に励む仲間だと知りシーザーの甘い夢はこなごなに砕けた。しかし彼は逆境にこそ燃え、乗り越えていく熱さを持つ男である。しばらくは虚脱して口も開けなかったシーザーであったが件のジョセフとともに夕食をとっているあいだに頭を冷やし、まったく違う方向から突破口を見出した。
結局のところ、既婚者であるリサリサの家族の座を手に入れるには彼女の子どもと結婚するしかない。かわいらしい女性だとばかり思っていた相手が実は自分より背の高い男だということは手痛い誤算であったが、リサリサに近づくためなら些細な問題だとシーザーは割り切った。実際には性別の壁は大きな問題なのだが、数年間をリサリサに師事し孤島で過ごしたシーザーにとって世間の常識は少しばかり遠かった。
さしあたって彼をものにするのはどうしたらいいのか。女性相手なら優しく口説く言葉をごまんと知っているシーザーだが、男が相手ではどれほどの効果があるだろう。しかも、変心などさせないほどに彼を骨ぬきにする必要がある。ジョセフを落とす方法をあれこれと思い巡らしたシーザーは、いっそ既成事実を作ってしまえばいいと簡単に結論づけた。
一度決めてしまえば後は行動に移すだけだ。それも、ジョセフが他の誰かに惚れてしまう前に彼を手に入れる必要があるのだから、善は急げとばかりに部屋に乗り込んだのだった。ソファに仰向けで転がりながら顔をひきつらせるジョセフを見下ろし、腕を組んでシーザーは繰り返した。
「いいからおれを抱けと言ってるんだ、ジョジョ」
「おめー自分がなに言ってるかわかってるゥ? いきなりやってきて抱けってどんな神経して、ぶっ!」
「ごちゃごちゃうるせえやつだな」
短気なたちのシーザーは文句を並べるジョセフの言葉の途中で腹に乗ったコミックを放り投げ、代わりに自分がそこにまたがる。かかった体重に苦悶の声が聞こえたが、マウントポジションを取ってしまえばもう逃がすことはない。そのまま勢いよくシャツを脱ぎ捨てると慌てたような声が上がった。
「ちょっ、タンマ! シーザー、ほんとなにやって……」
「おれは本気だぜ」
言いながら手を下ろし、ジョセフのベルトに手をかける。見慣れているそれを引き抜くのは造作もなく、ボトムをゆるめて下着をあらわにした。まだ反応を示していないそこを布の上からゆるゆると刺激しジョセフの顔色をうかがう。急所に迫られてはもう抵抗することも出来ず、ジョセフは「やめろって!」と騒ぐもののその手にはシーザーを引き剥がすほどの力はない。諦めたような沈黙のあと、拗ねたように「……シーザーってゲイだったの」と言った。
「ざけんな、そんな趣味はない」
「いやいや、説得力なさすぎですけどォ〜? じゃあなんでこんなことしてるわけ」
「……それは、だな……」
理由を問われてシーザーは一瞬思案に落ちた。ジョセフがリサリサの息子であるということはまだ本人には伝えておらず、おそらく師なりの考えがあるのだろう。ならばそれを口にすることは避けるべきだ。となるとシーザーがジョセフを襲っている今この状況にどう説明をつけるべきか、向けられる視線を感じながら彼は一瞬に考えをめぐらせる。自身の行動の突拍子のなさを自覚しているシーザーは気まずさから頭が回らず、結局口にしたのはあまりにも陳腐な理由だった。
「……お前が好き、……だから……?」
語尾が曖昧になってしまったのは仕方ないだろう。そもそも女性好きなシーザーは隣で修行に励む弟弟子をそんな目で見たことはない。なんとかジョセフを言いくるめて行為に持ち込もうと焦るあまりに思ってもいない言葉が漏れただけだったのだが、彼の言葉にジョセフは大げさに反応した。
「えっ……シーザーちゃん、おれのこと好きなの……?」
「あ、ああ、うん、そ、そうだな。好きだぞ?」
上体を起こしてじっと見つめるジョセフに耐えられず視線が泳いでしまった。「マジかよ……」と呟く彼の表情は大きな手とマスクが覆ってしまい、うかがうことはできない。先ほど言ったゲイではないという返答と整合性がとれていないと今さら気づいたが、取り消すこともできず気まずい思いばかり募る。
とにかく、ジョセフが何を思っているかわからないが黙っている今がチャンスだと思い、下着に添えたままだった手を動かした。布越しに触れるそこは心なしか大きくなっている気がする。やわやわと揉み込むと如実に反応して形を変えるのがわかった。
こんなとき男は単純だと思う。刺激を与えられれば反応せざるを得なくなり、無理やり迫る側としては助かるというものである。ことに若いジョセフはそういった経験も浅く、持て余した性欲は簡単に形をとる。彼のわかりやすい反応に、変な女に乗っかられなければいいがと一瞬だけ危惧した。
「……固くしてんじゃねえか」
「シーザーが、さわるからだろ……」
揶揄する言葉に拗ねたように返すジョセフがいつもより子供っぽく見え、シーザーは場違いに微笑ましく思った。体温をなぞるように動かしていた指先を少しだけ持ち上げ、薄い布地に手をかける。腰浮かせろ、と言うとジョセフは素直に従い、そのまま下着をずるりと引き下ろすことができた。多少手荒な動きだったか、こすれる感覚に彼が息を詰めるのが聞こえる。
他人の下肢をまじまじと眺めることなど初めてで、グロテスクなもんだとシーザーは内心呟いた。男の性器に触れるのに抵抗がないわけではないがそうしなくては進まないのだ、彼は一度決めたことはやりぬく熱さを持った男だった。露出した性器を撫でると、彼のぎこちない動きでも反応を返すのがわかる。熱を持つそこをゆるく握り、何度か上下に動かしてこすり立ててやれば途端にジョセフの呼吸が乱れた。
慌てて息を整える彼が不憫で矯正マスクを外してやろうかとも考えたが、敬愛する師の言いつけに背く訳にはいかない。あくまでリサリサに対する優先順位が高いシーザーはすまんな、と胸の内で詫びて行為に没頭した。今はとにかく彼の気が変わらないうちにことを進めてしまうに限る。ジョセフが本気で抵抗すれば、くやしいかなシーザーの腕力ではかなわない。だが彼の性格から考えれば一度関係を持ってしまえば捨てられることはないだろうから、大人しくしているうちに既成事実を作ってしまうに限るのだ。
そう結論づけたシーザーは彼の股座に顔を寄せ、外気に晒されたそこに舌を伸ばしてぺろりと舐める。途端にジョセフの腰が跳ね、天井を向いていた視線がこちらに向くのがわかった。「ちょっ、シーザー……!」と慌てた様子の彼にあえて意地悪に笑ってみせ、「こういう経験ないんだろう」と唇を舐める。図星だったのか、赤い顔をしたジョセフは視線をそらすだけだった。マスクの向こうで無理やり波紋の呼吸を保つ彼を横目に捉え、舐めただけでこの反応とは素人童貞どころか商売女とも縁がなかったんじゃないか、と考えたシーザーはなぜか安心している自分に気がつく。こんなのでもリサリサ先生の息子だ、清廉な身でいてもらわなくては困ると自身の感情に理由をつければ納得できた。
そのまま切っ先に何度もキスを落とし、きまぐれに舌で触れる。浅い接触を繰り返しながらシーザーは気づかれないように息を整え、心の準備を済ませた。ひいては夢の実現のため、と己に言い聞かせ、意を決し唇を大きく開けて震える熱を口内に迎え入れる。味蕾に残る感触に顔をしかめてしまったのをジョセフに見られなければいいと思った。
舌でなぞると指先で触れるよりもずっと熱く、太く感じられる。濡れた粘膜に包まれる瞬間を声を殺してやり過ごしたジョセフはシーザーを見下ろして「まじかよ……」と小さく漏らした。
同じ性とはいえ口で愛撫することなど初めてで、どうすれば気持ちよくなるのかなどわからない。闇雲に舌を這わせ、飲み込んだまま頭を振って刺激を与える。開きっぱなしのシーザーの口から唾液があふれて顎を伝うのがわかり、さぞみっともない顔だろうと思うがもはや引くことなどできなかった。
酸素を欲して荒くなる呼吸を整えることもせず、咥えきれない根元に手を伸ばしてさらに快感を煽る。目を閉じて口淫を施していると不意にジョセフの手が髪を撫でた。押し殺した呼吸のうちに快感を訴えるようにくしゃくしゃと髪をかき回され、指先が耳朶をかすめる感触になぜだかぞわりとする。背筋に溜まるその感覚は、非日常で背徳的な行為に耽っているという罪悪感から生まれるものだと思った。
すぼめた唇で幹を往復してやればとたんに体積が増し、息苦しいまでの質量でシーザーの口内を犯す。顎がだるくなるようなその大きさに内心うんざりしながら、これから彼に抱かれることを考えるととたんに下腹がざわめく。不安にしては甘い疼きだった。
緩急をつけながら手でしごき、浮き上がった血管を舌でなぞるとじきにジョセフが限界を迎えた。射精の予感に震える先端に吸い付けばはっきりわかるほどに彼の体が跳ねる。満足して顔を離そうとしたところで、ゆるく髪を混ぜていた手がシーザーの頭を掴んで強く引き寄せた。濡れた熱が喉を圧迫し、異物がもたらす息苦しさに涙がにじむのを感じる。彼の頭を抱えてのぼりつめるジョセフの声は快感にうわずっていた。
「シーザー、飲ん、で……!」
「……ぐ、ンン〜!」
声と同時に咥えた性器が脈打ち、熱い奔流が噴き出した。切なげなジョセフの声とは裏腹にシーザーの頭を押さえる力は強く、容易には抗えそうにない。逃げ出せないシーザーは苦しげに眉を寄せるが彼の手は容赦なく、押さえこまれたままたっぷりの精液を注がれる。溜まっていたことを示すかのように彼の射精は長く、やっと解放されたシーザーは粘つく液体にむせ返った。口内で受け止めた精液の大半は飲み下すしかなく、初めて知る味にげんなりする。なるほど、恋人でなければ許せないだろうこの行為は確かに性戯といえた。
「シ、シーザーちゃん、大丈夫……?」
「……大丈夫なわけがあるか、このスカタン……!」
涙目でむせるシーザーに良心がとがめたのか、自分もひきつれたような呼吸を無理やり押さえつけているジョセフが弱々しく問いかける。それを睨みつけたシーザーは内心でくそっ、と呟いてから自身のボトムに手をかけた。今のは前戯にすぎない、既成事実というにはまだ弱い。彼を離さないためには、リサリサの家族の座を手に入れるためにはもっと先に進む必要がある。美しい師の顔を思い浮かべると途端に罪悪感が大きくなった。
いきなり精液を飲まされるとは思っていなかったが、おおむねシーザーの思惑通りに進んでいると言っていい。射精後の体には疲労が残るものだから、今ならばたとえジョセフが抵抗したところで彼の側に勝算があるだろう、苦しい思いをした甲斐があるというものだった。
ジョセフにまたがりながら器用に服を脱いだシーザーは、ポケットに入れておいたチューブをついでに取り出す。本来は傷の治療に用いられる軟膏だったが、今は潤滑剤の代わりに使わせてもらう。うるさい鼓動に邪魔されながら蓋を開け、手の中にどろりとしぼり出した。それを見ていたジョセフは脱力した体で「なにそれ」と問いかける。
「軟膏だ」
「いや、それはわかるんだけど……」
「……こうやって、使う、んだ」
言いながらシーザーは手を後ろに伸ばし、軟膏に濡れた指で自身の窄まりにそっと触れる。ジョセフが彼の下で目を大きく開く気配がしたが構わずにゆっくりと指を差し入れた。
体温で溶けた薬のおかげでなめらかに挿入され、痛みも気にならない程度だが代わりにぐちゅりと水音が立つ。自分の指とはいえ侵入する異物にシーザーの背が丸まった。ジョセフの腹の上で己の体重を支える手を無意識に握りしめ、浅く息を繰り返すことでこみ上げる異物感をやり過ごす。
男同士での性交に必要だとはいえ、ジョセフの視線を感じながら自分で後ろをほぐす行為に羞恥が拭えない。思わずシーザーが下を向くと手が伸びてきて無理やり顔を上げさせられ、どうしようもない欲情を浮かべたジョセフの瞳と見つめ合った。「……なあ、これ外して」と呼吸を制限するマスクを示されたが、シーザーは不規則に揺れる呼吸の中で「だめだ」と答える。露骨に失望した顔でこれじゃキスもできねえだろ、と訴えるジョセフの声を聞き流しながらやはりマスクは外せないと再確認した。今キスなんてされたら、なにかがおかしくなってしまいそうな気がする。
二本に増やした指で内側を広げ、後孔から引き抜く。ぬるんだ軟膏が露骨な音を立て、誰のせいでもないのに羞恥が加速する気がした。彼の強い視線に射抜かれているのを感じながらシーザーは見せつけるように唇を舐めた。抱いてくれ、と先ほどと同じ言葉を繰り返すとジョセフの目が泳ぐ。そのことに少しばかり傷つきながらも、しかしシーザーはもう退けない。ぐ、と唇を噛むと言い訳のようにジョセフの声が落ちた。
「……その、おれ経験ないからケガさせるかもしれないし」
言われてシーザーはそんなことか、と安堵すら覚えた。彼の本心までは知ることができないにせよ、今しがた言われた言葉を打ち消すのはたやすい。なしくずしに性行為にまで持っていくために、充血し始めているジョセフの性器の上にまたがり腰を浮かせて足を開いた。露骨なポーズにジョセフの喉が鳴る。わきあがる羞恥心を懸命に押さえ込みながら、シーザーは後孔に指を添えてくっと開いてみせた。
「もう、慣らしてきたんだ……早く、挿れてくれよ」
「……ッ!」
言われてジョセフの動きが止まる。まばたきすら忘れたように凍りつく彼に不安を感じて小さく呼びかけると硬直が解けたように片腕が伸びて腿を掴まれた。思いがけない反応にシーザーが目を白黒させていると、なぜか押し殺した声で「……まじで」と問われる。戸惑いながらも首肯した。
「ふ、風呂場で、ここに来る前……」
「自分で? 今みたいに?」
「……そうだが」
訊かれたから答えたのに、ジョセフはそれを聞くと「オーノー……」と小さく漏らした。萎えさせてしまっただろうか、と心配になったシーザーが彼の下肢を見やるとそこは一度射精したというのに再び大きくなっているように見える。先ほどから納得のいかない彼の反応に疑問符を浮かべたシーザーだったが、腿を掴むジョセフの手に力が入って彼の切っ先がわずかに埋まり、そんな疑問など吹き飛んでしまった。
「ちょっ……ジョ、ジョジョ」
「もー……シーザーちゃんエロすぎ」
「待っ、ジョ、……っうあ!」
両手で腰を掴まれ、ぐっと力を加えられてシーザーの体はあっさりと沈んだ。騎乗位の体勢で受け入れさせられて思わず声が上がる。事前に慣らし、潤滑油代わりの軟膏で濡らしておいたおかげで、彼の体はジョセフを飲み込もうとけなげに反応した。すっかり張り詰めたジョセフの性器がゆっくりと押し入り、割り開かれる感覚にシーザーは息を詰める。一番太いところを越えればあとは勢いのままにずるずると奥まで入り込み、太ももの裏にジョセフの体温を感じてシーザーは全て飲み込んだことを知った。呼吸もままならず、つながったまま二人は初めて知る感覚に身震いする。悲鳴が上がらぬようにと両手で口を覆うシーザーは浮かんだ涙を零さないようにするだけで精一杯だった。
「……ふ、んぅ……」
「すげ……きもちい」
「あ、待て、動くな……ッ」
「無理無理、シーザーちゃんかわいすぎるんだって」
身勝手なことを言いながら腰を揺らすジョセフにシーザーは涙まじりの視線を向ける。伸ばした指でその雫に触れながらジョセフは満足気に笑った。かわいい、など年上の同性に向けるべきではないような言葉を耳にしてシーザーの眉がいぶかしげに寄る。その合間にもゆるく腰を揺らされるのでシーザーは唇を噛んで声をこらえるしかなかった。
「おれが好きだからって、わざわざ抱かれに来ちゃって」
「う……」
「おれのこと考えながら一人で慣らしてたんでしょ? ほーんと、かわいい」
好きだから、と理由をつけたのは方便のはずだがそれを口にすることは出来ない。否定も肯定もできずにシーザーはただ視線を逸らした。ひゅ、ひゅうと不規則な呼吸の音が耳に届き、それはジョセフがマスクに邪魔される呼吸を必死に整えているからだと気づいたシーザーは少しばかり同情的な目を向ける。矯正マスクに彼の視線が落ちたのを察し、ジョセフは自らの口元をコツコツと叩きながら、苦しい呼吸のはずなのにどこか楽しそうに言った。
「こんなマスクつけてちゃろくに動けねえし? シーザーちゃん、腰振ってよ」
「……無理、だっ」
異物感に苛まれる体では出来ないとかぶりをふったのに、ジョセフはシーザーの体から手を離して動きを止める。無言のうちに促されているのを感じ、元来負けず嫌いであるシーザーは覚悟を決めた。
震える足では体重を支えられないと判断し、鍛えあげられたジョセフの腹に手をついた。腕と両足で体重を支え、なんとか腰を上げる。粘膜をこすっていく感覚をつとめて無視しながらゆっくりと抜き差しし、身じろぎするたびにこみ上げる苦しさを息に乗せて吐き出した。
粟立つ背筋をこらえてリクエストに応えてやっているのというのに、あまりにも慎重な動きに焦れたのかジョセフの手がシーザーの性器に伸びた。制止の声を上げる前に握り込まれ、彼の口からは気の抜けた声だけが漏れる。きつい圧迫感に勢いをなくしていたシーザーのそこはジョセフの手が動くたびに充血し、次第に濡れた音を立てた。
ただでさえいっぱいいっぱいのところにそんな快感を与えられ、いよいよシーザーは身動きが取れない。切れ切れに押し殺した嬌声を上げて腰の動きを止めてしまった彼にジョセフはたちの悪い笑いを浮かべ、何か口にすることもせずシーザーを押し倒した。勢い良くソファに倒れこんだシーザーは反転する視界に目を開き、それから繋がったままの下肢の角度が変わったことにかすれた悲鳴を上げた。
抗議したくともジョセフに覆いかぶさられるような体勢では彼の巨体を押し返すことも叶わず、自由になった両手で彼の肩をつかむのが精一杯だった。明確な文句をぶつける前に「動くぜ」と宣言され、ジョセフの低い声が下腹に響く。言葉通り、挿入された楔がずるりと動いてシーザーは喘いだ。
「あ、ひぃっ」
「シーザー、きつくて、……もってかれそ……」
「やっ、ジョジョ、それ……っんああ!」
激しく息を乱してはあっという間に窒息してしまう。呼吸矯正マスクのおそろしさを身にしみて知っているジョセフの律動はもどかしくなるほど緩慢で、しかし先ほどシーザーが腰を振ったときよりも深くつきこんでくる。存在を知らしめるかのようにゆっくりと抜かれていった熱が今度は奥までえぐり、シーザーはガクガクと膝を震わせた。後孔をあますところなくこすられ、体の中を異物が出入りする感覚に声を失う。探るように浅いところで抜き差ししていたジョセフの先端が一点をかすめ、シーザーの背が反った。
「っあ!」
「お、シーザーのいいとこ、ここ?」
「ちが、待っ……ひん!」
「体は反応してんだから、そんなこと言ったって説得力ないぜ」
そうジョセフが揶揄する通り、シーザーは自分の体が彼を甘く締めつけるのを自覚していた。その一点を突かれるたびにきゅうと反応し、ジョセフにすがるように収縮する。性感帯として前立腺の知識はあったものの身を持って体感することなど思いもよらなかったシーザーはほとんどパニックで、男を押しのけるために突っぱっていた両手がいつのまにかジョセフの首もとに回る。快感の波にさらわれながら、目の前のマスクがなければキスできるのになとぼんやり考えた。
「あっ、やぁっ、ン、うあ……!」
「あー、すげ、締まる……」
シーザーの腰を掴んでいたジョセフの手が前に伸び、彼の性器に触れる。揺さぶられて快感を拾いつつあるそこは彼の手にびくびくと震え、荒っぽくしごくと後ろが反応してジョセフを絞った。与えられる快感をねだるようにシーザーの白い足が彼の腰に絡まる。ぐちゅぐちゅと漏れる水音に鼓膜から犯され、シーザーの思考は熱に溶けていった。
「あ、も、やだ、イく……!」
「ちょっ、シーザーちゃん足、おれもイっちゃうから!」
「いい、から、中に出せ……!」
背に絡めた足を強く引いてジョセフを深く受け入れる。息を呑んだような気配とともに体内に広がる熱を感じ、シーザーもジョセフの手に導かれるようにして達した。
絶頂に痙攣する体が重なり、いつのまにか泣いていたことを知ったシーザーは自分の目元を拭う。それからぐったりと体重を預ける男に文句を言おうと汗で濡れる手を伸ばし、ふと彼の呼吸が聞こえないことに気づいた。まさか、と思いながら体を揺さぶっても反応はなく、ひやりとする思いに急かされてジョセフの口元を覆うマスクに触れる。彼にはコントロール出来ないくらいの微細な波紋を流し、ぱちんと外してやると溜め込んでいた分を取り戻すような大きな呼吸が聞こえた。
ジョセフを案じるあまり師の言いつけに背いてマスクを外してしまったことを後ろめたく思うシーザーだが、罪悪感に沈む間もなく顎を引き寄せられて唇を塞がれる。初めて知るジョセフのキスに思考が止まったシーザーは抵抗も忘れたまま唇を割られて彼の舌に翻弄された。くちづけを受けながら繋がったままの腰を揺らされてやっと意識を取り戻し、覆いかぶさる男の頭を殴った。思いのほか力の入らない拳だったが意思は伝わったらしく、しぶしぶといった様子で唇が離れる。
自分から仕掛けたこととはいえ、セックスのあとに見つめあうのはなんだか気恥ずかしかった。「抜け」と端的に命じると「シーザーちゃんたらつれないのォ〜」と頭をすりつけられたが、もう一度殴れば本気だとわかったのか大人しく引き抜かれる。彼が体内から去るついでに注がれた精液が後孔からあふれるのを感じていたたまれない気持ちになった。
砕けそうになる腰を叱咤してシャワーを浴びるため立ち上がろうとしたが、上体を起こしたところで隣に座る男に絡みつかれて再びキスされる。付き合ってやるかと目を閉じたシーザーだったが、あまりにもしつこいくちづけに苛立ってジョセフの胸板を押しのけ体を離した。不服そうに唇をとがらせるジョセフに、こいつ調子に乗ってやがると呆れを抱く。
ともあれ、既成事実を作ることには成功した。ジョセフのパートナーとなることを認めてもらえれば、今よりももっとリサリサと親密になれることは間違いない。体に残る違和感と疲労を無視して満足気に口角を上げたシーザーは、計画を完遂した自分が上機嫌なのはいいとしてジョセフがなぜこんなにも幸せそうに笑うのかわからなかった。熱の残滓を引きずる頭は十分に回らず、浮かんだ疑問をそのままぶつける。
「なにニヤニヤしてやがる、気持ち悪い」
「シーザーちゃんたらひっどーい! それが好きな男に対する態度なわけ」
この行為を説明するために好き、と理由をつけたのは確かなのだからシーザーは何も言えない。言葉では咎めながらも、ジョセフは浮かぶ笑いをこらえきれない様子だった。シーザーがもう一度問う前にジョセフが口を開く。彼の両手は甘えるようにシーザーの首に回されていた。
「おれだけが好きだと思ってたから、すげー嬉しい」
「……おい、今なんて言った」
聞き捨てならない言葉を耳にした気がして、シーザーの肩に埋まったジョセフの後ろ頭を掴んで問いただす。無理やり仰向かされたジョセフの口から潰れた声が出るが気にしていられない。「イヤン、情熱的〜」と軽口を叩くジョセフはだらしなくにやけている。問い詰めるようなシーザーの視線に気づいたのか、少しばかり照れくさそうに彼は言った。
「おめーは気づいてなかっただろうけどよ、おれはずっと片思いしてたんだぜ? 最初はいろいろ迷って、おかしいんじゃねえかってリサリサに相談もしたし」
リサリサ。飛び出した単語にシーザーの心臓がすっと冷える。瞼の裏に美しい師の姿が蘇り、まさかと動きを止めた。浮かんだ可能性を打ち消したくて必死に思考を巡らせるシーザーに構わず、ジョセフは彼の体を引き寄せてぎゅうぎゅうと抱きしめる。その仕草は宝物を離すまいとする子どもによく似ていた。
「男同士なんて気持ち悪がられると思ってたのにシーザーの方から抱かれに来てくれるんだもんな、夢みてえ」
耳元で囁かれた言葉はこの上ないほどの幸福で満ちていてシーザーは言葉をなくす。ここに至ってシーザーは己の思い違いを認めないわけにはいかなかった。
彼らの師は無駄な行動をしない。今日の夕方、シーザーが唐突に告げられた告白は何を意図していたのか。
本人に伝えることはしなくとも、彼女が一人息子であるジョセフを大切に思っているであろうことは想像がつく。彼が抱えるシーザーへの思いを知っているリサリサは、息子の片思いを成就させてやりたいと思うに違いなかった。ならば、そのためにはどうするのが効果的だろう。彼女を女神のごとく慕うシーザーであるから、リサリサに近づくよすががあればなんとしてでもそれを手に入れたく思うだろう。今になってシーザーは敬愛する師の言葉の裏が見えた気がする。「あの子を頼みますよ」と優しい声はきっと、シーザーを動かすための呪文に違いなかった。
リサリサの巡らせた計略に気づいたシーザーは頭を抱えながら「マ、マンマミーヤ……」と小さく呟いた。既成事実を作って離れられないように、と仕掛けたのは確かに自分だったが、その考えすら師には見透かされていたに違いない。彼女に近づくため奸計を用いたのはシーザーのはずが、いつのまにか罠にはめられていたのは彼の方だった。
ジョセフの性格として一度関係を持った相手を捨てることはないと読んだシーザーは、自分もまた同じタイプの男であることを知っている。体温をわかちあった相手を切り捨てられるほど彼は非情な男ではなく、その証拠にシーザーの胸には甘い疼きが育ちはじめている。もう一回、とねだって不穏に動くジョセフの手を振り払うことは出来そうになかった。
天井を仰いだシーザーは、これから親子二人に翻弄される日々を思ってこっそりため息をつく。それも悪くなさそうだな、と思ってしまったあたりすでに手遅れなのかも知れなかった。
ジョセフがリサリサの息子、という点を生かしたジョセシーの薄い本はもっと出ると思っていました(ゲンドウポーズ)